1932年札幌生まれの、洋画壇を代表する画家のひとり、笠井誠一さんの個展。網走市立美術館の開館40周年特別企画のひとつである。
旧制札幌二中(現札幌西高)に入学、画家を目指して単身上京し、都立石神井高校を経て、東京芸大油画科卒。
国立パリ美術学校でブリアンジョンに学ぶ。フランス滞在時にサロン・ドオトンヌに5年連続入選、61年の「椅子とヴァイオリン」はフランス政府買い上げとなっている。
帰国後、67年に愛知県立芸大講師となり、74年から97年まで教授。
2001年、第24回安田火災東郷青児記念美術館大賞を受賞した。
今回の個展は、東京芸大在学中の習作から近作までが並んでいる。
現存作家には珍しく、小さな絵が多くて、50号以上の大作はほとんどない。
この画家が、団体公募展に出品していないことと関係あるだろう。100号クラスの大作は、日本ではほとんど団体公募展のために制作されるからである。
そして、70年代前半の風景画の時代を終えて、70年代半ばから現在に至るまで画風が全くといっていいほど変化がない。
すなわち、明快な色彩と輪郭線によって描かれた卓上静物の絵である。
テーブルはイエローオーカー系で、画面の端で断ち切られており、その上には2ないし4個ほどの楽器や果実、玩具などが配されている-という構図の作品が大半を占める。
卓上に載っているものは紙風船や朝鮮アザミの花など、絵によっていろいろと異なっているのだが、全体のトーンは驚くほど似ている。
油彩なので、シルクスクリーンや印刷物とは違い、わずかに塗りむらのようなものが見え、それが一種の味になっている。
笠井氏の絵は、それぞれを見ると、そこに存在論哲学のようなものを感じる。
余計な要素を限界まではぎ取り、そのものの本質を成り立たせる最小限の要素だけで表現されるものとは何か。
ものが存在するとは、そもそもどういうことなのか。
そして、ものとものとの関係とは、何なのか。
…そういう形而上学的な問いを誘発する絵なのである。
知的、哲学的な絵といってもいい。
ただ、それはあくまで単発で見た場合のことで、今回のように、半世紀以上にわたる画業をひとわたり見ると、ここまで作風に変化がないということに対してむしろ驚きを感じてしまう。そして、口幅ったいが、この変化のなさが、たいていの画家の回顧展で受けるある種の感興をそいでしまっていることは、否定できないと思う。人間の生につきまとうドラマ性が全くといっていいほどないのだ。
笠井氏の回顧展、個展は、東郷青児記念美術館や百貨店などでは開かれているが、公立美術館では、これが初めてのようだ(年譜による)。作風の幅の乏しさがあるいは関係しているのかもしれない。
出品作は次の通り。メモの文字が汚いので、間違っている可能性大。
1956年 裸婦(同題3点)
60年 椅子とイーゼル、ヴァイオリンと●、カップとベンチ (●はメモ判読不能。すみません)
61年 卓上静物、水差と椅子、デルフトの寺
64年 コンフの寺、セーヌ河畔、ポール・ヴァンドル
62年頃 コンモラシーの森
66~67年 スペイン風景「橋」
70年 長久手(三ツ峯)風景
71年 漁船
73年 船(西浦近郊)、滞船
74~75年 ウクレレのある静物
75年 コテと折尺、室内(ストーブと椅子のある)
76年 ストーブとヴァイオリンのある室内、ヴァイオリンのある静物
78年 卓上静物、室内と卓上静物
81年 卓上静物(ランプと洋鍋とウニ)
84年 ヴァイオリンのある静物
86年 風船とフルートのある静物
88年 鉋のある静物
89年 ボトルと玩具、キャスロールと茶わんと栓抜きのある静物
90年 マンドリンと洋鍋のある卓上静物
92年 洋鍋とコマと朝鮮あざみのある静物
96年 トルコ桔梗と青い器のある静物
98年 玩具と洋鍋のある卓上静物、片手鍋のある卓上静物
2001年 花(リュウーカデンド「ロンとヘリコニア)
02年 夏みかん、野の花(ホタルブクロ)
03年 バラ
08年 ウクレレとフルートのある静物
09年 花(メデューサ)
10年 花
11年 水桶とボトルのある卓上静物
2012年10月6日(土)~11月4日(日) 午前9時~午後5時
月曜休館(体育の日10月8日は臨時開館します)
網走市立美術館(南6西1)
高校生以上500円(400円)、小中学生250円(200円)
( )は20名以上の団体料金
JR網走駅から1.2キロ、徒歩16分
