枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

鏡開き・凍てつく

2014年01月11日 | Weblog

 寒い!然し、起きねばならない。今朝は早出で、午前7時には家を出る。弁当をこさえて、勤務後Aさん家に寄るので、ペットボトルを積む。さすがの凍てつく寒さに、ストーブを点ける。愛車も出勤時間前にエンジンをかけた。雪が降っていない分、我慢できる。

 この時期は寒中であるから、寒さが厳しくて当たり前だ。然し、世界中で異変が発生して、豪雪だったり、大型寒波が押し寄せている。これらの要因には必ず原因があり、それを阻止しなければ、今後も続く。人間の驕りや傲慢さが積もって、禍となっている。

 原発の再稼動をしようと目論むことや、外国に輸出しようとする企業には、安全と安心の基準は何処か?と問いたい。事故が起きればどうなるか、考えることはないのだろう。核のゴミを、何処に捨てても、地球上には違いない。そんこともわかっているのか。

 国民を愚弄している政治の遣り方に憤怒。国民のためというなら、無報酬でやってほしい。民主主義の欠片もない。国民の目線にも、上下もあれば、左右もあるから、何処を境にするかによって異なる。年収の低い者には、何も言う権利は無いのだろうか。

 世の中が狂っているとしか思えない。狂気の沙汰も金次第、と云うだろう。閻魔大王も三途の川の渡し糧で、配置を決めるのだろうか?いやいや、悪事の数で決めているとか。どんな小さな嘘も、鏡の前に立てば判明するそう。それを認めるか否かだろう。

 何を憂うこともなく、悠々自適の暮らしができればいいが、実際にはあくせく働くのがやっとで、それもいくらしても達成感がない。厭になるし、気力や体力も追っか付かない。この時節だから、大金が落ちている筈もなく、やるせなさと空しさが残るだけだ。

 金は天下の周り物、と云うが、あるところにはあり、無いところにはない。然し、自分の身を誤って、他人を陥れようとも、殺めようとも思わぬ。罪の償いの代償が大きく余りあるからだ。生きていることで、少なからず罪を重ねていることもある。心が痛み病む。

 長崎茂木の枇杷葉。実の生った後、青々と葉を繁らせる。初夏から初秋まで、たくさんの葉をつける。

 

 

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体調管理・・・

2014年01月10日 | Weblog

 寒中だという事を、忘れそうであった。夕方に差込があって、しまった。と思った。油断大敵である。孫等の迎えと重なってしまい、慌てていたのも確かだ。懐炉をつけていなかったのもあり、冷え込んだのだ。息子の家に着いた頃に、気分は悪化。

 夕食も咽喉を通らず、早々と引き上げて、孫等のためにつけていた炬燵に潜る。気力がなかったので、じっと眼を閉じていた。それでも3時間ばかり、うとうとしたらしい。懐炉をつけたのもよかったのか回復。熱も無く、ふらつきもないので起きる。

 7連勤が堪えているのか。以前には、8連勤もしていたのが、年齢の衰えもあるのだろう。仕事事態は、慣れてきたことにもよるが、研修に参加して学んだことを、自分なりに工夫をしたりしている。抱えない介護は随分と助かるもの。それなのに。

 気分転換が必要かもしれない。今春に、リエさんちにお邪魔したい計画をしているが、さて孫等の休みがどうであろう。四月になればJRは運賃を上げるし、孫は中学生だ。然るに三月中がいいのだが・・・。前途多難か?先行きが怪しい雰囲気。

 夕刻の宇宙には、木星が一際明るい。月が出ていない時点で、宇宙に輝く。注文していた天文年鑑には、今年の宇宙の見ものが満載している。何も彗星だけが観るものではない。自然の移り変わりの中には、定期的なものもあれば未知もある。

 その異変を知ることによって、古来の人々は、自然を敬い畏れてきた。或いは、様々な要因を何等かの事例と結びつけ、忠告や諌めを行ってきた。それらを聴いて、正しく判断してきていたなら、原発による事故も防げた。神の怒に他ならない。

 枇杷葉の花芽が、咲いているのといないのと、はっきりしてきた。蕾の状態のものは、今後は決して咲かない。このまま枯れる。摘芽にする基準になる。失敗を繰り返して、ようやくわかった次第。それにしても、花芽どころか苞さえも他所のはない。

