北海道美術ネット別館

アート、写真、書など展覧会の情報や紹介、批評、日記etc。毎日更新しています

「日本美術の歴史」と「2人の源太郎先生」

2007年02月09日 06時14分35秒 | 新聞などのニュースから
 全道展会員のベテラン画家で、小樽美術協会事務局長を務める山下脩馬さんが、2月2日夕刊の北海道新聞小樽後志版に「2人の源太郎先生」と題しておもしろいコラムを書いています。夕刊小樽後志版の読者の目にしか触れないのは惜しいので、ここで全文を引用します。
 なお、山下さんご本人に確認して、2カ所あった誤植(事実→見事、四三六項→四三六頁)は訂正しておきました。

 小絲源太郎先生(一八八七-一九七八年)は東京芸術大学卒業、光風会、日展で活躍され文化勲章も受けておられる。温和な風景画にはファンも多く、画商の間でも花形の存在であった。
 小牧源太郎先生(一九〇六-八九年)は立命館大学卒業後、独立展、国画会で活躍され、その日本的シュールレアリズムは一部で高く評価されたが、画商からは全く相手にされなかったとの事。
 私は晩年の小牧先生の講演を聴いた事があるが、小柄ながら元気の良い老人であった。そのころ、国画会で発表される先生の作品は完成度が高く、神経の行き届いた大作の出来栄えは見事で、ある評論家は「神技の域」と評した。しかし、一般的な評価が高くなかったのは先端的な仕事をする人としてはやむを得なかったのかもしれない。
 現在、辻惟雄著「日本美術の歴史」(東京大学出版会)が書評などでも好評である。
 しかし、この書の四三六頁に「シュルレアリスムと日本の民間信仰をつなげた小絲源太郎の仕事も独得だ」との記述がある。ここの所は著者が小絲と小牧を取り違えているのであって、当然の事ながら小牧源太郎の事であろう。同書の人名索引にも小絲源太郎の項目はあるが、小牧源太郎の項目はない。
 この書が唯一の資料なら小牧源太郎は消去されてしまうことになる。
 西欧画家列伝とか本朝画人伝という書物があるが、著者ないし編者の思い違いで記述されるべき画家が記述されないで、歴史上から消えてしまっている例が案外多いのではないか、と思えてならない。


 山下さんが国画会の所属で、おふたりの絵に通暁していることが、説得力を高めていますね。
 それにしても、学問分野が細分化する一方の現在、独力で通史を書き上げるというのはやはりタイヘンで、いくら編集者がチェックしても、見落としは生じるのでしょう。増し刷りの際に訂正されれば、いいですね。

□国画会の小牧源太郎のファイル
□静岡県立美術館の小絲源太郎のファイル


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。