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深瀬昌久さん死去(写真家)

2012年06月12日 00時43分33秒 | 新聞などのニュースから
 上川管内美深町生まれの写真家、深瀬昌久さんが9日、亡くなっていた。
 1934年(昭和9年)2月25日生まれだから、78歳だった。

 休刊日で、11日朝刊各紙が出なかったこともあって、マスコミの報道は出遅れたが、10日のうちからツイッターでは流れていた。
 下は長澤章生さんが瀬戸正人さんから聞いた話で、信憑性は高かった。


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 「日本写真家辞典」から。

祖父の題から写真館を営む家に生まれ、幼時より写真に親しむ。日本大学芸術学部写真学科に在学中、木村伊兵衛や土門拳の影響を受けて下町を撮影し、「カメラ」誌月例で特選となる。56年に同校を卒業し、東京の第一宣伝社に就職。60年《精油所の空》で初個展を開催し注目を集め、61年の個展「豚を殺せ!」(銀座画廊、東京)や《カラー・アプローチ》を発表。その後日本デザインセンターに移る。妻・羊子をモデルに、花嫁姿や団地生活を《洋子》シリーズとして撮影。河出書房写真部長を経て、68年からフリーランス。74年に「New Japanese Photography」展(ニューヨーク近代美術館)で紹介され、国内でもワークショップ写真学校の設立に参画するなど盛んに活動する。76年に洋子と離婚。同年、《烏》シリーズを制作する。日常生活を醒めた眼差しで捉える一方で、愛猫を描いた《ビバ!サスケ》(78-79年)や、実家と家族を断続的に定点撮影した《家族》(71-90年)、父親の病床から死までを写真で追った《父の記憶》を87年に発表、高く評価される。(中略)92年以降、自己のため制作を中断して加療中。76年、伊那信男賞、92年、東川賞特別賞受賞。東京在住。


 深瀬さんの写真集は、岩波書店のシリーズ「日本の写真家」にも入っている。
 その帯のことば。

 「私」と対峙し、「生」を写真に刻み続けた異才




 深瀬さんが事故で第一線から姿を消したのは1992年のこと。
 筆者は作品を見たこともあまりないし、写真評論の類いを札幌に置いてきてしまったので、これ以上書くことはできない。

 ただ、北海道が生んだ最も特異な写真家だろうということは、いえる。


 ご冥福をお祈りします。


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