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「北海道・今日の美術 世紀末の風景ー微視と幻影」展(1989年)図録の序文に書かれていた驚きの事実

2020年03月30日 08時34分00秒 | つれづれ読書録
 1989年3月4~26日に道立近代美術館、4月4日~5月14日に道立旭川美術館、5月20日~6月18日に道立函館美術館でそれぞれ開かれた展覧会の図録に、当時の館長であった井関正昭氏が寄せた巻頭の文章が、このテキストの主題である。
 会場名に帯広美術館や釧路芸術館がないのは、開館前だったためだ。

 展覧会の出品者は秋山國夫、阿部国利、安藤和也、伊藤光悦、木村訓丈、清田操、高坂和子、佐藤武、鹿士政春、鈴木秀明、瀬戸英樹、高橋伸、遠山隆義、西田陽二、宮川美樹、森弘志、矢元政行、輪島進一の18氏。
 「今日の美術」をうたっているが、全員が洋画である。
 しかも18人中女性が2人、団体公募展に所属していない画家が1人というあたりには隔世の感を禁じ得ない。

 それはさておき、井関氏は「「世紀末の風景」展によせて」の中で、この企画の特徴として三つを挙げており、第一に「今という視点と意識」、第二にテーマの設定、第三に「作家と作品の選定に当たって、美術館の学芸員が全面的にたずさわったこと」としている。

 井関館長は次のように述べる。

いいかえれば、一つの実験であり、とりわけ、学芸員による作家・作品の選定は一つの冒険ともいえよう。これまで行ってきた著名評論家による審査・選定とちがってこの方法は全国的にも少なく、われわれとしては初めての経験である。


 これは、いささか驚きだった。
 美術館の企画なんだから、学芸員が作家を選ぶのはあたりまえのことだとばかり思っていたのだ。
 1989年の段階では「著名評論家による審査・選定」が一般的だったというのである。

 筆者はこの展覧会を見ていないが、図録を見たのはもちろん初めてではない。
 ただ、うかつにも、この巻頭のテキストに気づいていなかった。



 なお、道立近代美術館は、創立から1982年まで「北海道現代美術展」を5度企画実施し、続いて「北海道の美術」と題したテーマ展を毎年開いていた。
 後者は「イメージ道」「イメージ水」などのテーマを設定して、コンクールを行っていた。

 ちなみに第1回北海道現代美術展(1978年)で道立近代美術館賞を得たのは鵜川五郎「沼の畔」(洋画)、優秀賞は黒田栄一「石鳥」(彫刻)、小林繁美「地の祭り『使者たち』」(金属工芸)である。
 この出品者約50人はどのように選んでいたのだろう。
 また、1982年の「北方きたのイメージ」は、道立近代美術館賞に中江紀洋、優秀賞に野崎嘉男、新人賞に石垣光雄が、それぞれ選ばれている。
 吉田豪介『北海道の美術史 異端と正統のダイナミズム』によれば、出品者80人は、北海道在住の美術評論家と道立近代美術館学芸員が当たったということである。固有名詞は挙がっていない。

 そして「北海道・今日の美術」は
1990年に「軽やかさとの対話・抽象の新傾向」、
92年に「10人の原自然―胎動の森・脈打つ水」、
94年に「飛躍する器たち 工芸、建築、デザインは呼びかける」、
96~97年に「語る身体(からだ)・10人のアプローチ」
を開いて全5回で終了した。

 その後は、同美術館が道内作家によるグループ展を手がけることは非常に少なくなって、現在に至っている。
 本郷新記念札幌彫刻美術館や三岸好太郎美術館は若手のミニ個展などを企画しているが、道立近代美術館は、ベテランから中堅の個展にも積極的ではないし、道内の美術家のグループ展も数年に1度しか手がけていない。「21世紀のいまの北海道のアート」を提示する場がほとんどないまま、四半世紀が過ぎているという印象がある。


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