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大友亀太郎像は「おおともかめたろう ぞう」と読むのだろう(追記あり)

2008年12月16日 21時28分15秒 | 街角と道端のアート
(※2017年12月、少し追記しました)

 大友亀太郎=天保5年(1834)-明治30年(1897)=は、開拓使よりも一足早く札幌に入植し、現在の創成川の前身である「大友堀」を掘削するなど、札幌開拓の祖のひとりとなった人です。
 現在の東区の生みの親といえるでしょう。
 (元町、丘珠など、現在の東区の大部分は、1955年に札幌市と合併するまで、札幌村という別の自治体でした)

 この大友亀太郎の像は、農民彫刻家として知られる松田与一さん(上川管内東川町)の手になるもの。
 もともと、創成川沿いに設置されていました。中央バスターミナルの近くです。
 創成川通の大規模工事に伴い、2005年に、札幌村郷土資料館の前に移設されました。

 ただ、創成川通の工事が終わると、もとの場所に戻るみたいです。


           




□札幌村郷土資料館 http://www.ncf.or.jp/wg/higashiku-nc/kinenkan/sapporomura.html


 ところで、わたしは個人的にはあまり信頼を置いていないのですが、Wikipediaというサイトがあり、そこでは大友亀太郎に、「おおどもかめたろう」という読みをつけています。
 また、札幌市立元町北小学校のサイトでも、わざわざクイズ形式で「おおども」が正しいと記してあります。
 いずれも、その根拠は示していません。

(※後註 2017年12月24日現在、Wiki では「おおとも」になっていました。元町北小のサイトは移転していました)


 「北海道大百科事典」や、札幌市教育委員会編のさっぽろ文庫「札幌人名事典」では
「おおとも」
となっています。
 「札幌市史」では、わざわざルビをふっていません。
 サイト「札幌の文化財」http://www.city.sapporo.jp/shimin/bunkazai/でも「おおとも」になっています。

 「大友」は、ふつうは「おおとも」であると思います。
 あえて「おおども」と、濁ってよませるからには、根拠を示してほしいです。
 世の中には、Wikipediaからコピーして調べ物はそれで終わり-という人が大勢いて、このまま放置しておくと、「おおども」が正しいということになってしまうかもしれませんから。


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13 コメント

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亀太郎さん (心霊スポット下のミト)
2008-12-17 12:19:40
昨年東区の思い出にタマネギ発祥の地の碑を見に行ったついでに札幌村郷土資料館行きました。
そこにいらっしゃったご婦人が熱く大友亀太郎さんについて語って下さいました。
・・で、どちらなんでしょう?

分からないのでまずは亀太郎さんとお呼びしましょう。

亀太郎さんは二宮尊徳氏のお弟子さんだったそうで、最近小学校の校庭などに金次郎像を見かけないなと思います。
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まあ、ふつうは「おおとも」でしょう (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2008-12-17 18:30:20
 コメントありがとうございました。
 ミトさん、じつはけっこう博物館系、好きですよね。雪印とか

 二宮金次郎の像でしたら、こちらをご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/h-art_2005/s/%C6%F3%B5%DC


 すこしまじめな話になりますが、たしかに大友亀太郎は二宮尊徳の弟子です。
 当初、幕府だか明治政府だかは、尊徳に北海道開拓を手がけてほしかったようです。しかし、固辞されたため、弟子の亀太郎が最初に道南に入り、続いて札幌へ移ってきたとのこと。

 二宮尊徳が幕末期の日本人にあたえた影響は大きいと、わたしは考えています。彼と石田梅岩の思想が、プロテスタンティズムに似た心性を日本人にもたらし、明治以降、資本主義の導入をスムーズにさせたのではないかとすら思います(証拠はないけどさ)。

