それぞれの時代に、膨大に発表された作品の数々は、年とともに淘汰されていく。長い歳月の後では、ごく一握りの有名な作家や作品については繰り返し言及され、引用されることで、知名度を高めていくが、それ以外の作品は全く語られることもなく忘却のふちに沈んでいく。
しかし、それら忘れられた作品は、歴史に残った名品と、それほど差があるのだろうか。筆者にはそうは思えない。
名作は、もちろん水準が高かったり、それまでの見方を一変させる劃期的なものであったりすることが多いが、運の良さも手伝って残った作品もあるのではないかという気がするのだ。
長々と前置きを書いてきたのは、冒頭画像の右端にある、「ジャンプ!」と題された一枚を見たからだ。
美術史の知識をある程度持っている人は、イブ・クラインの「空虚への跳躍」や、アンリ・カルティエ=ブレッソンがサン=ラザール駅裏で撮った1枚を思い出すのではないだろうか。
この2点が名作であることに異議があるというわけではない。
ただし「ジャンプ!」は、それらよりもかなり早い時期に撮影されている。
そして、先の2点とくらべて、写真作品としての水準が極端に違うとも思えない。
乾板の感度が低くシャッターを切りづらかった当時、少年が海へ飛び込む瞬間をとらえていて、印象に残る作品だ。
「ジャンプ!」が知られていないのは、先の2点がフランス人アーティストが広く世に問うたものであるのに対し、日本の端っこにいた、芸術家でもなんでもない男性が、たわむれにシャッターを切った1枚だからという理由もあるからではないか。
それにしても、カメラもガラス乾板も高価だった明治・大正期に、こんなユーモラスな写真を撮っていたことは注目に値すると思う。この時代の写真で、いまわたくしたちが見ることのできるのは、集合写真や記念写真などがほとんどだからだ。たまに町並みを撮ったものもあるが、こういうのは珍しい。
この写真を撮った柳田一郎は、根室の資産家に生まれた青年で、静岡県に旅する際にカメラを所望した(その手紙も、会場に展示してある)。
慶應義塾に学び、井上馨が監督を務める寄宿舎「時習舎」に暮らした。
人出が多く、たくさんののぼりがはためく浅草六区や、日本橋の白木屋、隅田川の渡船場などいずれも珍しい。
上野動物園では、カワウソの前に人だかりがしている。
ぜいたく品だった自動車(当時は、自働車と表記することが多かった)の写真もある。オープンカーに男3人が乗って皇居外苑を走っている。
旅先でとらえた写真は、現代の「撮り鉄」の先祖といえるかもしれない。
客車の最後尾でカメラを構え、鉄橋を撮った写真は、戦前期に流行したモダニスム写真やソヴィエトの構成主義を連想させるおもしろさだ。
順番が逆になったが、今回の展覧会は
「一郎の生い立ち」
「首都東京を撮る」
「学友たちとの旅」
「柳田家の人びと」
「ふるさと根室の風景」
の5部構成で、写真(複製)のほか、家系図や手紙資料などを含め、61点が展示されている。
「柳田家の人びと」では「ベッドで囲碁を打つ祖父」「丸髷の女」「読書の女」など、いかにも上流階級らしい家の人々をとらえたスナップが並ぶ。「中央公論」を読む女性なんて、当時としてはかなりハイカラな部類だろう。
根室のサケ漁などを撮った作品も興味深い。
2016年11月15日(火)~12月14日(水)午前9:00~午後5:30(最終日は4時まで)、ただし、11月20日(日)は休室
北海道庁旧本庁舎(赤れんが庁舎)1階5号会議室
□道立文書館のサイト http://www.pref.hokkaido.lg.jp/sm/mnj/gyouji/tokubetsuten/kikakuten.htm