ともに北海高校(札幌)の教壇に立つ画家(深川出身)と書家(空知管内浦臼町出身)の個展が、同時開催されています。
佐藤さんにとっては地元で久しぶりの発表となり、この10年余りの大作や小品計30点ほどが並んで、画風の変遷がたどれるようになっています。
土井さんの生まれた浦臼町は滝川の近傍で、準地元といってもさしつかえないでしょう。
2人は滝川高で同学年だったそうですが、在学中は面識がなく、北海高でいっしょに働くようになって驚いたとのこと。
佐藤さんは、アートホール東洲館の渡辺館長の薫陶のためか、人物デッサンのうまさには目を見張らされます。
以前はモノトーンで、さまざまなポーズの複数の人物と都市風景を組み合わせ、背景を白く抜いたような作品が目立ちましたが、会場に小さなパネルにして貼ってあった作者の言葉によると、「作風が定まらないのが大きな悩みだった」とのことです。
筆者としては、画風がコロコロ変化するのは、団体公募展で決して有利とはいえないでしょうが、本人にとって内的な必然性があれば三岸好太郎の例を引くまでもなく全然オッケーだと思うし、逆に、何十年も大同小異の絵を描いている人はいったい何が面白いんだろうかとも感じますが(見ている方の勝手な理屈ですが、あまり同じ絵ばかり続くとツラい…)…。
先ほどの作者の言葉の続きですが、30歳を過ぎてようやく職が安定し、結婚し、子も2人授かって、生活が安定してきて作風も安定してくるのでは―というようなことをつづっていました。
近年の作は、複数の人物が生々しくからみ合うさまを、人物は赤系の色を目立たせた筆勢で、背景は黒くつぶして(一部は白く抜いて)描いたものです。
これらは、具体的にセックスや暴力、プロレスの現場を描いているというよりも、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う「密の回避」に衝動的に抗う心理を結晶化させたもののように感じます。
学校が休みになったり、テレワークが普及したり、日常のさまざまな場面で、人と人のつながりが物理的に稀薄になり、その場にいることでしか感覚できないざわめきやノイズ、においといったようなものとも疎遠になってきているのが、この1年半余りの私たちの日常だともいえます。そして、人の生のリアリティーとは、じつはそうしたノイズやにおいなどを抜きにしては、足場が崩れ落ちてしまうようなもろいものではないでしょうか。
実は、佐藤さんの「密」などの絵は、相当暑苦しく、じっくり見るのがはばかられるような感じもするのですが、それも人間をめぐるリアリティーなんだろうなと思うのです。
土井さんは「妙」「混沌回帰」など漢字少数字を6点、漢字2点(灌頂記の臨書含む)、近代詩文を11点出品しています(「バスを待つ」は近代詩文というより墨象でしょうか)。
高田敏子の詩「雪の夜」を巻子に書いたものもあります。巻紙は、かな書以外に用いられる例は珍しいのではないでしょうか。
俵万智や「北の国から」などバラエティーに富んだ題材の書が並びますが、やはり圧巻は、縦350、横250センチの連作に原民喜の詩「原爆小景」を書いた作品でしょうか。
ときに、近代詩文の可読性について知ったかぶりを論じている筆者ですが、ここまで力がみなぎり、紙の上に爆発している作品に接すると、そんな細かいことはどうでもよいという気分になってくるほどです。「コレガ人間ナノデス」に始まる詩句は、もとより詩自体の力もあるでしょうが、その詩の言葉に、筆の力が憑依したかのようで、会場空間をぶるぶると震わせているようでした。
なお、東洲館のサイトには、まん延防止措置の指定区域からは来場しないようにとのただし書きがあります。
つまり、札幌や小樽の人は鑑賞できない、ということになります。
2021年8月3日(火)~15日(日)午前10時~午後6時(最終日~4時)、10日休み
アートホール東洲館(深川市1の9)
□ https://satou-jinkei.tumblr.com
過去の関連記事へのリンク
■第44回高書研展 (2019、土井伸盈さん出品。画像なし)
■佐藤仁敬/Jinkei Sato Daily Works (2021年3月24~29日、札幌)
■第109回どんぐり会展 北海高校美術部校外展(2019)
■第71回全道展 (2016、画像なし)
■15→16展 (画像なし)
■13→14展 (画像なし)
■佐藤仁敬個展 (2010)
■第64回全道展入賞者展(2009年10~11月)
■第64回全道展(2009年6月)=画像なし
■佐藤仁敬個展(2009年4月)
■第63回全道展(2008年)=画像なし
