現代美術家の野村仁さんの訃報が8日の毎日新聞などに載っていたことに気づきました。
野村さんといえば、細長い「8」の字を描くように写された太陽の光跡の写真が、印象に残っています。
そして、この作品を道内で見たことがあるような記憶がずっと引っかかっていました。
しかし、現代アートの個展が道立近代美術館などで開かれるはずもなく、ギャラリーミヤシタやギャラリーレタラでコレクターお宝展などを見た記憶もありません。
一体、どこで?
かつて道立近代美術館が親子向けに毎年開いていた「A★MUSE★LAND(アミューズランド)」展。1999年(正確には1998年12月25日~1999年1月31日)の同展のテーマが「太陽と月・アートでものがたり」であり、そこに野村仁さんのくだんの作品が出ていたのです。
筆者はその展覧会の特集記事を当時(1月23日)、北海道新聞夕刊「悠遊らんど」で書いたので、記憶に残っていたのでした。
野村さんのその「8の字」とは、4年前の REBORN ART FESTIVAL で再会したのでした(冒頭画像)。
ご冥福をお祈りします。
末尾に、共同通信から配信された記事をうつしておきます。
過去の関連記事へのリンク
リボーンアート・フェスティバルー野村仁「Analemma–Slit : The Sun, Ishinomaki」(2019)
Re: play 1972/2015―「映像表現 '72」展、再演 (2015、画像なし)
野村さんといえば、細長い「8」の字を描くように写された太陽の光跡の写真が、印象に残っています。
そして、この作品を道内で見たことがあるような記憶がずっと引っかかっていました。
しかし、現代アートの個展が道立近代美術館などで開かれるはずもなく、ギャラリーミヤシタやギャラリーレタラでコレクターお宝展などを見た記憶もありません。
一体、どこで?
かつて道立近代美術館が親子向けに毎年開いていた「A★MUSE★LAND(アミューズランド)」展。1999年(正確には1998年12月25日~1999年1月31日)の同展のテーマが「太陽と月・アートでものがたり」であり、そこに野村仁さんのくだんの作品が出ていたのです。
筆者はその展覧会の特集記事を当時(1月23日)、北海道新聞夕刊「悠遊らんど」で書いたので、記憶に残っていたのでした。
野村さんのその「8の字」とは、4年前の REBORN ART FESTIVAL で再会したのでした(冒頭画像)。
ご冥福をお祈りします。
末尾に、共同通信から配信された記事をうつしておきます。
過去の関連記事へのリンク
リボーンアート・フェスティバルー野村仁「Analemma–Slit : The Sun, Ishinomaki」(2019)
Re: play 1972/2015―「映像表現 '72」展、再演 (2015、画像なし)
野村 仁氏(のむら・ひとし=美術家、京都市立芸術大名誉教授)3日午後6時39分、肺炎のため死去、78歳。兵庫県出身。葬儀は近親者で行った。
70年代から写真で重力や時間を可視化する作品を制作し、多様なメディアを使った活動を展開した。80年代には宇宙の秩序をテーマに、太陽の軌跡を撮影しつなぎ合わせた代表作「北緯35度の太陽」を発表。太陽エネルギーで米大陸を横断するソーラーカーのプロジェクトなどにも取り組んだ。
09年には東京・六本木の国立新美術館で大規模個展「野村仁 変化する相―時・場・身体」が開催された。