(承前)
part2の会場から。
出品者は、石井抱旦(神奈川県茅ケ崎市)、江草幽研(兵庫県西宮市)、遠藤泉女(岐阜県各務原市、佐伯孝子(神戸市)、塩崎学(釧路市)、田岡楚香(東京都荒川区)、高橋彰子(神奈川県平塚市)、谷川ゆかり(兵庫県姫路市)、友葭良一(福井県)、中西浩暘(神戸市長田区)、中村紫泉(札幌市)、山本大廣(福井県鯖江市)、和田彩(神戸市)の各氏。
フライヤーには記されていないが、竹下青蘭さんはpart2にも出品した。
この展覧会は、毎日新聞の「書の世界」でも大きく紹介された。
桐山正寿記者は
「 展覧会が自在に変容していく様子を眺めるのはワクワクする。それでなくとも制度化・硬直化の弊害が目立つ書芸術の社会にノマド(遊牧民)の気概をもって風穴を開けてほしい。」
と書き出しで述べている。
以下、記事は次のように続く。
非常に好意的に評されている。
筆者も、この展覧会それ自体は、とてもよかったと思う。
ただ、ちょっと物申しておきたいのは、展覧会のタイトルとフライヤーのデザインである。
これだけを見ても、これが書の展覧会であることが、非常にわかりづらい。
上の記事を読んで、「Ten-ten」というのが由緒ある名称であることを知り、勝手に変えるわけにはいかないことは理解できた。だが、一般の人には書の展覧会であることを、わかってもらえないのではないか。
ここは、展覧会名の冒頭に、例えば「書の先端」とか「前衛書の現在」というような、ひとめで展覧会の性質がつかめるような文言がほしかったと思う。
と同時に、暗い緑色が主体のフライヤーのデザインも、これが「書」の展覧会の案内であることを、パッと見でわからなくしている。
これはおそらく、誰か特定の作品をフューチャーすることを、よしとしないからだろう。
書の世界を、外側から見てていつも思うことだけれど、公平性や平等性にずいぶんと意を用いる業界だなあと感じる。
絵画や彫刻といったほかの美術分野と異なり、いずれかの社中に属している人が大半なので、特定の社中や流派のえこひいきにならないよう、注意を払っているのだろう。
たとえば、北海道書道連盟の展覧会の場合、必ず五十音順の陳列である。しかも、展示位置が毎年固定されないよう、「今年は●行から」と、始める行を毎年変えている。
また、北海道書道展の講評が、北海道新聞文化面に掲載される場合も、個々の作品については、全く触れないのがならいとなっているようだ。
しかし、これをあまり徹底されると、外部の鑑賞者としては、どこから取り掛かっていいのか、途方にくれてしまうことが少なくない。
もちろん、書壇の人が外部の批評を拒否するほどに閉鎖的ではないようだから、いま必要なのは、外部の人間によるめりはりのきいた企画や紹介、そして公平で目配りのきいた批評ではないか。桐山記者だって、全員の名や写真を挙げるわけにはいかないから、いろいろ考えながら(たとえば、紙面に同じ人ばかり出ないように、など)、面白いと思った作品を選んで載せているのだろう。
もうすこし、多くの人に足を運んでもらいたい展覧会であった。
2014年
part1: 7月22日(火)~27日(日)、PART2: 7月29日(火)~8月3日(日)午前10時~午後6時(最終日~午後5時)
コンチネンタルギャラリー(札幌市中央区南1西11 コンチネンタルビル地下)
【告知】
■交錯する眼差しの方へ II 遠藤香峰・大川壽美子・須田廣充・竹下青蘭・吉田敏子(2013)
■江川博展 (2013)
part2の会場から。
出品者は、石井抱旦(神奈川県茅ケ崎市)、江草幽研(兵庫県西宮市)、遠藤泉女(岐阜県各務原市、佐伯孝子(神戸市)、塩崎学(釧路市)、田岡楚香(東京都荒川区)、高橋彰子(神奈川県平塚市)、谷川ゆかり(兵庫県姫路市)、友葭良一(福井県)、中西浩暘(神戸市長田区)、中村紫泉(札幌市)、山本大廣(福井県鯖江市)、和田彩(神戸市)の各氏。
フライヤーには記されていないが、竹下青蘭さんはpart2にも出品した。