 遊歩道を歩いていると、風の向きで匂ってくる。きっとあそこの家のだとわかる。手入れの仕方が違っている。真心が視える。それを枇杷葉が語ってくれるのだ。その気持ちに応えるように苞がつき、花開き、実が生るのだ。人間もそうありたい。

 3分間、人前で話すのに、どのくらいの言葉が必要か?原稿用紙にして、およそ10枚だろうか。早口でももったりでもなく、歯切れのいい話し方で、声の高低をはっきりさせれば、言いたいことの概要がわかる。起承転結は無論、背筋を伸ばして。

 百日紅の白。小さな苗木だったのが、今では2mに及ぶ。薄い桃色と濃い桃色。赤の混じりに紫が咲く。

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宇宙は晴れ、星は瞬く・・・

2014年01月09日 | Weblog

 帰宅途上の宇宙に、八日月が懸かり、煌々としている。東天に眼をやれば木星が輝く。少し雲が出るものの、北風に押しやられて、星は瞬く。つと足を止め、背筋を伸ばす。この極上の宇宙を独り占めしている満足感に浸る。ああ何という美しさだろう。

 冷蔵庫の冷凍室の調子が変で、電気屋さんに来てもらう。その間、ペンギンどもは鳴りを潜め、何処に行ったか見当らない。鴨は葱をしょって来るのに、隠れるとは卑怯千判。あ・外を飛びまわっている。風も出て来たようだ。おおっ!ペンギン奉行だ!!

 リエさん達と一緒なら、知識の少なさを補うことも可能だが、そうでない場合では、独り芝居になってしまう。朝、新聞を読まないそうだ。いや、新聞を取っていないらしい。細々とした記事は、帰宅してから丹念に読むが、朝は絶対大見出しには眼を通す。

 朝礼での挨拶も、時候からか世情から、話すことは多々ある筈。年齢を重ねれば尚、深みも増し、艶めくものだろう。ところが今時の持ち回りは、小学校の子供か、とも思える内容である。思わず座り込みたくなるのだ。次元が低いのか、思考停止かな。

 物書きの端くれとして、井戸端会議はしたくない。自分の思いや考えが違うことを、堂々と本人に伝えたい。影口は避けたい。そのためには、読書は欠かせない。どんな書籍でもいいのだ、自分の力に加わる。3分間の内容など、直ぐに埋まる筈だが。

 原稿用紙に万年筆でひたすら書いていた頃、孤独との闘いには周りがみえていなかった。それでも、編集長の助言や、作家の声には励まされたもの。引退したり、鬼籍にある。現役で活躍中の方々もおいでだ。我が家には金はないが、宝物は多いよ。

 誰も知らない秘密。うふふ・・・、そうなのよね、世界中を探したって、この葉書は数枚しかない貴重物で、物凄い価値があるの。サイン本も同じだが、これはあちこちに所持者が居る。写真も等しいだろう。遠い過去の栄光かも知れぬが、パワーの基。

 本は楽しい、読むことで広がる世界がある。知識も豊富になるし、夢への実現にも可能だ。諦めないこともあるが、自分なりの努力を怠らないこと。様々な角度から眺めることも、大切であり必要なこと。凝縮したのが、国語辞典。豊かな発想に繋がる。

 ゆすらうめの実。殆んど野鳥に啄ばまれるが、熟した物は甘くて美味しい。麦刈りの頃、赤く熟れてくる。

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上弦・雨、旧針供養

2014年01月08日 | Weblog

 耐寒訓練にも色々あって、寒稽古と称しての運針は、息使いだけが聴こえる講堂で、乙女が一心に針を運ぶ。その前に、1年間に使わせてもらった針を、豆腐に刺して供養する。そういった習わしがあったものだが、ミシンは愚か、針など見向きもしない。

 勤務先の繕い物は、ひたすら見つけた時点で持って帰り、ゴム紐を換え、裾を縫い、解れを留める。破れた箇所には布を当て、針を動かす。休みの日の仕事だ。高齢者にとっての衣類は、思い出もさることながら、物資の乏しかった記憶が残っている。

 破れれば、捨てることしか頭にない、今時の者には、そういった配慮は乏しい。針と糸さえあればできることだ。物は大切に扱おう。誰がするしないではなく、できる者がすればいい。もったいない気持ちを大切にしたい。直した物を手渡すと、顔が綻ぶ。

