正式名称は
三鷹の森ジブリ美術館企画展示「挿絵が僕らにくれたもの」展―通俗文化の源流―
昨春から今春にかけて、三鷹の森ジブリ美術館で展示されたものの移動展らしい。
展示自体は、スタジオジブリのアニメと直接の関係はない。宮崎アニメが好きな人は楽しめるだろうと思うけど、要するに、英国で19世紀末から20世紀初頭にかけて発刊された童話集シリーズの挿絵の複製を並べている(邦訳も東京創元社から出ている)。
元来が、本の挿絵というのが、印刷して複製することを前提に制作されているから、複製展にありがちな貧乏くささはない。それどころか、壁面全体に、「ハリー・ポッター」シリーズにでも登場してきそうな昔風の書棚をしつらえてあるため、会場が道立文学館であることが信じられないほどのゴージャスさを漂わせている。
いや、こういうことを書くと、ふだんの文学館が貧相だといっているように受け取られるかもしれないが、眼目はそういうことではなく、通常の同館とはガラッと変わった展示をしているということを言いたいのだ。本棚の間からは、いくつもの頭を持つ竜が顔をのぞかせているし。
副題にあるのは、王子様が剣を手に竜と戦ったり、お姫様を救い出したり、そういうファンタシーの常道が、この童話集シリーズの挿絵にあるのではないか―という、ジブリ=宮崎駿側の直感である。彼は、初めて見る挿絵なのになつかしいという意味のことを述べている。
筆者としては、ギュスターブ・ドレの版画はどうなんだよ、などとツッコミを入れたくなってきて、この「ラングの童話集」を「源流」と認定してしまっていいのかという思いもあるが、あえて「通俗文化」を名乗ることに、宮崎駿らしい矜持をみる。
まあ、2013年のいま、ハイアートが「通俗文化」を上から目線で見るような場面はすでに滅んでおり、アーティストより職人のほうがカッコいい響きが感じられたりして、むしろ高級文化を擁護したいくらいの気分だったりするんだけど、また話がそれそうなので、これ以上は展開しない。
ただ、宮崎さんは、ラング童話集に、現代の文化の源流を見つつも、いまの視覚文化との差異を冷静に指摘している。
そして、この時代の英国が、帝国主義の最盛期であり、この挿絵の根底に、植民地からさまざまなものを蒐集してくる視線があることをも、ちゃんと押さえている。
で、今回の展示で最も面白かったのは、「ぼくの妄想史―自分は何処からきたか―を語る」のコーナー。宮崎駿ファンは見るべし。
ロンドンのテートにあるウォーターハウスの「シャーロット姫」や、山本芳翠「浦島図」、青木繁「わだつみのいろこの宮」の複製画、戦後の少年誌で人気を博していた絵物語「沙漠の魔王」などが並んでいる。宮崎駿が長じてから、あらためて確かめた自分のルーツの数々。
「天才による独創の連続」という西洋の芸術史の考えをはっきりと拒絶する宮崎駿の言や良し。
そして、どこか奇妙でへんてこりんな山本芳翠の「浦島図」の解説で
「アニメーションで外国を舞台にした経験を思い出すと、『浦島図』の後輩だと思ったりします。はったりや悲しいところも含めて、この絵を笑うことはできません」
と書いている巨匠の謙虚さに、あらためて尊敬の念を抱く。
いや、宮崎監督、大丈夫ですよ。世界中の子供たちが、日本のアニメだということを知らずに「アルプスの少女ハイジ」や「母をたずねて三千里」に夢中になっているのですから。
逆に言えば、宮崎駿は、日本の大衆文化のキッチュさに自覚的であったからこそ、キッチュさに陥ることなく、素晴らしい(そして、インターナショナルなスタイルの)作品を生み出すことができたんだと思う。
2013年9月7日(土)~10月20日(日)午前9時30分~午後5時(入場~午後4時30分)
道立文学館(札幌市中央区中島公園)
・地下鉄南北線「中島公園」から約440メートル、徒歩5分
・地下鉄南北線「幌平橋」から約470メートル、徒歩6分
・市電「中島公園通」から約550メートル、徒歩7ふn
・ジェイアール北海道バス、中央バス「中島公園入口」から約230メートル、徒歩3分
三鷹の森ジブリ美術館企画展示「挿絵が僕らにくれたもの」展―通俗文化の源流―
昨春から今春にかけて、三鷹の森ジブリ美術館で展示されたものの移動展らしい。
展示自体は、スタジオジブリのアニメと直接の関係はない。宮崎アニメが好きな人は楽しめるだろうと思うけど、要するに、英国で19世紀末から20世紀初頭にかけて発刊された童話集シリーズの挿絵の複製を並べている(邦訳も東京創元社から出ている)。
