アートマンギャラリーの野口さんの書き込みで初めて、美術家の平松和芳さんが昨年12月に亡くなっていたことを知った。
平松さんは、札幌の「ギャラリーたぴお」の常連作家だった。グループ展に出品し、たぴお主宰者の竹田博さんとともに陽気に酒を飲み、大いに語らうひとりだった。
けっこう活溌に制作・発表していたのは、下のリンクからもわかるだろう。
作品は、ジム・ダインなどに影響を受けたとおぼしき、鉛などを使ったオブジェや平面がメーン。一度、1974年ごろのシルクスクリーン作品を、2002年にたぴおで開いた個展で見たことがあったが、ちょっと欧洲的なテイストで、なかなか良かった記憶がある。
最後に見たのは、たしか2007年に、中央バス札幌ターミナルの地下の喫茶レノールで開いていた個展で、ご本人も会場にいらして、なかなか元気だった。
その後、体調が思わしくないという話は聞いていたが…。
それにしても「たぴお」の関係者で、近年亡くなる人が多い。
お酒の飲み過ぎだろうか。
好きなことをして太く短く生きるのも、人生なのかもしれない。
平松さん、お疲れさまでした。
関係するサイト
□ババッチの廃品アート http://blogs.yahoo.co.jp/hibabatchi/60126749.html
平松和芳さんの過去の発表から
■第25回存在派展(MEX25=2005年)
■第三十一回北海道抽象派作家協会展(2004年、画像なし)
■企画展 平松和芳展(2003年、画像なし)
■野外オブジェ展in栗沢 (2003年)
■平松和芳展(2002年、画像なし)
■野外オブジェ展イン栗沢 (2001年、画像なし)
平松さんは、札幌の「ギャラリーたぴお」の常連作家だった。グループ展に出品し、たぴお主宰者の竹田博さんとともに陽気に酒を飲み、大いに語らうひとりだった。
けっこう活溌に制作・発表していたのは、下のリンクからもわかるだろう。
作品は、ジム・ダインなどに影響を受けたとおぼしき、鉛などを使ったオブジェや平面がメーン。一度、1974年ごろのシルクスクリーン作品を、2002年にたぴおで開いた個展で見たことがあったが、ちょっと欧洲的なテイストで、なかなか良かった記憶がある。
最後に見たのは、たしか2007年に、中央バス札幌ターミナルの地下の喫茶レノールで開いていた個展で、ご本人も会場にいらして、なかなか元気だった。
その後、体調が思わしくないという話は聞いていたが…。
それにしても「たぴお」の関係者で、近年亡くなる人が多い。
お酒の飲み過ぎだろうか。
好きなことをして太く短く生きるのも、人生なのかもしれない。
平松さん、お疲れさまでした。
関係するサイト
□ババッチの廃品アート http://blogs.yahoo.co.jp/hibabatchi/60126749.html
平松和芳さんの過去の発表から
■第25回存在派展(MEX25=2005年)
■第三十一回北海道抽象派作家協会展(2004年、画像なし)
■企画展 平松和芳展(2003年、画像なし)
■野外オブジェ展in栗沢 (2003年)
■平松和芳展(2002年、画像なし)
■野外オブジェ展イン栗沢 (2001年、画像なし)
平松さんには色々教わった。いいことも悪いこともね。「ジーパンは腰で履く!」などと言ったり大切そうに琥珀のコレクションをみせてくれたり・・。
若いころはCIAが目をつけるほどIQの高いひとだったらしい。
田村陽子さんによると昨年は電話で一日一升飲んでるなんて言ってたらしい。(これはおおげさだと思うけど)
葬式は密葬だったらしい。今年1月に厚別にある自宅兼アトリエで行われた偲ぶ会に行ってきました。
ババッチさんや娘のくるみさん始め佐々木芳斉氏も生前の彼を語っていた。
偲ぶ会のあとババッチさんと最上慎一氏がアートマンにやってきて彼の作品とコレクションを15~6点寄贈していった。
なかには国松明日香さんの作品もあって驚いたが作者が不明の作品もいくつかあった。
ほとんどの平松さんの作品はこのふたりが預かっていて3年後を目標に回顧展をやるつもりらしい。
大先輩だったがこんなにいけてる作家は他になかなかいなかった。また本人いわく「ふわっ」と現れてほしいものだ。
平松さんはワイングラスを傾けながらアートの話であったり、ギャラリーの話であったりアートをするギャラリーに来る女の子の話であったり
女の子の話であったり、女の子の話であったり、女の子の話であったりをなさっていました。
とても興味深い話もされていましたし、初めて私の写真作品を誉めていただいた芸術家の方だったかも知れません。
ワインがすすむにつれて女性に関する話が多くなり、次第に重度のシモネタのなり
もしテレビの撮影だったら会話は全て「ピー!」を入れなければならない話になり、
話の内容を解説するその手つきにもモザイクを入れなければならないような話をされていました。
あの芸術家としても原動力はこの女性に対する老いても枯れない情熱なのか!などと感じた事がありました。
残念ながら私が平松氏の正面に座ってお話したのはこれが最初で最後でした。
平松和芳さんの思い出と共に、これからも年齢など関係無しに情熱あふれる芸術家がその意思を継いで行って欲しいものです。
心のこもったコメントをありがとうございます。
こう言うと語弊があるかもしれませんが、平松和芳さんは、生活力があるとか、社会常識があるというタイプではなく、そういうのを突き破ったアーティストであるという感じがしました。
ただ、時代が世知辛くなるにつれて、そういう気質の人はだんだん大目に見られなくなって、生きづらくなってきているような気がしてなりません。
それにしても、アートマンが生まれるきっかけが平松さんだったとは!
知りませんでした。