Tears For Fears - Shout (Official Video)
(承前)
名古屋市美術館から、ベオグラード出身の作家の作品をもう一つだけ。
英国のニューウェイブバンド「ティアーズ・フォー・フィアーズ」が1984年にヒットさせた曲「シャウト」の歌詞を、セルビア人男性2人が聞き取っていく様子を撮影した、シンプルな映像作品。
2人とも英語が分からないので、自己流に書いていくのがおもしろい。
でも、1984年ぐらいまでは、音楽に興味のある日本の若者の大半は、米英のロックやポップスに耳を傾けていたから、その頃に中高生ぐらいの年齢で
「似たようなことやってたよな」
と、身に覚えのある人は多いかも。
筆者にも懐かしい曲です。
(日本にもバンドブームが訪れて、わざわざ海外のロックを聴かなくてもすむようになったのは、この直後)
公式サイト( https://aichitriennale.jp/artwork/N10.html )にも書かれているが、かつてのユーゴスラビアは六つの共和国からなる連邦国家であり
「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」
というのは有名なフレーズだ。
素朴な疑問として、ユーゴスラビア時代、人々はどうやってコミュニケーションをとっていたのだろう。
公用語だけで12の言語があるインドは、けっきょく英語がインテリの共通語になってしまっている。
日本は1980年代半ばからポップソングの内製化が急速に進んだ国であるが、それまではヒットチャート(とくにアルバムチャート)も英語帝国主義に押されていた。ベオグラードはどうだったのだろう。
(もうひとつ、日本の当時の事情に触れると、1984年ごろまでは英国のヒットチャートは日本でも関心が高く、ロンドンで何が聴かれているかをチェックする人は本当に多かった。たぶん、ビートルズの時代からニューウェイブあたりまでは、ロックの流行が、米国だけでなく、英国でもつくられていたからだろう。いま、よほどのマニアックな人でない限り、ロンドンの音楽の流行なんて知らないと思う)
ベオグラードというと、内戦下の1999年ごろ、まだインターネットが今ほど普及していない時代に、ネットラジオがオンエアされていて、筆者はときどき Windows98 のパソコンでそれにチャンネルを合わせていたことを思い出す。
もう番組のことは忘れてしまったが、凄惨な爆撃と、テクノロジーの尖端が同じ都市に同居していることが、なんだか不思議だった。
(承前)
名古屋市美術館から、ベオグラード出身の作家の作品をもう一つだけ。
英国のニューウェイブバンド「ティアーズ・フォー・フィアーズ」が1984年にヒットさせた曲「シャウト」の歌詞を、セルビア人男性2人が聞き取っていく様子を撮影した、シンプルな映像作品。
2人とも英語が分からないので、自己流に書いていくのがおもしろい。
でも、1984年ぐらいまでは、音楽に興味のある日本の若者の大半は、米英のロックやポップスに耳を傾けていたから、その頃に中高生ぐらいの年齢で
「似たようなことやってたよな」
と、身に覚えのある人は多いかも。
筆者にも懐かしい曲です。
(日本にもバンドブームが訪れて、わざわざ海外のロックを聴かなくてもすむようになったのは、この直後)
公式サイト( https://aichitriennale.jp/artwork/N10.html )にも書かれているが、かつてのユーゴスラビアは六つの共和国からなる連邦国家であり
「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」
というのは有名なフレーズだ。
素朴な疑問として、ユーゴスラビア時代、人々はどうやってコミュニケーションをとっていたのだろう。
公用語だけで12の言語があるインドは、けっきょく英語がインテリの共通語になってしまっている。
日本は1980年代半ばからポップソングの内製化が急速に進んだ国であるが、それまではヒットチャート(とくにアルバムチャート)も英語帝国主義に押されていた。ベオグラードはどうだったのだろう。
(もうひとつ、日本の当時の事情に触れると、1984年ごろまでは英国のヒットチャートは日本でも関心が高く、ロンドンで何が聴かれているかをチェックする人は本当に多かった。たぶん、ビートルズの時代からニューウェイブあたりまでは、ロックの流行が、米国だけでなく、英国でもつくられていたからだろう。いま、よほどのマニアックな人でない限り、ロンドンの音楽の流行なんて知らないと思う)
ベオグラードというと、内戦下の1999年ごろ、まだインターネットが今ほど普及していない時代に、ネットラジオがオンエアされていて、筆者はときどき Windows98 のパソコンでそれにチャンネルを合わせていたことを思い出す。
もう番組のことは忘れてしまったが、凄惨な爆撃と、テクノロジーの尖端が同じ都市に同居していることが、なんだか不思議だった。