元来が、本の挿絵というのが、印刷して複製することを前提に制作されているから、複製展にありがちな貧乏くささはない。それどころか、壁面全体に、「ハリー・ポッター」シリーズにでも登場してきそうな昔風の書棚をしつらえてあるため、会場が道立文学館であることが信じられないほどのゴージャスさを漂わせている。
いや、こういうことを書くと、ふだんの文学館が貧相だといっているように受け取られるかもしれないが、眼目はそういうことではなく、通常の同館とはガラッと変わった展示をしているということを言いたいのだ。本棚の間からは、いくつもの頭を持つ竜が顔をのぞかせているし。
副題にあるのは、王子様が剣を手に竜と戦ったり、お姫様を救い出したり、そういうファンタシーの常道が、この童話集シリーズの挿絵にあるのではないか―という、ジブリ=宮崎駿側の直感である。彼は、初めて見る挿絵なのになつかしいという意味のことを述べている。
筆者としては、ギュスターブ・ドレの版画はどうなんだよ、などとツッコミを入れたくなってきて、この「ラングの童話集」を「源流」と認定してしまっていいのかという思いもあるが、あえて「通俗文化」を名乗ることに、宮崎駿らしい矜持をみる。
まあ、2013年のいま、ハイアートが「通俗文化」を上から目線で見るような場面はすでに滅んでおり、アーティストより職人のほうがカッコいい響きが感じられたりして、むしろ高級文化を擁護したいくらいの気分だったりするんだけど、また話がそれそうなので、これ以上は展開しない。
ただ、宮崎さんは、ラング童話集に、現代の文化の源流を見つつも、いまの視覚文化との差異を冷静に指摘している。
今の日本で、私達はたくさんの絵やキャラクターにとりかこまれています。パッと目にとびこんで来て、気をひこうとする絵ばかりといっていいでしょう。
同じような気分で、「ラングの童話集」の挿絵の前に立っても何も伝わって来ません。絵を自分から“見こんで”いく努力がいるのです。昔はみなそうするのがあたりまえでした。絵をスミからスミまで眺めていき、絵の中を探していくと、少しずつ物語への興味がわきあがって来ます。そうするのがあたりまえの時代に描かれたものです。
そして、この時代の英国が、帝国主義の最盛期であり、この挿絵の根底に、植民地からさまざまなものを蒐集してくる視線があることをも、ちゃんと押さえている。
で、今回の展示で最も面白かったのは、「ぼくの妄想史―自分は何処からきたか―を語る」のコーナー。宮崎駿ファンは見るべし。
ロンドンのテートにあるウォーターハウスの「シャーロット姫」や、山本芳翠「浦島図」、青木繁「わだつみのいろこの宮」の複製画、戦後の少年誌で人気を博していた絵物語「沙漠の魔王」などが並んでいる。宮崎駿が長じてから、あらためて確かめた自分のルーツの数々。
通俗文化は、リレーのようなものだと思っています。「風の谷のナウシカ」の巨神兵も、その肩に立つ少女も、ぼくの独創とはいえません。いろいろな形で描かれて来たものを、絵物語を通して受けとったのです。リレーのバトンがなければ描けなかったでしょう。
「天才による独創の連続」という西洋の芸術史の考えをはっきりと拒絶する宮崎駿の言や良し。
そして、どこか奇妙でへんてこりんな山本芳翠の「浦島図」の解説で
「アニメーションで外国を舞台にした経験を思い出すと、『浦島図』の後輩だと思ったりします。はったりや悲しいところも含めて、この絵を笑うことはできません」
と書いている巨匠の謙虚さに、あらためて尊敬の念を抱く。
いや、宮崎監督、大丈夫ですよ。世界中の子供たちが、日本のアニメだということを知らずに「アルプスの少女ハイジ」や「母をたずねて三千里」に夢中になっているのですから。
逆に言えば、宮崎駿は、日本の大衆文化のキッチュさに自覚的であったからこそ、キッチュさに陥ることなく、素晴らしい(そして、インターナショナルなスタイルの)作品を生み出すことができたんだと思う。
2013年9月7日(土)~10月20日(日)午前9時30分~午後5時(入場~午後4時30分)
道立文学館(札幌市中央区中島公園)
・地下鉄南北線「中島公園」から約440メートル、徒歩5分
・地下鉄南北線「幌平橋」から約470メートル、徒歩6分
・市電「中島公園通」から約550メートル、徒歩7ふn
・ジェイアール北海道バス、中央バス「中島公園入口」から約230メートル、徒歩3分