この展覧会は、毎日新聞の「書の世界」でも大きく紹介された。
桐山正寿記者は
「 展覧会が自在に変容していく様子を眺めるのはワクワクする。それでなくとも制度化・硬直化の弊害が目立つ書芸術の社会にノマド(遊牧民)の気概をもって風穴を開けてほしい。」
と書き出しで述べている。
以下、記事は次のように続く。
2008年、東京・銀座の洋協ホールでスタートした「Ten-tenプロジェクト」が横浜を経由して北海道へと移動する。出品者も会派を問わず書以外の分野の人々の参加を呼びかけたりしてきたが、今回は奎星会の26人に招待作家の江川博さんを加えた陣容となった。地域的にも北海道から九州までカバーした。年齢も30代前半から70代後半まで、男女の割合も拮抗(きっこう)している。
パート1は、喜代吉鐵牛さん「龍図NO・5」▽榛葉壽鶴さん「巓-内在するもの-」▽竹下青蘭さん「手すさび・伸1」など、パート2には、石井抱旦さん「極3-曲・直」<4>▽中西浩暘さん「風神-RL」<5>▽山本大廣さん「生れ出る(亞→卵型)」など、書の概念を大きく揺らすような多彩な作風の書が並んでいる。
「新しい表現の作品を出してほしい、と呼び掛けています。今回は原点に戻って、より純化した形になったのではないか。出品者も鑑賞者もそれぞれのイメージを膨らませてほしい」と石井さんは話している。
非常に好意的に評されている。
筆者も、この展覧会それ自体は、とてもよかったと思う。
ただ、ちょっと物申しておきたいのは、展覧会のタイトルとフライヤーのデザインである。
これだけを見ても、これが書の展覧会であることが、非常にわかりづらい。
上の記事を読んで、「Ten-ten」というのが由緒ある名称であることを知り、勝手に変えるわけにはいかないことは理解できた。だが、一般の人には書の展覧会であることを、わかってもらえないのではないか。
ここは、展覧会名の冒頭に、例えば「書の先端」とか「前衛書の現在」というような、ひとめで展覧会の性質がつかめるような文言がほしかったと思う。
と同時に、暗い緑色が主体のフライヤーのデザインも、これが「書」の展覧会の案内であることを、パッと見でわからなくしている。
これはおそらく、誰か特定の作品をフューチャーすることを、よしとしないからだろう。
書の世界を、外側から見てていつも思うことだけれど、公平性や平等性にずいぶんと意を用いる業界だなあと感じる。
絵画や彫刻といったほかの美術分野と異なり、いずれかの社中に属している人が大半なので、特定の社中や流派のえこひいきにならないよう、注意を払っているのだろう。
たとえば、北海道書道連盟の展覧会の場合、必ず五十音順の陳列である。しかも、展示位置が毎年固定されないよう、「今年は●行から」と、始める行を毎年変えている。
また、北海道書道展の講評が、北海道新聞文化面に掲載される場合も、個々の作品については、全く触れないのがならいとなっているようだ。
しかし、これをあまり徹底されると、外部の鑑賞者としては、どこから取り掛かっていいのか、途方にくれてしまうことが少なくない。
もちろん、書壇の人が外部の批評を拒否するほどに閉鎖的ではないようだから、いま必要なのは、外部の人間によるめりはりのきいた企画や紹介、そして公平で目配りのきいた批評ではないか。桐山記者だって、全員の名や写真を挙げるわけにはいかないから、いろいろ考えながら(たとえば、紙面に同じ人ばかり出ないように、など)、面白いと思った作品を選んで載せているのだろう。
もうすこし、多くの人に足を運んでもらいたい展覧会であった。
2014年
part1: 7月22日(火)~27日(日)、PART2: 7月29日(火)~8月3日(日)午前10時~午後6時(最終日~午後5時)
コンチネンタルギャラリー(札幌市中央区南1西11 コンチネンタルビル地下)
【告知】
■交錯する眼差しの方へ II 遠藤香峰・大川壽美子・須田廣充・竹下青蘭・吉田敏子(2013)
■江川博展 (2013)