(以下のテキストと写真は作家の要請により削除いたしました。08年1月21日)
出品作はつぎのとおり。
「明ける 季節」
「水景」
「暮れる 季節」
「風に あたる」
「戻ってきた 冬」
「凍る 流れ」(同題3点)
「太陽の位置が変わる」
「雪景」
「Prelude.」(同題2点)
「冬を 渡る」
「映す 冬」
「浮かぶ 季節」
3月20日(火)-25日(日)10:30-19:00(最終日-17:00)
さいとうギャラリー(中央区南1西3、ラ・ガレリア5階 地図B)
■中村修一さんとの2人展(03年)
出品作はつぎのとおり。
「明ける 季節」
「水景」
「暮れる 季節」
「風に あたる」
「戻ってきた 冬」
「凍る 流れ」(同題3点)
「太陽の位置が変わる」
「雪景」
「Prelude.」(同題2点)
「冬を 渡る」
「映す 冬」
「浮かぶ 季節」
3月20日(火)-25日(日)10:30-19:00(最終日-17:00)
さいとうギャラリー(中央区南1西3、ラ・ガレリア5階 地図B)
■中村修一さんとの2人展(03年)
ヤナイさんが書かれた前川さんとの会話を読んで、
前川さんの作品を自分の目で観たくなり行ってきました。
実際に観ていて楽しかったです。
あとから私も前川さんの個展の感想を書くと思いますが、私が前川さんの個展を観に行くきっかけとなった言葉を引用させて頂いて宜しいでしょうか?
わたしは、blogを見た人が、展覧会をみたつもりになるのではなく、実際に会場に足を運んでもらいたくて、エントリを書いております。だから、bi_suiさんが展覧会においでになったというのは、とてもうれしく感じます。
引用はご自由にどうぞ。
こちらへのリンクをはっていただければ、なおうれしいです。
前川さんの「あおい色」が奏でる表現の世界が寒い感じのあおい色の世界ではなく、なにかしら、見るもののこころがじわーっとほどけてゆく様に温まる不思議なタッチの世界なのだ。
この独得の感情を触発させる、あたたかいあおの世界はたぶん他にないと思う。
なぜそのような独得の感じが生まれてくるのか、その秘密を会った時に是非うかがいいたいと思う。
このたびはどうもありがとうございました。
「違う! 私はこんなこと言ってない!」
という点があれば、おっしゃってください。すぐ修正なり削除なりします。
>T.nakamuraさま
それはやはり、青の下に、朱色などが置かれているせいだと思います。
下の層の色が透けて見えるのは、油絵の特色なのです。
見えないはずなのに、見えるという感覚がありありと浮かび上がってくる。
そのような気に、絵がそそのかすのだ。
といわれ、へこんでいます。orz...
どうして訊きたがる、かといわれても、それは、前川さんが「かかさる」のとおなじで、「訊かさる」んだとしか言いようがないです。
たしかに、ことばの理屈ではっきりと割り切れるものなら、だれも絵や詩をかいたりしないですよね。
あれこれ説明の文句をならべるより、はっきりとしたことばにならない画面のほうが、じつは、他人には、よくつたわっているのかもしれません。
それに、作品の解釈って、作家が説明したことが100%正解とはかぎらないわけなんだし…。
これに懲りず、今後もよろしくおねがいします。
眼が、なぜ、そのかたちを欲するのか、それを欲するものには見えるし、それを欲しないものには見えない。
眼が、欲する、かたちがそこにあることに気づくものには見えるし、気づかないものには見えない。
眼は、なにを欲しているのか、なにに欲情しているのか、なにに愉悦するのか。
眼は、うつくしいとかんじるもののかたちを探している。眼はしずかにそれが存在することを欲している、ありありと、うつくしいかたちがこの世に存在するということの表現を。
さて、前川さんの表現された世界に、うつくしいかたちを発見する人(やないさん)はしあわせな人である。私も同じく。