(承前)
今村三峯(三峰とも)は明治期の小樽で活動した絵師の展示。
「美人画」の掛け軸が2点、扇絵が3点、鳥瞰図的な小樽港の絵3点(うち1点は複製)で全部なので、ミニ個展という感じのささやかな展示です。
今村三峯(三峰とも)は明治期の小樽で活動した絵師の展示。
「美人画」の掛け軸が2点、扇絵が3点、鳥瞰図的な小樽港の絵3点(うち1点は複製)で全部なので、ミニ個展という感じのささやかな展示です。
会場の説明文によると、今村三峯は天保元年(1830年)3月、伊達郡市柳村(現在の福島県伊達市保原町)で、庄屋の次男に生まれたとあります。
しかし、1830年3月は文政13年であり、もし「天保元年」が正しければ1831年生まれということになりそうです。
天保13年、江戸へ出て、春木南溟に花鳥画を学び、その後熊坂適山から山水画を教わりました。
適山は同郷(伊達生まれ)で、松前藩の家老でもある蠣崎波響に絵を習いました。
松前藩はそのころ、梁川に移されていたのです。
その関係で、1844年から松前藩の御用絵師を務めていた適山にかわり、文久4年(1864年)に、松前藩の藩主や藩士たちの絵画指南役となったようです。
明治11年(1878年)に、福山(現松前)生まれで小樽で財を成していた商人の山田吉兵衛のすすめで、小樽に移住し、同38年(1905年)に小樽で歿しました。
「札幌県後志国 小樽港 絵図」。
明治16年に版権免許、17年に出たようです。
開拓使が廃止されて北海道庁が置かれるまでの3年余り、北海道は函館、札幌、根室の3県に分かれていたのでした。
それにしても、すごい船の数ですね。
また、下部中央の山は、水天宮です。
いくらなんでも険しすぎると思います。
上は明治6年(ただし模写)、下は明治13年の「小樽港図」。
先の美人画もそうですが、アーティストというよりは絵師なので、自分の画業を極めるというよりは、もとめがあって「あれと同じものを」と頼まれたらほいほいと応じていたのではないかと思うのです。
なお、道立近代美術館も「富士山図」なる水墨画を所蔵しています。
筆者はすっかり忘れていましたが、2002年に北海道開拓記念館(現在の北海道博物館)で作品を見たことがあるようです。
2025年1月8日(水)〜3月31日(月)午前9時半~午後5時、定休日なし
小樽市総合博物館 運河館(色内2)
過去の関連記事へのリンク
■描かれた北海道 18、19世紀の絵画が伝えた北のイメージ (2002、画像なし)
・JR小樽駅から約750メートル、徒歩9分
しかし、1830年3月は文政13年であり、もし「天保元年」が正しければ1831年生まれということになりそうです。
天保13年、江戸へ出て、春木南溟に花鳥画を学び、その後熊坂適山から山水画を教わりました。
適山は同郷(伊達生まれ)で、松前藩の家老でもある蠣崎波響に絵を習いました。
松前藩はそのころ、梁川に移されていたのです。
その関係で、1844年から松前藩の御用絵師を務めていた適山にかわり、文久4年(1864年)に、松前藩の藩主や藩士たちの絵画指南役となったようです。
明治11年(1878年)に、福山(現松前)生まれで小樽で財を成していた商人の山田吉兵衛のすすめで、小樽に移住し、同38年(1905年)に小樽で歿しました。
「札幌県後志国 小樽港 絵図」。
明治16年に版権免許、17年に出たようです。
開拓使が廃止されて北海道庁が置かれるまでの3年余り、北海道は函館、札幌、根室の3県に分かれていたのでした。
それにしても、すごい船の数ですね。
また、下部中央の山は、水天宮です。
いくらなんでも険しすぎると思います。
上は明治6年(ただし模写)、下は明治13年の「小樽港図」。
先の美人画もそうですが、アーティストというよりは絵師なので、自分の画業を極めるというよりは、もとめがあって「あれと同じものを」と頼まれたらほいほいと応じていたのではないかと思うのです。
なお、道立近代美術館も「富士山図」なる水墨画を所蔵しています。
筆者はすっかり忘れていましたが、2002年に北海道開拓記念館(現在の北海道博物館)で作品を見たことがあるようです。
2025年1月8日(水)〜3月31日(月)午前9時半~午後5時、定休日なし
小樽市総合博物館 運河館(色内2)
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■描かれた北海道 18、19世紀の絵画が伝えた北のイメージ (2002、画像なし)
・JR小樽駅から約750メートル、徒歩9分
(この項続く)