前著「芸術闘争論」(幻冬舎)は、焦点の定まらない、編集の雑な本だったが、今回は、とてもわかりやすい。美術そのものに立ち入って論じることよりも、著者が社長として経営し、後進を育成しているカイカイキキという会社を例にとって、仕事や若者について述べている部分が中心だからだ。
ただし、そこで展開されているカイカイキキの様子や、仕事に対する持説は、「アート」ということばからなんとなく想像されるものとは異なり、驚くほど「日本の会社」そのものだ。
朝にはラジオ体操。
かならずメモを取れ。
「信頼関係」「人間関係」は大切だ。
挨拶を徹底しろ…。
いくらか「アートっぽい」教えを挙げれば、「とにかく描き続けろ」という項目ぐらいだろうか。
ラジオ体操にしてもデッサンにしても、やるだけの理論的な理由はちゃんとあるのだ。
わたしたちが芸術家という言葉から思い浮かべがちなのは、孤独な創造に励む奇矯な天才という像だ。しかし、ちょっと考えればわかるが、そんな天才は、美術系大学の中にだってほとんどいやしない。大半の人は、美術史を塗り替えるほどの才能はない凡才である。だったら、凡才でもアーティストとして世を渡っていけるだけのスキルが必要なのであり、そのスキルは、他の職業や会社とそれほど異なるはずもない。
「芸術家は"覚悟と肉体を資本としたアスリート"です」
という彼の言葉は、単なるカッコツケではなく、実感と体験に裏打ちされた重い結論なのだ。
「勉強もしないで、自分の好き放題をイラストにしてるんだったら、フリーでネットに画をあげてるだけの自称イラストレーターなの。わかってるのかね?」
こういうことを、美大を出た若者にズバッと言える人は少ないから、煙たがられるのだろう。でも、事実なんだから、言う人は必要だろうと思う。
また、次の指摘には、ううむと考え込んでしまった。いまは個性的な人材が生まれにくい時代なのかもしれない。
底辺の人に向上心がないのだとしたら、それも困り者だよなあ。
文章はとても読みやすい。誤字や、わかりにくい表現が散見される彼のツイッターとは違う。
とにかく、アート志望の若者には読んでほしい。
そして、読んだ上で
「村上隆が何だ! うるせえ! 自分はそれでも描き続けるんだ! 社会の底辺でけっこう!」
と覚悟をもてる人が、本格的に芸術を志せばいいんじゃないでしょうか。
「大変そうだな。やっぱりやめようかな」
と思った人は、芸術家になるのは諦めたほうがいいと思うな。
村上隆氏といえど、怒ってばかりじゃなくて、優しいところもあるから、最後の章は、アーティストじゃなくても芸術でやっていく道はいくらでもあるということを、具体的に示しているんだろう。
なお、本とは直接関係のない話をひとこと。
東京藝大などの美大の出身者って、そんなに自分のことを天才とか、才能あると、思っているのかな。
実際のところがどうなのか、ちょっと興味がある。
もちろん、高校くらいまでは
「絵の才能がある」
と自他ともに認める人ばかりだろう。
しかし、ほとんどの人は、入試の現場、いやそれより前の、代ゼミや立川、すいどーばたなどの講習の段階で、世の中に自分なみの才能がはいてすてるほどいるという現実に、愕然とするのではないか。
それは、少年野球の「エースで4番」が、高校野球の名門校に入って、自分の能力に愕然とするのと、同じである。
でも、それで世の中のバランスは保たれているのだと思う。
「諦めなければ夢はかなう」
と信じつづける人ばかりでは、本人が30、40歳になったときに困る。
才能があり、しかもリスクをとる覚悟のある限られた人間だけが芸術家になる。それくらいでちょうどいいのではないか。
それと、「わだばゴッホになる」ことに成功しなくても、「なんとかかんとかアートで飯を食っていく」ことができれば、もう上出来なんじゃないかと思うんですけどね。
村上隆「創造力なき日本 ―アートの現場で蘇る「覚悟」と「継続」
角川oneテーマ21 781円(税別) 217ページ
