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旭川駅の石川啄木像

2013年04月15日 22時45分33秒 | 街角と道端のアート

 函館、釧路、東京などを転々とし、「一握の砂」などの歌集を残しながら、26歳の若さで亡くなった明治期の歌人、詩人、文学者の石川啄木(1896~1912年)。
 彼の銅像や歌碑は、札幌や釧路にはありますが、旭川にできたのは、ちょうど1年前です。

 北海道新聞2012年4月10日付「発信」によると、2010年10月に、首都圏に住む旭川出身者でつくる東京旭川会の会合で、旭川で生まれ中高時代を過ごした国際啄木学会元会長の近藤典彦さん(相模原在住)が、旭川に歌碑を建ててはどうかと提案したのが、そもそもの発端とのこと。
 文化関係者や経済人が「旭川に石川啄木の歌碑を建てる会」を発足させて寄附を募り、歿後100年にあわせて、JR旭川駅構内に歌碑ならぬ像が設置されることになりました。
 


 昨年4月14日の北海道新聞から。

(前略) 歌碑像は高さ2.3メートル、幅1.5メートル、奥行き1メートルのアルミ鋳造。旭川から釧路へ旅立つ啄木が汽車の窓から冬景色を見ている像で、啄木が詠んだ旭川の歌4首を台座に刻んだ。

 式には東京旭川会会員ら約300人が出席。歌碑を提案した旭川出身の啄木研究者、近藤典彦さん(73)=相模原市=や、デザインした旭川出身の造形作家、中村そのさん(65)=東京都豊島区=らが幕を引いた。建てる会の石山宗晏むねはる会長代行(73)が「末永く市民に愛されるよう祈念する」とあいさつ。歌碑像を旭川市に寄贈した。(以下略)


 余談ですが、石山さんは、団体公募展の一線展の会員で、薄い灰色や水色を駆使した独特の絵を描く方だと思います。旭川啄木会の会長も務めておられるようです。

 なお、北海道新聞の紙上では「啄木」の漢字は正字で表現されています(こういうところは妙に細かいんだよなあ)。



 啄木が旭川に立ち寄り1泊したのは1908年。
 当時、釧路に行くには、旭川まで回らなければ行けなかったようです。
 その後、旭川を思い出して詠んだ歌が4首あり、「一握の砂」に収録されているとのことです。

名のみ知りて縁もゆかりもなき土地の
宿屋安けし
我が家のごと

つれなりしかの代議士
口あける青き顔を
かなしと思ひき

水蒸気
列車の窓に花のごと凍てしを染むる
あかつきの色


 この歌からイメージして作ったのが今回の像だとか。

 あとの1句はいまわかりません。すみません。



 啄木が帽子をかぶっている像は、初めて見ました。
 この形の帽子って、啄木よりもむしろ中原中也を思い出させますよね。

 ただ、顔ハメじゃないですけど、一緒に白い窓枠の中に入って、啄木とツーショット写真を撮るといった楽しみもできそうな像だと思います。

 なお、像の設置1周年を記念して、20日午後2時からロワジールホテルでセミナーが開かれます。また、旭川市文学資料館では、16日から6月15日まで石川啄木展が開催されます。 
 

本郷新「石川啄木像」 釧路の野外彫刻(11)


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4 コメント

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石山氏 (川上@個展deスカイ)
2013-04-15 23:42:26
こんにちは。連日コメントを書き込んでいます。

一線展委員の石山宗晏氏は独創的な色彩と線描を駆使する作家です。同時に「かぎろひ詩社」代表の歌人でもあります。元学芸大付属中の教員であり文学研究者としての論文もあるようです。恵送された歌集に掲載されているご自身の短歌は日常の研ぎ澄まされた感覚を細大漏らさず歌に詠んでおられるという気持ちに誘(いざな)われるようです。
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川上@個展deスカイさん,こんにちは (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2013-04-16 00:05:58
連日ありがとうございます。
こちらとしてもコメント欄がにぎわうのは楽しいです。

石山さん、会員より上の委員なのですね。
訂正しておきます。
文学にも造詣が深いとは知りませんでした。独特の画風ですよね。
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Unknown (岡崎孝彦泊まり)
2020-07-10 20:04:38
残りの一首は、

今夜こそ思ふ存分泣いてみむと
泊りし宿屋の
茶のぬるさかな

です。
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Unknown (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2020-07-11 11:10:06
どうもありがとう。この記事を書いたときも札幌にいなかった。蔵書と離れて暮らすのは、なにかと不便。
それと、文中の「一句」もおかしいですね。俳句じゃないんだから。
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