 その喜んでくれる気持ちがうれしい。貧しかったけれど、継ぎ当ても厭だったが、親の思いへと通じる。お金があっても、物を大事にする気持ちは一緒であろう。当たり前のことを自然に、何気なく行える自分でありたいもの。人生の先輩として敬いたい。

 昨日の暖かさは、雨の前触れだった。天変地異ではないが、よからぬことが起きないよう、願うばかりだ。南極では、ロシア船が立ち往生しているとか、救助に向うべく筈が、ミイラ取りがミイラになってしまう。ペンギンは飛び出す、雪に埋もれそうだった。

 よく見ると、冷凍庫の向うに何か挟まっている。気づいて取り除けたら、やっと静かになった。朝っぱらからうるさいこっちゃ。泳げが流れ着いてから、やたらとペンギンが出没する。きっと次号まで、そこら中を迂回しているのだ。あ~!柚味噌の入り干を。

 明日の弁当のおかずは、何にしようか。ここ数日、年末のお煮しめが続いている。作り過ぎた。来週には、菜の花が来るので、散らし寿しをしよう。蜆も、旬の食べ物だ。味噌が旨い。宍道湖の黄蜆がめちゃくちゃ美味しい。いや、だからおかずなんだよ。

 月末の荒神さまへ参る筈が、友人は留守をすると言う。仕方ないや、独りで行ってこよう。お参りだけだから、お砂を買ったら直ぐ帰る。蝮除けが目的なので、のんびりとはしない。金柑と大判焼きはお土産。結構人出が多いのですが、こればっかりは行く。

 淡い色のバラが、何とも云えない。鉢仕立てなので、一向に育たない。農薬を使わないので安心してジャムにできる。

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晴天に恵まれ・・・

2014年01月07日 | Weblog

 寒いからと、ストーブに当たっている訳にも、炬燵に入っているのもできず、昼近くに起きて布団を干す。上天気なのだ。洗濯物もはためく。疲労困憊していた体も、枇杷種を食することで解消。多少のしんどさは残るが、どうにか維持できている。

 寒さ対策に、衣類は綿を用い、足腰が冷えないようにしている。アクリル系は暖かそうに見えるが、実際には然程でもない。タイツも綿が暖かいが、中々通販では気にいったのがない。仕方なく緩んだゴムを取替え、洗い回して着ている次第。

 自宅に居るのでは、防寒が第一なので、手負いを付け、コートを着用する。冷たい風に遭わない分、寒さを感じないのが佳い。手負いは指先が出ていないと、何かと不便である。髪は、いつもの通りひっつめだが、これは前が暗いしうざったい。

 朝昼兼用の食事をし、布団を天気のいい間に仕舞って、図書館に出向く。ついに三国志を全巻読み終える。宮部みゆき氏のソロモンの偽証を借り、新刊の予約を入れておく。某新聞に連載されている、認知症の記事にも、大いに関心が向く。

 新聞の読み返しもしないではないが、先ずは広告を片付ける。メモ用紙になる物を仕分けして、洗濯物も乾いたので取り入れる。七草粥ではなくご飯をかきこみ、珈琲を飲んでブログ更新をする。孫の迎えがない分、溜まっている用事が捗る。

 夜の宇宙の美しさは冬の気温が相応しく、昴に始まる天狼星等、輝きが増している。都会では景観こそ異なっているかもしれないが、東の宇宙に一際明るい木星は観物。金星は素晴しい輝きのまま内合になり、明け方の宇宙に移っていく。

 凍てつく宇宙を見上げる者は、自然からの力を戴き、その心を極め、励むことによって祝福を受けるであろう。弛まぬ努力を惜しまず、他人の嫌がることを厭わずに、心あり様を示せば報われる。信ずることの傍には、自分を愛せること。

 水星・金星・火星・木星までは撮影できる。水星は、日没直前の西の宇宙にあり、山頂に登らないと難しい。

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冬の宇宙

2014年01月06日 | Weblog

 数多の星が瞬く宇宙は、大気が澄んでいるので、肉眼で観える数が増える。都会を抜け出しての観望なら、寒さも忘れる星の数だろう。田舎では自然の中が当たり前で、観えないことの方が不思議である。いやいや、寒いからと外に出ない。

