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美術評論家・針生一郎さん死去

2010年05月27日 23時01分00秒 | 新聞などのニュースから
 けさ(2010年5月27日)の各紙に死亡記事が出ていました。
 共同通信プラス地方紙のサイト「47NEWS」から。

 針生 一郎氏(はりう・いちろう=前美術評論家連盟会長)26日午後0時2分、急性心不全のため川崎市宮前区の病院で死去、84歳。仙台市出身。

(中略)

 48年東北大卒。東大大学院で美学を学ぶ傍ら、花田清輝、岡本太郎らと芸術グループ「夜の会」で活動。美術界の旧弊を批判して前衛美術評論の草分けとして活躍、文学・社会など幅広い評論も展開した。韓国・光州ビエンナーレなどで問題提起的な展覧会を手がけ、日本アジア・アフリカ作家会議代表世話人などで第三世界にも目を向けた。新日本文学会代表世話人も務めた。

 和光大、多摩美術大、岡山県立大の教授を歴任。原爆の図丸木美術館(埼玉)、金津創作の森(福井)の館長に就いていた。著書に「戦後美術盛衰史」「わが愛憎の画家たち」など。


 札幌の有志の招きで、椹木さわらぎ野衣さんとともに、「トークバトル」と題した講演を道立近代美術館で行ったことがあります(2002年)。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~artnorth/sub200209a.htm#talkbattle

 ぬるい感想文のつづく「北海道美術ネット」のなかでは、例外的にレベルの高いスリリングな議論が展開されています(要は他人のふんどしなので、そこだけ高水準な議論になっているっていうだけなんですが)。よろしければ、お読みください。

 あと、光州ビエンナーレで、岡部昌生さん(北広島)の展覧会を手がけたのも針生さんだと思います。

 反権力、反骨の美術評論家であり、同時に、戦後日本を代表する美術評論家でもありました。
 そして、進歩派文学者の拠点の一つであった「新日本文学」の末期のまとめ役など、美術にとどまらない幅広い活動ぶりでした。

 あらためてご冥福をお祈りします。


 それにしても、架蔵しているはず(昔読んだはず)の「戦後美術盛衰史」が見当たらないんだよなあ。
 わたしの家の書棚には
捜している本に限って見つからない
という法則があるようです。


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2 コメント

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ご冥福をお祈りいたします (umeda)
2010-05-27 23:59:48
十勝国際美術展デメーテルに来ていただいた時に空港までお迎えに行った事がありました。その足でちょうど、お昼時でしたので一緒に蕎麦を食べた思い出があります。その後、会場を一週して直ぐに東京に帰ってしまったのは、あざやかというのか見切ったというのかそのばっさりと言い切った言葉が印象に今でも残っています。ここ数年はお身体を患っていたことは聞いていました。それにしても戦前、戦後を通じて美術の根幹を担って来られた業績はどんな評論家も太刀打ちはできない方だったように思います。それにしてもいつかはと思いつつ、残念な事ですね。
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umedaさん、こんにちは (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2010-05-28 13:34:52
針生さん、デメーテルにいらしていたのですね。シネノマドやキム・スージャなど、針生さんが評価なさらなかったのは残念でしたが、いい思い出になりましたね。
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