映画の起源について、演劇であると考えている人は多いが、実は鉄道の車窓である―と喝破したのは、フランス・ヌーヴェルヴァーグの旗手ジャン=リュック・ゴダール監督だっただろうか。19世紀半ば以降、高速で遠くまで移動する手段として鉄道が一般化し、人間の認識の仕組みがかなりの程度変化したことは間違いあるまい。あのような速度で行き過ぎる風景を見る機会じたいが、それまで人間には無かったのだ。おそらくわたしたちは、鉄道の出現以降、多くの場面をただちにパッパッと切り替えるように過去を追想するようになったのではないだろうか。
末永正子さんは1951年、小樽に生まれ、その後一貫して小樽を拠点としている画家である。
発表も、小樽市の展覧会や道展がほとんどすべて。全国的な団体公募展には所属していない。
道展では、1998年に最高賞にあたる協会賞を受賞し、2002年に会員に推挙されている。98年当時は、人物のフォルムを残した半抽象画に取り組んでいたが、その後はスピーディーな筆が躍る抽象画に移行した。
ことし3~4月に市立小樽美術館が個展を開いたのは記憶に新しい。昨年、茶廊法邑で開いた3人展も、見応えのあるものだった。
その3人展で作者ともすこし話をしたのだが、彼女の絵の着想には、鉄道の車窓を流れる風景が基底にあるのは、確かなことのようだった。
踏切。坂の町を彩る灯。暗い海。それらを、そのまま描写するのではない。窓の外を通り過ぎる風景は、通り過ぎていく時間のメタファーでもある。ささやかな断片の印象が来て、そして去り、よみがえる。そういう繰り返しは、要するにひと言で言えば、人生である。
今回、カフェの壁に並んでいる横位置の絵画のうち何点かは、水色の絵の具の飛沫が自在に躍っている。
それはガラス窓に付着しては流れていく雨粒のようでもある。
雨が降ると、通り過ぎる風景は雨粒や暗さのせいで見えづらくなる。
過去が思い出しづらくなるのと、どこか似ている。
作者のことばがギャラリーに掲示してあった。
もちろん、抽象画であるから、そこに何を見ようと鑑賞者の自由である。
水色や灰色など多様な色や線、形は、見ることの自由を保障してくれる。
モダニスム的な見方を貫徹するのであれば、あくまで色や線のたわむれを楽しむべきだろう。
しかし、色や形、線や筆触、マチエールなどの追究の果てに、にじみ出てくる画家の息づかいが無い作品は、つまらないと思う。
末永さんの絵を見ていると、こちらも、時間という名の列車に乗って、明滅するさまざまな現象と光景とを、かみしめるように思い出すような、そんな気持ちになってくるのである。
2017年11月15日(水)~12月3日(日)午前9時~午後6時
茶廊法邑(札幌市東区本町1の1)
茶廊法邑への道(アクセス) (環状通東駅から)
参考ページ
市立小樽美術館の関連ページ http://otarubij-kyoryoku.com/exhibition/1046/
朝日新聞北海道版夕刊連載「北海道アート紀行」(星田七恵・市立小樽美術館学芸員の寄稿)http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20170315011560001.html
ブログ「北海道を彩るアーティスト」
過去の関連記事へのリンク
■Wave 13人展 (2016)
■Color's 5 色彩からの絵画性-女性5人展 (2013)
■40周年小樽美術協会展 (2008)
以上、画像なし
■第39回小樽美術協会展 (2007)
末永正子さんは1951年、小樽に生まれ、その後一貫して小樽を拠点としている画家である。
発表も、小樽市の展覧会や道展がほとんどすべて。全国的な団体公募展には所属していない。
道展では、1998年に最高賞にあたる協会賞を受賞し、2002年に会員に推挙されている。98年当時は、人物のフォルムを残した半抽象画に取り組んでいたが、その後はスピーディーな筆が躍る抽象画に移行した。
ことし3~4月に市立小樽美術館が個展を開いたのは記憶に新しい。昨年、茶廊法邑で開いた3人展も、見応えのあるものだった。
その3人展で作者ともすこし話をしたのだが、彼女の絵の着想には、鉄道の車窓を流れる風景が基底にあるのは、確かなことのようだった。
踏切。坂の町を彩る灯。暗い海。それらを、そのまま描写するのではない。窓の外を通り過ぎる風景は、通り過ぎていく時間のメタファーでもある。ささやかな断片の印象が来て、そして去り、よみがえる。そういう繰り返しは、要するにひと言で言えば、人生である。
今回、カフェの壁に並んでいる横位置の絵画のうち何点かは、水色の絵の具の飛沫が自在に躍っている。
それはガラス窓に付着しては流れていく雨粒のようでもある。
雨が降ると、通り過ぎる風景は雨粒や暗さのせいで見えづらくなる。
過去が思い出しづらくなるのと、どこか似ている。
作者のことばがギャラリーに掲示してあった。
刻、一刻と過ぎ去る時間
移りゆく季節の風景や、風の一瞬に想像をめぐらし
色と形、線と色を自由に組み合わせ
Tokiの世界を表現してみました。
もちろん、抽象画であるから、そこに何を見ようと鑑賞者の自由である。
水色や灰色など多様な色や線、形は、見ることの自由を保障してくれる。
モダニスム的な見方を貫徹するのであれば、あくまで色や線のたわむれを楽しむべきだろう。
しかし、色や形、線や筆触、マチエールなどの追究の果てに、にじみ出てくる画家の息づかいが無い作品は、つまらないと思う。
末永さんの絵を見ていると、こちらも、時間という名の列車に乗って、明滅するさまざまな現象と光景とを、かみしめるように思い出すような、そんな気持ちになってくるのである。
2017年11月15日(水)~12月3日(日)午前9時~午後6時
茶廊法邑(札幌市東区本町1の1)
茶廊法邑への道(アクセス) (環状通東駅から)
参考ページ
市立小樽美術館の関連ページ http://otarubij-kyoryoku.com/exhibition/1046/
朝日新聞北海道版夕刊連載「北海道アート紀行」(星田七恵・市立小樽美術館学芸員の寄稿)http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20170315011560001.html
ブログ「北海道を彩るアーティスト」
過去の関連記事へのリンク
■Wave 13人展 (2016)
■Color's 5 色彩からの絵画性-女性5人展 (2013)
■40周年小樽美術協会展 (2008)
以上、画像なし
■第39回小樽美術協会展 (2007)