 子どもの遊び事態も、著しい変化があり、外で遊ぶことがない。却って、子どもが居ると、びっくりする。子どもは風の子といった時代は、遠い昔のことで、テレビ中心であり、一人遊びが多い。でも、淋しくないのかなぁ・・・、不満がないのかしら。

 雪の降った朝、どうしても滑りたいと駄々を捏ねたら、祖母が竹を伐って来て、焜炉に入れた炭火で焙り、緩やかに先を曲げて、足に合うようにスキーを作ってくれた。靴を履いたままで、古布を捩って止める。雪が溶けるまで何度も滑った。

 その結果。手足は霜焼けになり、風呂に入って痛く、春先には痒くて泣いた。それでも懲りずに翌年も同じ事に。尤も、竹製では保たないので、その都度祖母を拝み倒す。自分で作れないのが癪であった。器用さにも、祖母には適わないもの。

 スキーやスケートに関心があったのではなく、家の傍で遊べるから遣ってみたかったのだ。それに、そういった遊びを誰もしていなかった。優越感があったのも否めない。祖母は、厭きもせずに遊ぶ孫の姿を見て、何を思っていたのだろうか。

 羽子板や毬突き、人形遊びをしていてくれた方が、どんなに可愛く見えただろう。おとなしい兄に比べて、とため息をついていたのかも。母の小言は、耳に蛸が数珠つなぎだった。それでいて勝ち負けには弱く、自分の世界で満足していた。

 様々な書物を読むにつけ、その書かれていることの真実に触れ、自分を省みて悩み、悔やむことが多かった。迷う路もあれば、茨の道が殆んどで、行先の怪しさに、佇むことも少なくなかった。幸せを絵に描いたような生活ではなかった。

 然し、自分自身での納得では、これでよかった。と想えるのだ。誰の援けも借りず、独りでできることを遣り、凌げる範囲を守ってきた。友達と言える者は少ないが、信頼の度合いは深いもの。騙すより騙される方でいい。天知る地知るである。

 初夏の日差しの中に咲いた、可憐な白い花。たくさんの実が生ったよ。孫等が、美味しいと頬張っていた。

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小寒・初水天宮

2014年01月05日 | Weblog

 寒中にすることは多々あり、特性の液を花木にかけた。何と、海棠の花が一輪咲いているではないか。寒さの中に淋しげだ。枇杷葉の花芽にも、咲かないままのがあり、次の休みに花芽茶に摘もうと見上げる。今年は、たくさんは生らないようだ。

 今朝こそ寝ていよう、と布団に居たが、快晴に起きる。暖かで麗らかな気温に、洗濯も弾む。午後2時を目処に仕舞い、図書館への返却に行く。郵便局にも寄る。年賀状の返礼と、喪中葉書への寒中見舞い。絵柄を印刷して、宛名を手書きにした。

 寒の入りになったので、今年もドクダミの根槐を掘ろう。この時期に掘って乾燥するのが、腐らなくて甘い。必ず、水で洗うのがいい。或いは、焼酎で洗うのが黴を防ぐ。新聞紙か竹笊に入れて自然乾燥させる。手間なようでも健康には換えられない。

 気力・体力共に落ちてくると、こういったことさえ面倒に感じる。そういう時には、枇杷種を齧る。疲労困憊時の対応に、適宜飲食すると好く効く。枇杷種は、夏に出回る枇杷葉の実を食べ、その種を焼酎に漬けて置いた物。手間を惜しむべからずだ。

 休みということもあり、梅ジュースを飲む。これも疲れに効く。体がじんわりと温まり、血行も促すのでいいが、勤務中には通らず、我慢の為所。三国志も12巻の半分読む。文庫で買って再読しようと目論んでいる。人物像が解って面白いのがいい。

 庭の景色も、水仙が咲いていないし、猫柳は早膨らんでいる。梅もたくさんの蕾が見える。クリスマスローズは固い蕾。フリージアは霜に遭っているが、枯れないでいる。薔薇に到っては、寒さに耐えている。パンジーと金魚草が、花を見せて春らしい。

 祝日を第二日曜日に移行したので、四季感が薄い。旧暦から新暦にしたのも、こういったとまどいが多々あっただろう。目まぐるしさを想って、しんどくなる。敢えて、旧暦での生活にしてから、体調の狂いが少なくなった。病気の元は祓うに限るよ。

