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関口雄揮さん死去

2008年07月20日 22時34分59秒 | 新聞などのニュースから
 北海道新聞08年7月19日朝刊から。

関口雄揮さん(せきぐち・ゆうき、本名雄三郎=ゆうざぶろう=、日本画家)17日午後7時5分、心不全のため死去、85歳。埼玉県出身。自宅は千葉県(中略)。 道内の風景を描き続け、2005年、札幌市南区に日本画など3千点を収蔵する「関口雄揮記念美術館」がオープンした。



http://www.sekiguchi-muse.jp/

 同美術館のサイト(上にリンク)に関口さんの年譜が載っている。
 それによると、

1942年 東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科入学
1943年 戦況の悪化により学徒出陣。旧・満州へ出征
1948年 東京藝術大学日本画科卒業。【晩秋呼冬】で日展第一部(日本画部)に初入選
1952年 戦後初の文部省給費留学生として渡仏、アカデミー・ランソンに入学
1953年 帰国
1954年 東山魁夷に師事
1977年 北海道の冬を題材とした【凍原】を制作。これ以後、北海道の自然を描き続ける


 筆者は関口さんにお会いしたことはないが、書状のやりとりは何度かある。
 相当以前のことだが、デッサンと短いエッセーの執筆をお願いしたのがきっかけだ。
 「美術の窓」で、日展出品作の絵の図版を見た。小さな図版からでも、北国の厳しい自然に向かい合う心意気のようなものが、つたわってきたので、依頼したのだった。

 芸術の森のすぐ近くにある関口雄揮美術館で作品を見ると、師匠・東山魁夷の影響は明らかながらも、モノトーンを基調に、北海道の自然を凝視しつづけ描きつづけた画家の一途な歩みには、感服せざるを得ない。

 ご冥福をお祈りします。


 以下、書かずもがなのこと。

 有名人が亡くなった直後、検索サイトでその人の名をひくと、各新聞社のサイトばかりが上位に来て、調べるのにかえってわずらわしかったりするが、「関口雄揮」の場合はそうではなかった。
 日展という組織は、やたらと役職が多いところで、理事だの監事だのという肩書きのついた記事がくれば、死亡記事として載せざるを得ない-というところがある。

 意外にも、関口さんは、たんなる「会員」であって、役員ではなかった。だから、各紙には死亡記事が出ていない。
 力量からみて、もっとえらい人なのかと、素朴に思っていた。

 日展も大きな組織だから、えらくなるためには、それなりにいろいろなしがらみなどがあるのだろう。推測にすぎないが。
 関口さんが北海道に足繁く通っていたのは、案外、そういうものからのがれていたかったのかもしれない-というのは、うがちすぎだろうか。


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