■第6回サッポロ未来展
■佐藤仁敬個展(2006年、画像なし)
佐藤さんにとっては地元で久しぶりの発表となり、この10年余りの大作や小品計30点ほどが並んで、画風の変遷がたどれるようになっています。
土井さんの生まれた浦臼町は滝川の近傍で、準地元といってもさしつかえないでしょう。
2人は滝川高で同学年だったそうですが、在学中は面識がなく、北海高でいっしょに働くようになって驚いたとのこと。
佐藤さんは、アートホール東洲館の渡辺館長の薫陶のためか、人物デッサンのうまさには目を見張らされます。
以前はモノトーンで、さまざまなポーズの複数の人物と都市風景を組み合わせ、背景を白く抜いたような作品が目立ちましたが、会場に小さなパネルにして貼ってあった作者の言葉によると、「作風が定まらないのが大きな悩みだった」とのことです。
筆者としては、画風がコロコロ変化するのは、団体公募展で決して有利とはいえないでしょうが、本人にとって内的な必然性があれば三岸好太郎の例を引くまでもなく全然オッケーだと思うし、逆に、何十年も大同小異の絵を描いている人はいったい何が面白いんだろうかとも感じますが(見ている方の勝手な理屈ですが、あまり同じ絵ばかり続くとツラい…)…。
先ほどの作者の言葉の続きですが、30歳を過ぎてようやく職が安定し、結婚し、子も2人授かって、生活が安定してきて作風も安定してくるのでは―というようなことをつづっていました。
近年の作は、複数の人物が生々しくからみ合うさまを、人物は赤系の色を目立たせた筆勢で、背景は黒くつぶして(一部は白く抜いて)描いたものです。
これらは、具体的にセックスや暴力、プロレスの現場を描いているというよりも、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う「密の回避」に衝動的に抗う心理を結晶化させたもののように感じます。
学校が休みになったり、テレワークが普及したり、日常のさまざまな場面で、人と人のつながりが物理的に稀薄になり、その場にいることでしか感覚できないざわめきやノイズ、においといったようなものとも疎遠になってきているのが、この1年半余りの私たちの日常だともいえます。そして、人の生のリアリティーとは、じつはそうしたノイズやにおいなどを抜きにしては、足場が崩れ落ちてしまうようなもろいものではないでしょうか。
実は、佐藤さんの「密」などの絵は、相当暑苦しく、じっくり見るのがはばかられるような感じもするのですが、それも人間をめぐるリアリティーなんだろうなと思うのです。
土井さんは「妙」「混沌回帰」など漢字少数字を6点、漢字2点(灌頂記の臨書含む)、近代詩文を11点出品しています(「バスを待つ」は近代詩文というより墨象でしょうか)。
高田敏子の詩「雪の夜」を巻子に書いたものもあります。巻紙は、かな書以外に用いられる例は珍しいのではないでしょうか。
俵万智や「北の国から」などバラエティーに富んだ題材の書が並びますが、やはり圧巻は、縦350、横250センチの連作に原民喜の詩「原爆小景」を書いた作品でしょうか。
ときに、近代詩文の可読性について知ったかぶりを論じている筆者ですが、ここまで力がみなぎり、紙の上に爆発している作品に接すると、そんな細かいことはどうでもよいという気分になってくるほどです。「コレガ人間ナノデス」に始まる詩句は、もとより詩自体の力もあるでしょうが、その詩の言葉に、筆の力が憑依したかのようで、会場空間をぶるぶると震わせているようでした。
なお、東洲館のサイトには、まん延防止措置の指定区域からは来場しないようにとのただし書きがあります。
つまり、札幌や小樽の人は鑑賞できない、ということになります。
2021年8月3日(火)~15日(日)午前10時~午後6時(最終日~4時)、10日休み
アートホール東洲館(深川市1の9)
□ https://satou-jinkei.tumblr.com
過去の関連記事へのリンク
■第44回高書研展 (2019、土井伸盈さん出品。画像なし)
■佐藤仁敬/Jinkei Sato Daily Works (2021年3月24~29日、札幌)
■第109回どんぐり会展 北海高校美術部校外展(2019)
■第71回全道展 (2016、画像なし)
■15→16展 (画像なし)
■13→14展 (画像なし)
■佐藤仁敬個展 (2010)
■第64回全道展入賞者展(2009年10~11月)
■第64回全道展(2009年6月)=画像なし
■佐藤仁敬個展(2009年4月)
■第63回全道展(2008年)=画像なし
■第6回サッポロ未来展
■佐藤仁敬個展(2006年、画像なし)