北海道の美術界の特徴として、全道(全県)的な団体公募展が複数あることのほか、北海道があまりに広すぎるので、各地域にもそれぞれ団体公募展が存在することが挙げられる。
ただし、札幌にはない。
函館など道南には、赤光社と道南美術協会。
旭川など道北には、純正展と新ロマン派。
釧路には釧美展。
帯広など十勝には平原社。
そして、北見などオホーツク地方には、オホーツク美術協会があり、今年で第50回展を迎えた。
「北海道の団体公募展」というと、なんだかすごく田舎くさいものだと受け取られるかもしれないが、実は、道展や全道展、新道展よりも入賞・会員推挙が難しい全国の団体公募展はそれほど多くない。人によっては、全国、全道、各地方と三つも団体公募展に所属する煩雑さを嫌って、全国と各地方、全道と各地方の二つだけに出品している人もけっこういる。
地方の団体公募展だからといって、なかなか侮れないのである。
オホーツク美術協会は「全北見美術協会(仮称)」として、1962年に第1回展を開いた。
創立会員は、次の通り。
こうして書き写していても、半分くらいは存じ上げないのだが…。
すごいと思うのは、今も会員として活躍しているメンバーがけっこういるということだ。
岡崎、勝谷、木村、田丸、林、堰代の5氏である。
さらに、鷲見憲治さんと横森政明さんは、すでに会員を退いているが、50回展には「招待」として絵画を出品している。
少し追記しておくと、村瀬真治は紋別出身で、流氷の画家として知られた人。
谷口百馬は彫刻家で、管内にも野外彫刻がいくつかある。
大江啓二は温根湯温泉の老舗「大江本家」の経営者ながら絵筆を執り、全道展でも入選した。
金田明夫さんは、会は退いたがご存命で、北海道新聞オホーツク版に時折エッセーを書いている。
亀浦忠夫さんは、美術文化協会の会員。
香川軍男は、イモ版画で名高い。川上澄生にも絶讃された。
松田陽一郎、納直次の両氏は、手堅い水彩画家である。
田中盛夫は、にぎやかな景色を描いた道展会員だった。
景川弘道はアトリエをポンピリカ美術館と称し、鷲見さんや香川さんとともにオホーツク美術の黎明期を担った人だった。
その後の動きを、年表から拾う。
第2回には神田比呂子さん(彫刻家、全道展会員)、第3回には神田一明さん(画家、全道展会員)が会員になっている。転勤でこの地方に移ってきて、いきなり会員に遇されたのだろう。
いまは札幌在住の銅版画家、福岡幸一さんが第4回(1965年)で入賞、第8回(70年)で協会賞を受けて、同年会友となっている。この頃は、フォービスム的な油彩を制作していたはずだ。
第15、16回には、小林さと枝さんが入賞し、16回で会友。のちに北見から札幌に転居している。
ここまで挙げた4人は、いずれも現在はオホーツク美術協会には所属していない。
さらにかつての会員には、安藤康弘(銅版画)、重富民子(陶芸)といった名も見える。
忘れがたいのは、「しばれ焼き」で知られる陶芸家で、昨年亡くなった安藤瑛一さんが第18回(80年)に協会賞を得ていること。
翌81年に北見教育長賞を得て会友、早くも82年には第20回記念大賞を受けて、会員に推挙されている。
このとき、大賞に次ぐ道新賞を得たのが管恵子さんで、風刺画的な人物画を描き、道展にも出品を続けている。全北見では27回に会員に。
また、春陽会と道展の会員で、縛られた人体を宗教的な境地から描く美幌の安田完さんが、やはり18回に支庁長賞、19回に道新賞を得て、19回で会友、20回で会員となっている。
主体美術会員で美幌の渡辺良一さんは27、28回と2年連続の協会賞で、29回で会員。
また、安藤門下の古山容子、毛利萬里子、柳原光代の各氏も、36回から39回にかけて会員となっており、いまや陶芸は、絵画とならぶオホーツク美術展の柱に成長している。
なお、85年の第23回展から、北網圏北見文化センター美術館が完成して会場を移し、現在に至っている。
97年の第35回を機に団体名をオホーツク美術協会に改めている(決定は第34回展の総会でのことらしい)。
第35回展のころ、会員と会友あわせて103人を数えたが、現在は71人。
一般出品者も227点あったが、今年は148点にとどまった(これでも前年より20点増えている)。
若い層の出品が少ない悩みは、おそらく他の団体公募展も同様であると思う。
ただ、オホーツク美術協会の場合、若い作家が団体公募展離れをしているというよりは、そもそも美術の制作に取り組んでいる若い人がごく少ないという事情がある。出品を呼びかけようにも、呼びかける対象がいないのだ。
オホーツク管内には三つの大学があるが、美術系はおろか、いまは文系の学部が存在しない(かつては道都大が美術学部を擁していた)。忙しい理系の大学生がアートに触れ、制作に取り組むことは、あまり期待できまい。
少子化にともない、美術教師を配している学校も、どんどん減っている。
さらに、カルチャースクール(道新文化センターなど)でも、絵画などの教室は少ない。水墨画の教室などはそこそこにぎわっているようだが…。
網走にはちゃんとした美術館があるが、北見の北網圏北見文化センター美術館は専任の学芸員がいない。
暗い話ばかりになってしまったが、こういう環境でなお148点が陳列される美術展があるということ自体、すごいことなのかもしれない。
どんな地方にも、創作に打ち込んでいる人がいるのだ。
ただし、札幌にはない。
函館など道南には、赤光社と道南美術協会。
旭川など道北には、純正展と新ロマン派。
釧路には釧美展。
