(承前)
2009年夏。
函館に行って、ハコトリと同じくらい印象に残った光景がある。
駅前に広がる大門地区の寂しさである。電車通りに面した店は大半が営業しているようだったが、一歩中通りに入ると、廃墟になったままの建物も多い。
ここでちょっとおさらいしておくと、もともと函館の繁華街は、十字街と呼ばれるあたりだったという。
ハコトリ(11)のエントリでも紹介した、函館市地域交流まちづくりセンターの周辺だ。
戦後の高度成長期に栄えたのが、函館駅周辺の大門地区。今でも「棒二森屋」という百貨店がある。
現在、函館の中心商店街とされているのは、丸井今井百貨店のある五稜郭地区である。
ただ、平均的な函館市民は、産業道路とよばれるバイパス沿いにあるイトーヨーカドーやニトリなどに、車で買い物に行くことが多いのではないだろうか。
これほど、マチのにぎわいの中心が移っていった都市も珍しい。
冒頭と2番目の画像は、大門地区にあったキャバレー未完成。
1970年に現在地に移転し、93年に閉店した。
キャバレーという業態自体が最近の若い人にはピンとこないと思う(筆者もよく分からない)。
男性が店の女性と一緒に飲む大型の酒場で、ジャズバンドなどの生演奏があるのが通例。かつては大物歌手の巡業先でもあった(クレージーキャッツの映画にしばしば登場するので、興味のある方はビデオなどでどうぞ)。
要するに、派手な社交場だったようだ。
さび付いたシャッターの写真を撮っていると、古びた大型車に乗ってやや不良っぽい若者たちがやって来た。
そして、附近にたむろしていた若者たちと話をしている。
彼らがひどく退屈しているのがうかがえる。
いささか驚いた。こんな「アメリカングラフィティ」そのままの世界が現実にあるなんて!
最盛期を過ぎた地方都市で若者がすることもなく退屈な昼間のひとときをもてあましている。
あまりに図式的すぎて、うそみたいだ。
右上方に見える赤に白地の看板は「棒二森屋」のもの。
函館で一、二を争う百貨店のすぐそばに、こんな空き地があるのだ。
これはちょっと離れた場所にある、昭和っぽい酒場のある小路。
(この項続く)
2009年夏。
函館に行って、ハコトリと同じくらい印象に残った光景がある。
駅前に広がる大門地区の寂しさである。電車通りに面した店は大半が営業しているようだったが、一歩中通りに入ると、廃墟になったままの建物も多い。
ここでちょっとおさらいしておくと、もともと函館の繁華街は、十字街と呼ばれるあたりだったという。
ハコトリ(11)のエントリでも紹介した、函館市地域交流まちづくりセンターの周辺だ。
戦後の高度成長期に栄えたのが、函館駅周辺の大門地区。今でも「棒二森屋」という百貨店がある。
現在、函館の中心商店街とされているのは、丸井今井百貨店のある五稜郭地区である。
ただ、平均的な函館市民は、産業道路とよばれるバイパス沿いにあるイトーヨーカドーやニトリなどに、車で買い物に行くことが多いのではないだろうか。
これほど、マチのにぎわいの中心が移っていった都市も珍しい。
冒頭と2番目の画像は、大門地区にあったキャバレー未完成。
1970年に現在地に移転し、93年に閉店した。
キャバレーという業態自体が最近の若い人にはピンとこないと思う(筆者もよく分からない)。
男性が店の女性と一緒に飲む大型の酒場で、ジャズバンドなどの生演奏があるのが通例。かつては大物歌手の巡業先でもあった(クレージーキャッツの映画にしばしば登場するので、興味のある方はビデオなどでどうぞ)。
要するに、派手な社交場だったようだ。
さび付いたシャッターの写真を撮っていると、古びた大型車に乗ってやや不良っぽい若者たちがやって来た。
そして、附近にたむろしていた若者たちと話をしている。
彼らがひどく退屈しているのがうかがえる。
いささか驚いた。こんな「アメリカングラフィティ」そのままの世界が現実にあるなんて!
最盛期を過ぎた地方都市で若者がすることもなく退屈な昼間のひとときをもてあましている。
あまりに図式的すぎて、うそみたいだ。
右上方に見える赤に白地の看板は「棒二森屋」のもの。
函館で一、二を争う百貨店のすぐそばに、こんな空き地があるのだ。
これはちょっと離れた場所にある、昭和っぽい酒場のある小路。
(この項続く)
残っている店に、何とも言えない名店があるのも、間違いないです。
私は函館に行くと、どちらかというと五稜郭付近よりは、駅前に行ってしまいますね。
今回に関しては
「地方都市で退屈を紛らわす若者」
の実物を目撃したのが最大の衝撃でした。
ステレオタイプな人物像って、かえってうそ臭いと思うんですけど、でもやっぱり、いるんだな~と。
>の実物を目撃したのが最大の衝撃でした。
ヤナイさん、こんにちは、
やはり函館位の町の規模感だと、いるんですね。
もっと小さい町だと、本当に若者ってあまり見かけないような気がします。
今、しみじみと考えていますが(私も年を取った)、その子たちは
「どうにかしたい」「ここじゃない」という気持ちを抱えているんでしょうか。
それとも、もう未来が見えないような気がしちゃってるんでしょうかね。
そうですね、GLAYじゃないけど、若者が
「ここではないどこかへ」
という意識を持つことじたいは、以前からの、普通のことだと思います。
もっとも、ただヒマしてねーで、なんかやれよ、とも思ったりもするわけです。
なんか、もったいないよな、せっかく若いのに、と(^^
僕は昭和40年代、函館生まれで生後から30歳まで函館に住んでいました。
最近、歳のせいか、自分が生れ育った故郷がやたらと懐かしく思えてきて、とくに平成以前、繁華街として全盛期だった頃の大門地区、駅前地区に想いを馳せていて暇さえあればネットで画像検索しています。
そんなときの自分って現実逃避しているようで「まるで廃人じゃないか」と思ってしまします。それはさておき、廃墟となった「ミカド」は衝撃的です。そして男澤商店周辺の寂しさ。確か90年頃までこの通りで叔母が小さなスナックを営んでいました。
幼い自分は開店前のスナックで遊んでいた記憶があります。確かその当時は並びにペットショップと本屋さんがあったように記憶していますが・・・
わたしは昔の函館をまったく知らないので、変化については、写真や文献などで知るしかないのですが、「未完成」のほかに「ミカド」という建物があったのでしょうか。
ミカドというと、札幌・中島公園の近くのキャバレーを思い出します。
本屋さんというのは、この函館シリーズの次項にある、森文化堂のことでしょうか。
また、時おりいらしてくださればうれしいです。
こんばんは。早速のお返事ありがとうございます。
件の本屋さんはヤナイさんの画像にも写っている男澤商店さんの並びと記憶しているので大森一番通り沿いだったと記憶しています。
間口二間くらいの小さなお店だったような。
お隣がこれまた小さなペットやさんだったかも。
森文化堂は松風町電停前の地元では大型店の部類の本屋さんですね。
そうそう大型キャバレーといえばミカドもありましたね。
自分自身は飲み行ったことはありませんが黒くて大きな看板が印象的でした。
懐かしいなぁ
いま、函館の駅周辺や西部地区で本を買おうとすると相当に大変ですね。
それと、未完成と別にミカドというキャバレーがあったんですねえ。
函館はいまや産業道路沿いなどの郊外地区がすっかり商業の中心地になってしまったと思います。