(承前)
いよいよ本日のメインイベント、本郷新の数ある野外彫刻の中でも屈指の大きさを誇る「太陽の手」を見に行きます。
旭川・買物公園にあった多田美波作品が設置場所から姿を消してしまった現在、道内の野外彫刻でも最も高さのある作品のひとつではないかと思われます。
白糠町役場の前を離れ、国道の下をくぐる歩行者用道路を抜けて、白糠町市街を流れる茶路川を渡ります。
茶路川の岸辺に広がる丘の上に「太陽の手」は立っています。
茶路川をまたぐ白糠橋の上からでも小さく見えます。
橋を渡ると、左手に「坂の上公苑」の入り口があるので、そこから登っていきます。「太陽の手」は、墓地の真ん中にあるのです。
日本語としていささかぎこちない感がありますが、そのまま書き写しました。
あたりは墓地です。
塔からは、太平洋が一望できます。このような場所に墓が作られている例は道内ではよくみられ、今よりもずっと交通の便が悪かった当時、望郷の念を抱きつつ北海道に骨をうずめた先人たちの思いがしのばれます。
本郷新記念札幌彫刻美術館のサイトに「太陽の手」についての解説が、つぎのように載っています。
そして、サイトには続けて、本郷新の詩が引用されています。
白糠町の町民憲章は第1条が
「わたしたちは「太陽の手」をあおぐ白糠の町民であることに誇りと責任を感じ、ここに憲章を定めて豊かで明るく美しい白糠町をつくるために努力しましょう」
となっており、札幌市でいえば時計台に相当するような、マチのシンボルとされているようです。
マンホールのふたにもデザインされていました。
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いよいよ本日のメインイベント、本郷新の数ある野外彫刻の中でも屈指の大きさを誇る「太陽の手」を見に行きます。
旭川・買物公園にあった多田美波作品が設置場所から姿を消してしまった現在、道内の野外彫刻でも最も高さのある作品のひとつではないかと思われます。
白糠町役場の前を離れ、国道の下をくぐる歩行者用道路を抜けて、白糠町市街を流れる茶路川を渡ります。
茶路川の岸辺に広がる丘の上に「太陽の手」は立っています。
茶路川をまたぐ白糠橋の上からでも小さく見えます。
橋を渡ると、左手に「坂の上公苑」の入り口があるので、そこから登っていきます。「太陽の手」は、墓地の真ん中にあるのです。
太陽の手由来
この「太陽の手」は、開基八十周年を記
念とし本町開拓の先駆として、その
開発促進のため、献身努力され郷土の
今日的基盤を確立された開拓功労者
を始めとし、多年町治の振興に尽瘁
された功労者を讃えて永く町民感謝
の意を表することを目的として、彫
刻家本郷新先生の創造により、この顕
彰碑「太陽の手」を建立(昭和四十一年)た
くましい開拓の手これは過去現在将
来に共通する発展の象徴であり歴史
である。
天高く太陽を求め幸を築くことを希
望するものである。
平成五年釧路沖地震の発生により、
この「太陽の手」は手首部分から落下倒
壊となったが、平成六年十月石膏家
松平実先生の尽力により、修復され
たものである。
白糠町
日本語としていささかぎこちない感がありますが、そのまま書き写しました。
あたりは墓地です。
塔からは、太平洋が一望できます。このような場所に墓が作られている例は道内ではよくみられ、今よりもずっと交通の便が悪かった当時、望郷の念を抱きつつ北海道に骨をうずめた先人たちの思いがしのばれます。
本郷新記念札幌彫刻美術館のサイトに「太陽の手」についての解説が、つぎのように載っています。
《太陽の手》は、白糠町開拓功労者顕彰碑として、1966年に国道38号線から見える坂の上公苑に設置されました。高さ12.8メートルの塔に広げた左手が印象的な作品ですが、写実的な手の表現ではなく、指は角ばり、手のひらにはキリストの聖痕のごとく穴があけられています。具象彫刻家である本郷の野外彫刻の中では、特異な作品です。
(中略)
造形的には、塔の上に花が咲いたような形を最初に考えました。その後、イメージされた花は開拓記念碑にふさわしく、開拓者の手に変化しました。手は先人の崇高な精神を表現しています。困難を乗り越え原野を切り開いた開拓者の手の逞しさを強調するため、形は単純化されます。そして、太陽を呼び、太陽に応える手にするため、手の中央には大きな穴が穿たれます。手のひらに太陽が入り光り輝くイメージから、穿たれた穴には金箔が貼られました。
そして、サイトには続けて、本郷新の詩が引用されています。
「太陽の手 ある開拓記念碑に寄せて」
一つの大きな手が天空を 支える
逞しく強い樹のような手
その手は
ときに 太陽に応え
ときに 雲を呼び
ときに 風を待つ
その手はまた
荒野を沃土にかえた
鍬の手でもあるのか
その手はまた
太陽を抱いているのか
それとも
太陽それ自身でもあるか
あの 節くれた指は
五本の柱なのか
それとも
五条の光なのか
それとはともあれ
太平洋を望む
丘の上に
いま
開拓者の先人たちの
魂が蘇ったのだ
白糠開拓八十年の日に
太陽の手が
大地から天空に
向かって
聳え立ったのだ
白糠町の町民憲章は第1条が
「わたしたちは「太陽の手」をあおぐ白糠の町民であることに誇りと責任を感じ、ここに憲章を定めて豊かで明るく美しい白糠町をつくるために努力しましょう」
となっており、札幌市でいえば時計台に相当するような、マチのシンボルとされているようです。
マンホールのふたにもデザインされていました。
過去の関連記事へのリンク
■宮の森 この地が生んだ芸術 (2021)
本郷新「朝倉義衛翁」 オホーツク管内滝上町の野外彫刻(5)
本郷新「緑の環」ふたたび 苫小牧の野外彫刻(19)
本郷新「無辜の民」をもう一度見に来た(2020)
■本郷新と「無辜の民」(2019~20)
■彫刻家・本郷新の見た「異国」
長万部の野外彫刻
本郷新「相武吉治郎翁」 苫小牧の野外彫刻(4)
本郷新「緑の環」 苫小牧の野外彫刻(3)
本郷新「勇払千人同心」 苫小牧の野外彫刻(2)
本郷新「鳥の碑」(石狩)
彫刻倒れ職員けが 本郷新記念札幌彫刻美術館
本郷新「無辜の民」ー石狩・厚田アートの旅(2)
嵐の中の母子像
「マッサン」と、札幌・大通公園の彫刻「泉」の深い関係
本郷新「オホーツクの塔」
網走新聞のシリーズ記事「まちの彫刻」
札幌から函館への旅・続き=JR室蘭線の錦岡―社台間の車窓から見える「緑の環」
魚の彫刻を正面から見るとヘンな顔になっている件について
本郷新「三輪龍揚像」「小林篤一像」
本郷新「オホーツク海」
宮の森緑地で
■札幌第二中学の絆展 本郷新・山内壮夫・佐藤忠良・本田明二 (2009、画像なし)
■独創性への道標-ロダン・高村光太郎・本郷新展(2009年、画像なし)
札幌市西区・宮の森緑地(Miyanomori-greenhill,Sapporo)
本郷新「石川啄木像」 釧路の野外彫刻(11)
本郷新「釧路の朝」 釧路の野外彫刻(9)
本郷新「道東の四季 冬」 釧路の野外彫刻(6)
南部忠平顕彰碑
「北の母子像」本郷新
札幌・宮の森緑地 (鳥を抱く女、太陽の母子)
網走の野外彫刻
本郷新「奏でる乙女」
(この項続く)