フランス語学校のほか、図書室兼廊下の壁面をギャラリーに開放するなど文化活動にも積極的な札幌アリアンス・フランセーズがことし開設20周年を迎えました。以前は、大通公園を見下ろすビルの上にありましたが、現在は狸小路の近くに移転しています。
ことしは、アジアの写真と文化の紹介に力を注いでいくとのこと。
今回は、比較的ベテランの世代に属する台湾の写真家にスポットを当てている。
それにしても、このふしぎな感じはなんだろう、と思う。
これが絵画のグループ展なら、ちがうモティーフや画風の作品がたとえならんでいたとしても、それが絵画だというだけでなんとなくおさまりがついて、それなりの統一感を保っている。
また、写真家の個展でも、こういう感覚は受けないだろうと思う。
しかし、ひとり1-3点の写真が、なんの説明キャプションもなく(題すらついていない)提示されているのを見ると、脈絡のない断片的映像がランダムに明滅する、或る種の夢のようで、どことなく居心地の悪さのようなものをおぼえずにはいられない。
これはもちろん、この写真展を批判しているのではなく、写真というメディアそのものの持つ、独特のおぼつかない感じについて言っているのだ。
画像は、DMの、陳健仲の作品。
周囲を黒く焼きこんだあたりは、北星学園大写真部を思い出す。
みずみずしい情感とともに理知的な感じがするあたり奈良原一高を思わせるが、なにぶん情報がまったくないので、なにもいえないというのがほんとうのところだ。
一方、林珮薫は、窓枠、凪(な)いだ海、曇天だけからなる、ごくシンプルな、静けさに満ちた風景を撮っている。
シンプルな画面ということでは、板壁と配線を撮った洪世総も、近い作風なのかもしれない。
沈昭良の作品は、白い派手な衣装を着け、ベールで目を隠した女性が、マイクを持って、泣き叫んでいるようなしぐさをした1枚。歌っているのだろうか。場所は、山の近い、壁のない市場のようなところ。女性のすこし後ろに立っているジャンパー姿の中年男性が、この女性にまったく関心を払っていないのがおかしい。
Christophe Bagonneauの写真は、上半身裸の男性で、顔はフレームからはみ出しているので表情はうかがえない。手前に差し出された腕には白いシャツが掛けられている。注射の直後のような情景だが、ほんとうのところはわからない。
Jeff Hargroneはヤシの木の列がモティーフだが、ダゲレオタイプを復活させたような不鮮明な写真。
Agnes Laufierは、抱き合う母子の背後に、火をともすろうそくが何本も立ち、キリスト教の祭壇のようなものも見える。わざとらしくなりがちな覆い焼きも、この写真では母子を浮き上がらせるのに効果を挙げている。
…といったぐあいで、1点を除きすべてモノクロだという以外には、作風にも共通点がない。
これらの写真を前にして、何を言えばいいのか、おもわず口ごもってしまうのだ。
3月6日(火)-31日(土)10:00-19:00(土曜-18:00)、日曜祝日休み
札幌アリアンス・フランセーズ・ギャラリー(中央区南2西5、南2西5ビル2階 地図B)
ことしは、アジアの写真と文化の紹介に力を注いでいくとのこと。
今回は、比較的ベテランの世代に属する台湾の写真家にスポットを当てている。
それにしても、このふしぎな感じはなんだろう、と思う。
これが絵画のグループ展なら、ちがうモティーフや画風の作品がたとえならんでいたとしても、それが絵画だというだけでなんとなくおさまりがついて、それなりの統一感を保っている。
また、写真家の個展でも、こういう感覚は受けないだろうと思う。
しかし、ひとり1-3点の写真が、なんの説明キャプションもなく(題すらついていない)提示されているのを見ると、脈絡のない断片的映像がランダムに明滅する、或る種の夢のようで、どことなく居心地の悪さのようなものをおぼえずにはいられない。
これはもちろん、この写真展を批判しているのではなく、写真というメディアそのものの持つ、独特のおぼつかない感じについて言っているのだ。
画像は、DMの、陳健仲の作品。
周囲を黒く焼きこんだあたりは、北星学園大写真部を思い出す。
みずみずしい情感とともに理知的な感じがするあたり奈良原一高を思わせるが、なにぶん情報がまったくないので、なにもいえないというのがほんとうのところだ。
一方、林珮薫は、窓枠、凪(な)いだ海、曇天だけからなる、ごくシンプルな、静けさに満ちた風景を撮っている。
シンプルな画面ということでは、板壁と配線を撮った洪世総も、近い作風なのかもしれない。
沈昭良の作品は、白い派手な衣装を着け、ベールで目を隠した女性が、マイクを持って、泣き叫んでいるようなしぐさをした1枚。歌っているのだろうか。場所は、山の近い、壁のない市場のようなところ。女性のすこし後ろに立っているジャンパー姿の中年男性が、この女性にまったく関心を払っていないのがおかしい。
Christophe Bagonneauの写真は、上半身裸の男性で、顔はフレームからはみ出しているので表情はうかがえない。手前に差し出された腕には白いシャツが掛けられている。注射の直後のような情景だが、ほんとうのところはわからない。
Jeff Hargroneはヤシの木の列がモティーフだが、ダゲレオタイプを復活させたような不鮮明な写真。
Agnes Laufierは、抱き合う母子の背後に、火をともすろうそくが何本も立ち、キリスト教の祭壇のようなものも見える。わざとらしくなりがちな覆い焼きも、この写真では母子を浮き上がらせるのに効果を挙げている。
…といったぐあいで、1点を除きすべてモノクロだという以外には、作風にも共通点がない。
これらの写真を前にして、何を言えばいいのか、おもわず口ごもってしまうのだ。
3月6日(火)-31日(土)10:00-19:00(土曜-18:00)、日曜祝日休み
札幌アリアンス・フランセーズ・ギャラリー(中央区南2西5、南2西5ビル2階 地図B)