 晴耕雨読とはよく云ったもの、そういった自然からの恵みを感謝することに、天からの恩恵もあろう。天地神明にも通じる。夜毎の宇宙の様に、星の動きに眼を向け、己を知ることも大切なことだろう。新しい年になったからと油断は禁物であろう。

 昨年の我が家の薔薇。丹精籠めて育てて、大倫の華を咲かせた。花木は物云わぬ、というがいやいや・・・

 

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枇杷葉茶を続けて・・・

2014年01月04日 | Weblog

 正月と言わず、餅は好きな方で、ちょこちょこ食べる。ところが、蕁麻疹と云うのか、体中が痒くなる。もち米は灰汁が強いのだ。団子汁に入れても出るのであるが、ここ十年ばかり枇杷葉茶を飲用してきて、その反応が出ないことに気づいた。他の要因もあるかもだが。

 食べ物も、極力手作りを心がけ、旬の物や野菜中心にしている。冷凍品は買わない。尤も、食べたいとは思わないのがいいのかも。枇杷葉茶を飲み続けて、体の変化に気づき、自然のままが佳いことにも納得した。添加物だの着色料には、食欲が湧かないのもある。

 お金さえ出せば手に入るが、その反面は毒を食しているようなものだ。手軽で便利な盲点は、アレルギー反応を起こす。加えて、皮膚が汚くもなる。滲みやソバカスは無論のこと、鮫肌にも悩まされる。そうして医者に行ったところで、大した改善にはならないのも癪だ。

 枇杷葉茶は、癖もなく、飲み易いことがいい。然し、極希に拒絶反応が出ることもある。体内の毒素が一度にびっくりするからだが、ここが止めるか続けるかの分かれ目。我慢する必要もないが、とことん付き合ってみると、一気に快方に向かうことも。要は信じることか。

 皮膚の表面が剥がれ落ち、角質が取れる。1晩で湯船が真っ黒になるくらい。それらが過ぎたら艶やかな体に変わる。本当に脱皮できる。その後も諦めずに遣っていると、皮膚の張りも佳くなり見違える。それには枇杷葉ローションもあるが、自然の力を信じてみること。

 腰痛には、枇杷葉の生葉を採って、焼酎に漬け込む。容器は何でもいいが、果実瓶が適する。2ℓに30枚が適宜。葉先と軸を切って漬ける。尚、エキスの出た焼酎は、水虫に威力を発揮し、切り傷・擦り傷、髭剃り痕に佳い。スプレーに入れて花に散布は、晴天決行。

 1ヶ月から3ヶ月でエキスが摘出されるので、取り出して患部に貼る。手拭位の薄さがいい。包んで貼らないと、下着等色が付いて落ちない。冬場には、肌着か下着の上に、簡易懐炉を置く。温めるためだが、かぶれる方はしないことです。腹巻も個人の好みがあるので。

 枇杷葉エキスに、蓬・唐辛子・大蒜を加えると、その殆んどの花木に効果がある。これはモエに載っていた。自分の家の様子を研究して、散布してみて。気温や花木の勢い、或いは風や雨の降り具合にも影響するかも。庭に出て話してみたら、とてもよくわかるのです。

 年末の掃除には、枇杷葉茶を利用し、台所も風呂場も劇落ちになる方法。ボディソープを汚れに塗りつけ、枇杷葉茶を噴いて1晩置く。その後、雑巾で拭き取るか、流しで洗う。雑巾で拭き取る場合には、枇杷葉茶がいい。手あれもなくすっきりします。匂いもいいのよ。

 昨年の枇杷の実。枇杷葉の花芽の匂いが好きだった銀河。父や母に供え、銀河にも。数日したら、きれいになくなっていた。

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待望の休日

2014年01月03日 | Weblog

 休みだぁ!歓んでいたものの、上天気に起き出す。布団を干し、洗濯機を回す。日常的なことは正月と云えど、何等変化はないものだ。寝正月などあるまじき。お腹が空くので駄目です。昼前に嫁が連絡してくる。雑煮をする予定で待っていたら、賑やかにチャイムが鳴った。

 玄関を開けた孫が、明けまして、と言いつつ入ってくる。林檎を剥いたり、煎餅を出したりのもてなし。麦が生えてきたのを見せるが、あまり感動していない。蒔いた割には発芽していない。野鳥に啄ばまれたのか?孫に麦踏を教え、はだしのゲンのことを話す。昭和は遠い。