・網走バスターミナルから330メートル、徒歩5分
旧制札幌二中(現札幌西高)に入学、画家を目指して単身上京し、都立石神井高校を経て、東京芸大油画科卒。
国立パリ美術学校でブリアンジョンに学ぶ。フランス滞在時にサロン・ドオトンヌに5年連続入選、61年の「椅子とヴァイオリン」はフランス政府買い上げとなっている。
帰国後、67年に愛知県立芸大講師となり、74年から97年まで教授。
2001年、第24回安田火災東郷青児記念美術館大賞を受賞した。
今回の個展は、東京芸大在学中の習作から近作までが並んでいる。
現存作家には珍しく、小さな絵が多くて、50号以上の大作はほとんどない。
この画家が、団体公募展に出品していないことと関係あるだろう。100号クラスの大作は、日本ではほとんど団体公募展のために制作されるからである。
そして、70年代前半の風景画の時代を終えて、70年代半ばから現在に至るまで画風が全くといっていいほど変化がない。
すなわち、明快な色彩と輪郭線によって描かれた卓上静物の絵である。
テーブルはイエローオーカー系で、画面の端で断ち切られており、その上には2ないし4個ほどの楽器や果実、玩具などが配されている-という構図の作品が大半を占める。
卓上に載っているものは紙風船や朝鮮アザミの花など、絵によっていろいろと異なっているのだが、全体のトーンは驚くほど似ている。
油彩なので、シルクスクリーンや印刷物とは違い、わずかに塗りむらのようなものが見え、それが一種の味になっている。
笠井氏の絵は、それぞれを見ると、そこに存在論哲学のようなものを感じる。
余計な要素を限界まではぎ取り、そのものの本質を成り立たせる最小限の要素だけで表現されるものとは何か。
ものが存在するとは、そもそもどういうことなのか。
そして、ものとものとの関係とは、何なのか。
…そういう形而上学的な問いを誘発する絵なのである。
知的、哲学的な絵といってもいい。
ただ、それはあくまで単発で見た場合のことで、今回のように、半世紀以上にわたる画業をひとわたり見ると、ここまで作風に変化がないということに対してむしろ驚きを感じてしまう。そして、口幅ったいが、この変化のなさが、たいていの画家の回顧展で受けるある種の感興をそいでしまっていることは、否定できないと思う。人間の生につきまとうドラマ性が全くといっていいほどないのだ。
笠井氏の回顧展、個展は、東郷青児記念美術館や百貨店などでは開かれているが、公立美術館では、これが初めてのようだ(年譜による)。作風の幅の乏しさがあるいは関係しているのかもしれない。
出品作は次の通り。メモの文字が汚いので、間違っている可能性大。
1956年 裸婦(同題3点)
60年 椅子とイーゼル、ヴァイオリンと●、カップとベンチ (●はメモ判読不能。すみません)
61年 卓上静物、水差と椅子、デルフトの寺
64年 コンフの寺、セーヌ河畔、ポール・ヴァンドル
62年頃 コンモラシーの森
66~67年 スペイン風景「橋」
70年 長久手(三ツ峯)風景
71年 漁船
73年 船(西浦近郊)、滞船
74~75年 ウクレレのある静物
75年 コテと折尺、室内(ストーブと椅子のある)
76年 ストーブとヴァイオリンのある室内、ヴァイオリンのある静物
78年 卓上静物、室内と卓上静物
81年 卓上静物(ランプと洋鍋とウニ)
84年 ヴァイオリンのある静物
86年 風船とフルートのある静物
88年 鉋のある静物
89年 ボトルと玩具、キャスロールと茶わんと栓抜きのある静物
90年 マンドリンと洋鍋のある卓上静物
92年 洋鍋とコマと朝鮮あざみのある静物
96年 トルコ桔梗と青い器のある静物
98年 玩具と洋鍋のある卓上静物、片手鍋のある卓上静物
2001年 花(リュウーカデンド「ロンとヘリコニア)
02年 夏みかん、野の花(ホタルブクロ)
03年 バラ
08年 ウクレレとフルートのある静物
09年 花(メデューサ)
10年 花
11年 水桶とボトルのある卓上静物
2012年10月6日(土)~11月4日(日) 午前9時~午後5時
月曜休館(体育の日10月8日は臨時開館します)
網走市立美術館(南6西1)
高校生以上500円(400円)、小中学生250円(200円)
( )は20名以上の団体料金
JR網走駅から1.2キロ、徒歩16分
・網走バスターミナルから330メートル、徒歩5分