北岡文雄氏死去 版画家(共同通信) - goo ニュース
全国紙よりも半日遅れになりましたが、北海道新聞はさすがに、道内との関係についても触れていましたので、ここで引用しておきます。
各紙ベタなのは、ちょっと意外。
浮世絵などは別にして、国際的な版画マーケットで、池田満寿夫や長谷川潔ら亡き後、もっとも通用している現代日本作家だという認識があったので。
戦後日本を代表する木版画家のひとりでしょう。
北海道には1年いただけですが、現在まで全道展会員を務め、版画部では押しも押されもせぬ存在感を持っていました。
道立近代美術館も多くの作品を所蔵しています。2002年に「回想・北海道の25人」という、北海道美術のベスト盤的な展覧会が同館で開かれた際も、版画では、一原有徳さんとならんで出品されていました(この人選は妥当だと思う)。
たしか、縦長の「風土連作」が展示されていたと記憶しています。
筆者は、北岡さんというと、なぜか「旅の宿の自画像」を思い出します。
最初に見た北岡作品だからかもしれません。
留萌管内増毛町のひなびた宿の窓際で、正面を向いている作者自身を彫っています。
その窓際に、石鹸箱やタオルのほかに、バイタリス(整髪料)が置かれているのが、なんだか妙にリアルな雰囲気をただよわせているように感じるんですね。「リアリズムの宿」というと、別の話になっちゃいますけど。
あと、「漁村の午后」とか「海辺の老人」などは、へたな道内の版画家よりも、道内の風土をしっかりとらえていると思わせます。
ご冥福をお祈りします。
全国紙よりも半日遅れになりましたが、北海道新聞はさすがに、道内との関係についても触れていましたので、ここで引用しておきます。
22日午後4時52分、肺炎のため死去、89歳。東京都出身。(中略)
1941年(昭和16年)、東京美術学校(現・東京芸大)油画科を卒業し、平塚運一に木版画を学ぶ。55年にフランスに留学し、帰国直後の56年から約1年間、妻の故郷の札幌に滞在し、札幌版画協会(現・北海道版画協会)の創設にかかわり、道内版画界に大きな影響を与える。その後東京を拠点に活動、日本と中国の木版の技法を融合する作風で知られる一方、「北方志向」を標榜(ひょうぼう)し、度々道内を訪れては「島牧海岸」「羅臼岳錦秋」「札幌モエレ沼」など道内ゆかりの作品を残した。全道展、日本版画協会、春陽会などの会員。日本美術家連盟理事長も務めた。
主な画集・随筆集は「祖国への旅」「版木のなかの風景」「版と造形の探究」など。中国や米国、旧ソ連なども訪れ、木版画を通じた国際交流にも尽力した。
各紙ベタなのは、ちょっと意外。
浮世絵などは別にして、国際的な版画マーケットで、池田満寿夫や長谷川潔ら亡き後、もっとも通用している現代日本作家だという認識があったので。
戦後日本を代表する木版画家のひとりでしょう。
北海道には1年いただけですが、現在まで全道展会員を務め、版画部では押しも押されもせぬ存在感を持っていました。
道立近代美術館も多くの作品を所蔵しています。2002年に「回想・北海道の25人」という、北海道美術のベスト盤的な展覧会が同館で開かれた際も、版画では、一原有徳さんとならんで出品されていました(この人選は妥当だと思う)。
たしか、縦長の「風土連作」が展示されていたと記憶しています。
筆者は、北岡さんというと、なぜか「旅の宿の自画像」を思い出します。
最初に見た北岡作品だからかもしれません。
留萌管内増毛町のひなびた宿の窓際で、正面を向いている作者自身を彫っています。
その窓際に、石鹸箱やタオルのほかに、バイタリス(整髪料)が置かれているのが、なんだか妙にリアルな雰囲気をただよわせているように感じるんですね。「リアリズムの宿」というと、別の話になっちゃいますけど。
あと、「漁村の午后」とか「海辺の老人」などは、へたな道内の版画家よりも、道内の風土をしっかりとらえていると思わせます。
ご冥福をお祈りします。
私も「旅の宿の自画像」が好きですね。宿で所在なく「なんで来ちゃったんだろう」と、途方にくれたような顔に見えるところが良いです。
なんか、急に正面向かれて、こっちもどぎまぎしちゃいますよね。
でも、やっぱり気になるのは、バイタリス。
さいきんはあまり見ませんよね。
話は変わりますが「増毛、植毛を真剣に考えるブログ」からトラバがきてるのが、笑えます。