 穏やかな一日に、洗濯物も乾き、布団もふっくらした。自分が気持ちよくなりたい為だが、自然の力はすばらしい。その力がなくては、人間は何もできない。枇杷葉の花芽を嗅いで、心が和む。明けて暮れてゆくことも、当たり前であって、存在することも当然かもしれないが。

 自然の中に生かされていることを想えば、千歳一隅なのかもしれない。今日があるからと言って明日があるとは限らない。災いは何処にでもある。それらを気転であったり、運気を遣っての才気で補って、無難な日々を送りたい。枇杷葉にあまねく援けてもらっての現実だ。

 某新聞に、認知症の記事があり、それらを読んでいて、その通りと思う反面、実情はこれほど難しいことはない。何しろ、相手は生きており、日々過ごしているということがある。私達にできることは限られているし、一条の光さえ見えないこともある。共に考えて歩まなければ。

 人間は、歳を重ねていく毎に、尊敬もされ、価値も見出される。普通の人であって正しく、異なっているからと疎外できない。命を終えるその日まで、他人に添うことは容易くない。然しながら、症状に合った方法も見出し、努力することを学びながら、見守っていくしかない。

 日本の四季に通じる行事を、旧暦で行う手立てはないものか。新暦の速さには、高齢者は付いていけないことも、四季折々の食べ物や催しが、或いは記憶を呼び覚ますかもしれない。母や、祖母がしていたことが、今更のように思い出される。古里は何時も佳きものだ。

 昨年の夏に友人と訪れた。6月の中旬が見頃の笹百合。白色と、淡い桃色があり、薄い緑色もあった。パステル系の百合は美しい。

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明日は休み・・・

2014年01月02日 | Weblog

 勤務の人数上、致し方なくであったが、体がついていかなかった。今後は、どうあろうとも7連勤は止めよう。皆に迷惑がかかるし、体力的にもきつい。事故が起きてからでは遅い。何事もなく無事に済んで胸を撫で下したが、緊張の連続は保たない年齢になった。

 明日は寝ようと思っていたら、嫁が年始に行ってもいいか、と問うてくる。午後からにしてもらいたい由を伝える。孫等は、お年玉目当てなので、用意がいる。年賀状もやっと書き上げて投函。思いがけない方からも届いて、返事を認める。枇杷葉でのつながりだ。

 元旦に続いて、穏やかな天気である。個人的には初詣は旧暦で行くが、一般的には明日までなので、車を手配して参拝に。甘酒も振舞われたそうで、楽しい一時にうれしそうにされていた。一年の始まりが、どうぞ佳い年でありますように祈る。皆の思いも同じです。

 腰の痛みが出る。明日は、蒟蒻を温めて貼ろう。枇杷葉温圧療法は、枇杷葉の生葉と、温めた蒟蒻で行う。蒟蒻には、熱冷まし・熱取りにも効果があり、自然の力を借りるので、小さな子どもにはいいですね。但し、蒟蒻の臭いを嫌うなら無理。キャベツの葉も熱取り。

 子どもが熱を出すと、手拭を額に当てて、寝ずの番をしたものだ。小さな時には、ねんねこでおぶって一晩過ごしたもの。自分の体も厭わず、熱の下がることを祈っていた。今は直ぐに医者に行く。薬を投与するか、解熱剤を使う。医学が進んだ分、親の存在は薄い。

 扁桃腺を持っているのは、夜半からの高熱に、日中の疲れもあって、傍で居眠りすることも。枇杷葉茶を飲んでいたら、いつの間にか引っ込んでしまった。実に不思議なことだ。そんなことになるとは思わず、毎日飲んでいるだけであったが、その効果に驚いてしまう。

 枇杷葉の働きに、新陳代謝の加減もあるらしい。発汗が著しかったのが少なくなり、臭いも消えた。汗取りインナーは必要ない。夏場に汗は出ても、さらりとしているし、不快感がないのもうれしい。研究の余地があるというもので、更なる枇杷葉の威力にたまげる。

 今夏、初生りのサンタ枇杷。品種は田中で、長崎茂木と比べてみた。我が家での収穫なので、市販品とは格段の差がある。

 

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