ただし、そこで展開されているカイカイキキの様子や、仕事に対する持説は、「アート」ということばからなんとなく想像されるものとは異なり、驚くほど「日本の会社」そのものだ。
朝にはラジオ体操。
かならずメモを取れ。
「信頼関係」「人間関係」は大切だ。
挨拶を徹底しろ…。
いくらか「アートっぽい」教えを挙げれば、「とにかく描き続けろ」という項目ぐらいだろうか。
ラジオ体操にしてもデッサンにしても、やるだけの理論的な理由はちゃんとあるのだ。
わたしたちが芸術家という言葉から思い浮かべがちなのは、孤独な創造に励む奇矯な天才という像だ。しかし、ちょっと考えればわかるが、そんな天才は、美術系大学の中にだってほとんどいやしない。大半の人は、美術史を塗り替えるほどの才能はない凡才である。だったら、凡才でもアーティストとして世を渡っていけるだけのスキルが必要なのであり、そのスキルは、他の職業や会社とそれほど異なるはずもない。
「芸術家は"覚悟と肉体を資本としたアスリート"です」
という彼の言葉は、単なるカッコツケではなく、実感と体験に裏打ちされた重い結論なのだ。
「勉強もしないで、自分の好き放題をイラストにしてるんだったら、フリーでネットに画をあげてるだけの自称イラストレーターなの。わかってるのかね?」
こういうことを、美大を出た若者にズバッと言える人は少ないから、煙たがられるのだろう。でも、事実なんだから、言う人は必要だろうと思う。
また、次の指摘には、ううむと考え込んでしまった。いまは個性的な人材が生まれにくい時代なのかもしれない。
今の世の中においては、一〇〇点満点中、五点や一〇点といった底辺付近で這うようにしているか、八〇点や八五点あたりのところでそれなりの活躍をしているか、どちらかの人たちが増えています。底辺は向上心を持たずともそこに安住し、そこそこ上部の者は、「出る杭は打たれる」を懸念してそれ以上、上に行こうとしない。ほどほどに、自分を抑制している人が多いのではないかと考えられます。(120ページ)
底辺の人に向上心がないのだとしたら、それも困り者だよなあ。
文章はとても読みやすい。誤字や、わかりにくい表現が散見される彼のツイッターとは違う。
とにかく、アート志望の若者には読んでほしい。
そして、読んだ上で
「村上隆が何だ! うるせえ! 自分はそれでも描き続けるんだ! 社会の底辺でけっこう!」
と覚悟をもてる人が、本格的に芸術を志せばいいんじゃないでしょうか。
「大変そうだな。やっぱりやめようかな」
と思った人は、芸術家になるのは諦めたほうがいいと思うな。
村上隆氏といえど、怒ってばかりじゃなくて、優しいところもあるから、最後の章は、アーティストじゃなくても芸術でやっていく道はいくらでもあるということを、具体的に示しているんだろう。
なお、本とは直接関係のない話をひとこと。
東京藝大などの美大の出身者って、そんなに自分のことを天才とか、才能あると、思っているのかな。
実際のところがどうなのか、ちょっと興味がある。
もちろん、高校くらいまでは
「絵の才能がある」
と自他ともに認める人ばかりだろう。
しかし、ほとんどの人は、入試の現場、いやそれより前の、代ゼミや立川、すいどーばたなどの講習の段階で、世の中に自分なみの才能がはいてすてるほどいるという現実に、愕然とするのではないか。
それは、少年野球の「エースで4番」が、高校野球の名門校に入って、自分の能力に愕然とするのと、同じである。
でも、それで世の中のバランスは保たれているのだと思う。
「諦めなければ夢はかなう」
と信じつづける人ばかりでは、本人が30、40歳になったときに困る。
才能があり、しかもリスクをとる覚悟のある限られた人間だけが芸術家になる。それくらいでちょうどいいのではないか。
それと、「わだばゴッホになる」ことに成功しなくても、「なんとかかんとかアートで飯を食っていく」ことができれば、もう上出来なんじゃないかと思うんですけどね。
村上隆「創造力なき日本 ―アートの現場で蘇る「覚悟」と「継続」
角川oneテーマ21 781円(税別) 217ページ