(承前)
どうしてTwitterが急速に広まってきているのか、この本ではわかりやすく解説している。
mixiなどとちがった「ゆるさ」が特徴だというのは、まったく同意である。
個人的に思い当たるポイントをふたつ挙げておきたい。
この本でいちばん印象的だったのは、次のくだりだった(164ページ)。
Twitterの女王、音楽家の広瀬香美さんにTwitterでインタビューしたさいの答えである。
そういえば、フォローしている人が多くて、Twitterでは有名人のすがやみつるさんも、Twitterのあたたかさを、初期のパソコン通信などにたとえていることが、ときどきある。
あたたかいと表現されるサービスの登場は、日本のインターネットの歴史では画期的なことではないだろうか(パソコン通信は、厳密にはインターネットではないけれど)。
私見では、日本のネット空間が殺伐として、つめたくなってしまい「バカと暇人ばかり」になっているように見えるのは、まあおおかた2chのせいであろう。
社会常識をわきまえた多くの人間であれば、犯罪予告をしたり、気に入らない人間の住所や名前を公開(「晒す」)したり、「氏ね」「ブサヨは外国にでも行け」などと書き込んだり、といったことはやらないはずである。
そういうレベルの低い行為をする人間は、実社会であろうとネット空間であろうと少数派のはずなのだが、ネット空間では、暇人のほうが接する時間が長くなり書き込む回数も多くなるので、いきおい非常識な言説が幅を利かせるようになる。
実社会で忙しい多くの人々。彼(女)らのことを、ネット漬けになっている人たちは、自虐と軽蔑の入り交じったニュアンスをこめて「リア充(=リアル充実の略)」と呼ぶけれど、社会全体では多数派の「リア充」の書き込みが、ネットで検索をかけると少数派の声になってしまうわけだ。
最初は、承認制をとって、そういうめんどうな人たちを排除するシステムがあったmixiも、普及するにしたがって、spamみたいな足跡がどんどん増えてくる。
blogも、アフィリエイト以外に目的のないような屑blogがトラバを送ってきて、めざわりになってきている。
いまのところ、Twitter(ツイッター)は、普及し始めたばかりで、その手の非常識な人間がそもそも少ないし、不愉快な書き込みをする相手はブロックできる。だから、いやな言説は見なくてもすみ、炎上も起こらない(=認知できない)システムができあがっているのだ。
もっとも、Twitterのもうひとつの特徴は、中毒性だと思う。
筆者も、タイムラインすべてを追っかけなくてはなんとなく落ち着かないまでになってしまった。
これは、文章が短くて済み、ケータイからの投稿も簡単であるという性質と合わせ、リア充な人にはあまり向いてない特質だから、早晩、2ちゃんねらー的な暇人が大勢やってこないとも限らない。
いまのところ、そういうことにはなっていないけど。
(続くかも)
どうしてTwitterが急速に広まってきているのか、この本ではわかりやすく解説している。
mixiなどとちがった「ゆるさ」が特徴だというのは、まったく同意である。
個人的に思い当たるポイントをふたつ挙げておきたい。
この本でいちばん印象的だったのは、次のくだりだった(164ページ)。
ツイッターは、必ず近い将来、時代を作ると確信しています。なぜならば、こんなに簡単に、仲間の素晴らしさを教えてくれるのですから。今も、リアルタイムで、みんなのあたたかい応援の気持ちが、私の心に飛んできます。人生は、孤独だけれど、ここには、あたたかな仲間がいます。
Twitterの女王、音楽家の広瀬香美さんにTwitterでインタビューしたさいの答えである。
そういえば、フォローしている人が多くて、Twitterでは有名人のすがやみつるさんも、Twitterのあたたかさを、初期のパソコン通信などにたとえていることが、ときどきある。
あたたかいと表現されるサービスの登場は、日本のインターネットの歴史では画期的なことではないだろうか(パソコン通信は、厳密にはインターネットではないけれど)。
私見では、日本のネット空間が殺伐として、つめたくなってしまい「バカと暇人ばかり」になっているように見えるのは、まあおおかた2chのせいであろう。
社会常識をわきまえた多くの人間であれば、犯罪予告をしたり、気に入らない人間の住所や名前を公開(「晒す」)したり、「氏ね」「ブサヨは外国にでも行け」などと書き込んだり、といったことはやらないはずである。
そういうレベルの低い行為をする人間は、実社会であろうとネット空間であろうと少数派のはずなのだが、ネット空間では、暇人のほうが接する時間が長くなり書き込む回数も多くなるので、いきおい非常識な言説が幅を利かせるようになる。
実社会で忙しい多くの人々。彼(女)らのことを、ネット漬けになっている人たちは、自虐と軽蔑の入り交じったニュアンスをこめて「リア充(=リアル充実の略)」と呼ぶけれど、社会全体では多数派の「リア充」の書き込みが、ネットで検索をかけると少数派の声になってしまうわけだ。
最初は、承認制をとって、そういうめんどうな人たちを排除するシステムがあったmixiも、普及するにしたがって、spamみたいな足跡がどんどん増えてくる。
blogも、アフィリエイト以外に目的のないような屑blogがトラバを送ってきて、めざわりになってきている。
いまのところ、Twitter(ツイッター)は、普及し始めたばかりで、その手の非常識な人間がそもそも少ないし、不愉快な書き込みをする相手はブロックできる。だから、いやな言説は見なくてもすみ、炎上も起こらない(=認知できない)システムができあがっているのだ。
もっとも、Twitterのもうひとつの特徴は、中毒性だと思う。
筆者も、タイムラインすべてを追っかけなくてはなんとなく落ち着かないまでになってしまった。
これは、文章が短くて済み、ケータイからの投稿も簡単であるという性質と合わせ、リア充な人にはあまり向いてない特質だから、早晩、2ちゃんねらー的な暇人が大勢やってこないとも限らない。
いまのところ、そういうことにはなっていないけど。
(続くかも)
これからも頑張って下さい!