帯広など十勝には平原社。
そして、北見などオホーツク地方には、オホーツク美術協会があり、今年で第50回展を迎えた。
「北海道の団体公募展」というと、なんだかすごく田舎くさいものだと受け取られるかもしれないが、実は、道展や全道展、新道展よりも入賞・会員推挙が難しい全国の団体公募展はそれほど多くない。人によっては、全国、全道、各地方と三つも団体公募展に所属する煩雑さを嫌って、全国と各地方、全道と各地方の二つだけに出品している人もけっこういる。
地方の団体公募展だからといって、なかなか侮れないのである。
オホーツク美術協会は「全北見美術協会(仮称)」として、1962年に第1回展を開いた。
創立会員は、次の通り。
鷲見憲治、村瀬真治、山根博、景川弘道、谷口百馬、佐藤信勝、村瀬登貴子、久保義春、大江啓二、高橋俊雄、金田明夫、山崎祐春、岡崎公輔、亀浦忠夫、勝谷明男、佐藤秀雄、松元光雄、佐藤順四郎、永地恒夫、藤田周平、木村晴一、菅原隆治、香川軍男、横森政明、石川俊一、田中盛夫、古賀武治、堰代大幹、中沢巽、田丸忠、松田陽一郎、林弘堯、柏木定信、納直次、柴田省三、樋口昭弘、畠山嘉康、加藤仁一、藤沢晃
こうして書き写していても、半分くらいは存じ上げないのだが…。
すごいと思うのは、今も会員として活躍しているメンバーがけっこういるということだ。
岡崎、勝谷、木村、田丸、林、堰代の5氏である。
さらに、鷲見憲治さんと横森政明さんは、すでに会員を退いているが、50回展には「招待」として絵画を出品している。
少し追記しておくと、村瀬真治は紋別出身で、流氷の画家として知られた人。
谷口百馬は彫刻家で、管内にも野外彫刻がいくつかある。
大江啓二は温根湯温泉の老舗「大江本家」の経営者ながら絵筆を執り、全道展でも入選した。
金田明夫さんは、会は退いたがご存命で、北海道新聞オホーツク版に時折エッセーを書いている。
亀浦忠夫さんは、美術文化協会の会員。
香川軍男は、イモ版画で名高い。川上澄生にも絶讃された。
松田陽一郎、納直次の両氏は、手堅い水彩画家である。
田中盛夫は、にぎやかな景色を描いた道展会員だった。
景川弘道はアトリエをポンピリカ美術館と称し、鷲見さんや香川さんとともにオホーツク美術の黎明期を担った人だった。
その後の動きを、年表から拾う。
第2回には神田比呂子さん(彫刻家、全道展会員)、第3回には神田一明さん(画家、全道展会員)が会員になっている。転勤でこの地方に移ってきて、いきなり会員に遇されたのだろう。
いまは札幌在住の銅版画家、福岡幸一さんが第4回(1965年)で入賞、第8回(70年)で協会賞を受けて、同年会友となっている。この頃は、フォービスム的な油彩を制作していたはずだ。
第15、16回には、小林さと枝さんが入賞し、16回で会友。のちに北見から札幌に転居している。
ここまで挙げた4人は、いずれも現在はオホーツク美術協会には所属していない。
さらにかつての会員には、安藤康弘(銅版画)、重富民子(陶芸)といった名も見える。
忘れがたいのは、「しばれ焼き」で知られる陶芸家で、昨年亡くなった安藤瑛一さんが第18回(80年)に協会賞を得ていること。
翌81年に北見教育長賞を得て会友、早くも82年には第20回記念大賞を受けて、会員に推挙されている。
このとき、大賞に次ぐ道新賞を得たのが管恵子さんで、風刺画的な人物画を描き、道展にも出品を続けている。全北見では27回に会員に。
また、春陽会と道展の会員で、縛られた人体を宗教的な境地から描く美幌の安田完さんが、やはり18回に支庁長賞、19回に道新賞を得て、19回で会友、20回で会員となっている。
主体美術会員で美幌の渡辺良一さんは27、28回と2年連続の協会賞で、29回で会員。
また、安藤門下の古山容子、毛利萬里子、柳原光代の各氏も、36回から39回にかけて会員となっており、いまや陶芸は、絵画とならぶオホーツク美術展の柱に成長している。
なお、85年の第23回展から、北網圏北見文化センター美術館が完成して会場を移し、現在に至っている。
97年の第35回を機に団体名をオホーツク美術協会に改めている(決定は第34回展の総会でのことらしい)。
第35回展のころ、会員と会友あわせて103人を数えたが、現在は71人。
一般出品者も227点あったが、今年は148点にとどまった(これでも前年より20点増えている)。
若い層の出品が少ない悩みは、おそらく他の団体公募展も同様であると思う。
ただ、オホーツク美術協会の場合、若い作家が団体公募展離れをしているというよりは、そもそも美術の制作に取り組んでいる若い人がごく少ないという事情がある。出品を呼びかけようにも、呼びかける対象がいないのだ。
オホーツク管内には三つの大学があるが、美術系はおろか、いまは文系の学部が存在しない(かつては道都大が美術学部を擁していた)。忙しい理系の大学生がアートに触れ、制作に取り組むことは、あまり期待できまい。
少子化にともない、美術教師を配している学校も、どんどん減っている。
さらに、カルチャースクール(道新文化センターなど)でも、絵画などの教室は少ない。水墨画の教室などはそこそこにぎわっているようだが…。
網走にはちゃんとした美術館があるが、北見の北網圏北見文化センター美術館は専任の学芸員がいない。
暗い話ばかりになってしまったが、こういう環境でなお148点が陳列される美術展があるということ自体、すごいことなのかもしれない。
どんな地方にも、創作に打ち込んでいる人がいるのだ。
(この項続く)