 
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「おおども」が正しい理由 (h-toshi)
2015-10-23 16:30:47
30~40年位前だったと思いますが、郷土研究家が「おおども」と読むことを突き止め、北海道新聞の記事となっています。
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Unknown (ねむいヤナイ@北海道美術ネット別館)
2015-10-23 17:24:32
h-toshi さん、こんばんは。
郷土研究家が突き止め、とのことですが、そういう説を出したというのと、確たる証拠があるというのとでは、全く事情が異なります。

申し訳ありませんが
「30~40年位前の北海道新聞」
に載っていたというだけでは、正直なところ、証拠にはならないと思いますが。いかがでしょうか。
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おっしゃっている意味がわかりません (h-toshi)
2015-10-24 11:20:39
 史実はすべて説ではないのですか?小野妹子をおののいもこと読むべき証拠はなんですか?歴史研究家がそう読むという説を唱え、それが指示されていうだけです。ですから中には学説が幾つかあり、定説がないものもあります。大友亀太郎については、「おおども」と読むという研究結果がでたあと、それを否定する研究結果がでたという事実を私は知りません。それまで「おおとも」と読んでいたのは研究結果としてではなくただ単に現代の読みでそう読めるから読んでいただけです。私は、研究結果として「おおとも」と読むという学説は知りません。現在まで大友亀太郎の読みについての学説は1つしかないのではないですか。「おおとも」と読む歴史的根拠を示した方がいるのですか。いるのであれば、その説をあなたが支持し、「おおども」を否定するのはしかたがないと思います。
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続き (h-toshi)
2015-10-24 11:21:41
 私が情報を提供したのは、元町北小が「おおども」と読む根拠はたぶんそういうことですよ。ということを教えてさしあげただけです。私の考えでは、「北海道大百科事典」や、札幌市教育委員会編のさっぽろ文庫「札幌人名事典」が「おおとも」となっているのは郷土史研究の不足ではないかと思います。そうでなければ、読みについて併記しているはずですから。
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続き2 (h-toshi)
2015-10-24 19:39:40
 あなたが「説」というものですから,そうした論調でコメントしてしまいましたが,冷静に記憶を遡ってみると,その記事は「おおども」と読む説が新たに出てきたと言う内容ではなく,文献の中に「おおども」と読む証拠を郷土史研究家が見つけた。つまり,私の記憶か正しければ,説ではなく動かぬ証拠を見つけたとうい記事でしたよ。説ではありません。
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続き3 (h-toshi)
2015-10-24 19:41:05
 あなたもこのようなサイトを立ち上げているのであれば,私が寄せた情報にケチをつけるのではなく,その情報をもとにご自分で調べられてはいかがですか。市立図書館へ行けば北海道新聞の縮小版等が閲覧できるはずです。場合によっては,北海道新聞に問い合わせれば協力していただけるかもしれません。記事は郷土史研究家の写真入りで大きく扱われていましたから,半日もあれば探し出せると思いますよ。
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Unknown (Unknown)
2015-10-24 19:42:30
 ちなみにその記事は30~40年前と書きましたが,35~45年前の可能性のが高いと思います。その昔小学校3年生の授業では「私たちの札幌」という郷土を学習する内容の副読本がありました。私は創成川の川沿いに育ち,創成川には非常に興味を持っていました。是非とも確認して,このサイトで報告願いたいところですね。
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Unknown (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2015-10-24 22:09:03
「大友」は「おおとも」と呼ぶのが一般的であり、私は「おおども」という例を聞いたことがありませんし、たとえば「広辞苑」には「おおとも」の項に「姓の一つ」とありますが、「おおども」という項はありません。あなたが「記憶がある」と主張するのは勝手ですが、そう主張なさるのであれば、証拠を提示されてはいかがでしょう。一般と異なることをおっしゃるのであれば、おっしゃるほうがその証拠を提示するのが普通の手続きではないですか。「是非とも確認して,このサイトで報告願いたい」などとおっしゃっていますが、異説を提示する方がご報告してください。でなければ、「変わったことを言う人がいる」で終わりです。
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