登別出身の作者が滞在、制作したさっぽろ天神山アートスタジオのサイトから引用します。
守屋さんは墨象と呼ばれる書道の一分野に取り組む一方、札幌市立大の大学院で空間デザインを学んでいます。
現代アートのイメージが強い天神山アートスタジオで書道の展示が開かれるのは非常に珍しいですが、実際には、いわゆる書展ではない空間になっていて、両方の特技?を生かした感じになっていました。
しかも、天神山とその周辺の地理をかなりくわしく調べています。これも意外と思われるかもしれませんが、この会場で、天神山に焦点を絞った展示をする作家はそれほど多くありません。
墨象というと、大きな筆で極太の文字を書くので釈文がないと何の文字か分からないという場合も往々にしてあります。
今回の守屋さんは、その手の墨象というよりは、象形文字を大きなサイズで書いているため、なんとなく
「これは『木』かな」
「鳥という文字の先祖だな」
などと見当がつきます。
朱で書いたリンゴは、文字というより絵そのものですね。
2枚めの画像、床の間にあった作品(軸装していませんが)は「鹿」ですね。
漢字のなりたちが、絵に起源を持つものであることに、あらためて思いいたります。
文字を紙以外にも透明な樹脂に大書しており、和室は壮観なインスタレーション部屋になっています。
さらに文字を一つずつばらして、畳の上に並べるということもしています。
書かれているのは、石川啄木の短歌です。
石狩の都の外の
君が家
林檎の花の散りてやあらむ
歌集「一握の砂」に収められているこの歌の「札幌平岸林檎園記念歌碑」が、天神山にあります。
硺木(硺は啄の正字)が平岸に来たという記録はありません。
硺木ファンにはおなじみのエピソードですが、彼が函館の弥生小学校で教員をしていた時代、慕っていたといわれる同僚の橘智恵子に実家からリンゴがおくられてきたことを、後に思い出して詠んだといわれています。
ただし、これは守屋さんもさすがに調べがついていましたが、橘智恵子の実家は平岸ではなく、現在の東区の大覚寺の近くにありました。
斜め通り沿いに碑も立っています。
さらに、天神山周辺にある神社やほこらのことをリサーチして作品に反映させたり、拾ったセミの抜け殻を使った小さな作品を柱などに取り付けたり、さまざまなことをしていました。
蛇足ながら、感じたことを記します。
先日、十勝ゆかりのアーティスト12人展でも赤間さんの書による立体造形があり、書のジャンルに収まり切れない展開の萌芽が出てきたと思います。
また、戦後の前衛書を振り返る研究書が近年、何冊も出版されています。
これらの現象は単に、井上有一らが「歴史」になりアカデミズムの対象になってきたということなのかもしれませんが、あるいは、書の分野がいくらか活性化してきているのかもしれません。
いまの段階ではなんとも言えないですが、ちょっと注目したいところではあります。
2024年11月16日(金)~24日(日)午前9時~午後9時(最終日~正午)
さっぽろ天神山アートスタジオ(札幌市豊平区平岸2の17)
かつては全国有数のリンゴ産地だった平岸。
「林檎」の語源は、果実が甘いため林に鳥がたくさん集まったところにある。
一面のりんご園を見下ろしていた天神山の敷地内には、消えていったりんごの歴史を後世に伝えるため、「平岸林檎園記念歌碑」があり、石川啄木が詠んだ短歌が刻まれている。
「林檎」の語源と、「平岸林檎園記念歌碑」に着目し、リンゴを求めて鳥たちが集まるさまと、短歌にある初夏に咲くリンゴの白い花が散っていくさまなど、周辺をリサーチして明らかになった当時のリンゴ園の風景を墨象で表現する。
また「果」という象形文字は、「木になっている果実の姿」を表しており、木の象形文字の上に実が3つ加えられている。
そこで、この実の部分をリンゴの実と見立て、「果」という象形文字を中心に墨象の空間を制作する。
墨象とは、従来の伝統書道から新しい書の表現として生まれ、文字を書く行為自体が重要であり、従来の座って書く書とは異なり、立った状態で書くため身体の動作が大きく影響する。
場所や空間全体を作品として体験させる書空間の制作に取り組んでいる。
墨象の特徴である、文字を書く行為を重視した展示方法や表現の拡張を行っている。
守屋さんは墨象と呼ばれる書道の一分野に取り組む一方、札幌市立大の大学院で空間デザインを学んでいます。
現代アートのイメージが強い天神山アートスタジオで書道の展示が開かれるのは非常に珍しいですが、実際には、いわゆる書展ではない空間になっていて、両方の特技?を生かした感じになっていました。
しかも、天神山とその周辺の地理をかなりくわしく調べています。これも意外と思われるかもしれませんが、この会場で、天神山に焦点を絞った展示をする作家はそれほど多くありません。
墨象というと、大きな筆で極太の文字を書くので釈文がないと何の文字か分からないという場合も往々にしてあります。
今回の守屋さんは、その手の墨象というよりは、象形文字を大きなサイズで書いているため、なんとなく
「これは『木』かな」
「鳥という文字の先祖だな」
などと見当がつきます。
朱で書いたリンゴは、文字というより絵そのものですね。
2枚めの画像、床の間にあった作品(軸装していませんが)は「鹿」ですね。
漢字のなりたちが、絵に起源を持つものであることに、あらためて思いいたります。
文字を紙以外にも透明な樹脂に大書しており、和室は壮観なインスタレーション部屋になっています。
さらに文字を一つずつばらして、畳の上に並べるということもしています。
書かれているのは、石川啄木の短歌です。
石狩の都の外の
君が家
林檎の花の散りてやあらむ
歌集「一握の砂」に収められているこの歌の「札幌平岸林檎園記念歌碑」が、天神山にあります。
硺木(硺は啄の正字)が平岸に来たという記録はありません。
硺木ファンにはおなじみのエピソードですが、彼が函館の弥生小学校で教員をしていた時代、慕っていたといわれる同僚の橘智恵子に実家からリンゴがおくられてきたことを、後に思い出して詠んだといわれています。
ただし、これは守屋さんもさすがに調べがついていましたが、橘智恵子の実家は平岸ではなく、現在の東区の大覚寺の近くにありました。
斜め通り沿いに碑も立っています。
さらに、天神山周辺にある神社やほこらのことをリサーチして作品に反映させたり、拾ったセミの抜け殻を使った小さな作品を柱などに取り付けたり、さまざまなことをしていました。
蛇足ながら、感じたことを記します。
先日、十勝ゆかりのアーティスト12人展でも赤間さんの書による立体造形があり、書のジャンルに収まり切れない展開の萌芽が出てきたと思います。
また、戦後の前衛書を振り返る研究書が近年、何冊も出版されています。
これらの現象は単に、井上有一らが「歴史」になりアカデミズムの対象になってきたということなのかもしれませんが、あるいは、書の分野がいくらか活性化してきているのかもしれません。
いまの段階ではなんとも言えないですが、ちょっと注目したいところではあります。
2024年11月16日(金)~24日(日)午前9時~午後9時(最終日~正午)
さっぽろ天神山アートスタジオ(札幌市豊平区平岸2の17)