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陰里鉄郎氏の死去に思ったこと

2010年08月26日 06時41分24秒 | 新聞などのニュースから
 2010年8月25日朝刊(朝日新聞など)に死亡記事。以下は共同通信から。

承前)

 陰里 鉄郎氏(かげさと・てつろう=美術評論家)7日午前3時37分、心不全のため横浜市の病院で死去、79歳。長崎県出身。葬儀・告別式は近親者で済ませた。10月に「しのぶ会」を開催する予定。

 三重県立美術館館長や横浜美術館館長、名古屋芸術大教授などを歴任。著書に「陰里鉄郎著作集」(全3巻)がある。


 なんだか、人の死をダシにして、自分のつまらない考えを披露しているようにも思えてきて、気が引けるのだが、もう少し書く。

 陰里鉄郎さんは、美術評論家としては、たとえば先ごろ亡くなった針生一郎さんだとか、大原美術館の館長を務め多くの著作がある高階秀爾さんなどと比べると、いささかネームバリューは劣るかもしれない。
 しかし、展覧会の図録や美術全集などをよくひもとく人とか、美術館学芸員で、彼の名に心当たりのない人はいないだろう。
 もちろん直接の面識はないが、各方面にテキストを書いていらした。 

 ただ、北海道との特別なつながりとなると、ちょっと思い浮かばない。
(もっとも「陰里鉄郎 北海道」でググると、こんなのが出てくるから、われながらびっくり。

 さて、彼の死についてことさらにここに記すのは、今敏さんの死亡記事が出ないかと新聞社のウエブサイトを見てまわっているとき、訃報ページのトップに出ていたのが陰里さんの死去を告げる記事だったからだ。
 しかし、今敏さんの死を悼むツイートがツイッターにはあふれているのに、陰里さんについては、どうも影が薄い。
 すこし前に、twitter検索をかけたら、「今敏」12082件、「陰里鉄郎」12件である。

 もちろん、筆者は、今敏のほうが陰里鉄郎より1万倍偉いとか、そんなくだらないことを言うつもりはまったくない。

 ただ、これまでのアートの世界の序列では、陰里さん的な立ち位置のほうが、今さんよりも上だったのではないか。

 しかし、現実に、海外からも哀悼の意が表されているのは、今さんである。

 ここでちょっと話は飛ぶが、「画壇」で大御所になった人のほうが、アニメ映画監督よりも、いまは美術館やアカデミスムの世界で高く評価されているかもしれない。
 だが、半世紀後はどうなっているかわからない。
 江戸時代のことを考える。
 当時は狩野派の絵師のほうが浮世絵師よりもはるかに社会的地位が高かっただろう。
 だが、西洋人が浮世絵を評価し、それにつれて日本国内の地位も逆転した。
 いま、狩野派の代々の名は知らなくても、北斎や広重は誰もが知っている。

 たぶん、それと似たような価値逆転がいま、おきつつあるのだと思う。

 いま画壇という枠内で賞賛されている人たちは、半世紀後にはほとんど忘却されているだろう。
 その代わり、漫画家やアニメ作家が、日本の20~21世紀を代表するアーティストとして、教科書などに名を連ねていることだろう。

 ほかの分野でもおなじだ。
 100年以上も前の、ユーラシア大陸の西端の音楽を、ひたすら楽譜の通りに演奏することに汲々としている人々(そのくせ、なんか威張っているんだよな~)は忘れ去られ、大衆のものとされてきたジャズやロックなどで創造的な仕事を残した人やグループこそが記憶され続けるだろう。

 話を元に戻すと、わたしは陰里さん個人をおとしめようという意図はまったくない。誤解しないでください。陰里さんの話をマクラにしてしまって申し訳ないです。

 ただ、アニメよりも西洋の油絵のほうがなんとなく偉い、という価値観は、もう過去のものになりつつある-ということが言いたいだけである。



陰里鉄郎氏死去 美術評論家(共同通信) - goo ニュース


今敏氏(アニメーション映画監督)が死去(読売新聞) - goo ニュース


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
時の流れ (奥村 泉)
2010-08-26 09:28:50
ひとつひとつのいのちは全てが同様に大切で、平等ですね。
いのちには・・・存在には、すべて意味があると、1日生きれば1日分、噛み締めます。
人も、動物も、植物も、一切何の隔てなく・・・
50数年生きてきていますので、50数年分の命の重たさをずっしりと感じる日々です・・・。
芸術もしかり?
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価値観は各人のものだと思いますよ。 (びーんず)
2010-08-26 09:54:55
評価されてるから偉いとか、そんな風にランク付けして(無意識に)考えてるので不満が出てくるの、すごく解ります。
見る人次第で評価や価値観なんて変わるものです。自分なりの価値観があれば揺るがないですよ(o^-^o)
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後世に語られる分量の大小は (わたじゅん)
2010-08-26 10:17:25
確かに、より大衆芸能に近いほうが多くなるのは仕方ないですね。加えて20世紀末から一気にブワーッと広がったネットメディアにより、なんでもない一個人が情報発信できるようになった。そういう人たちの発言も、発表され、記録され、残るようになった。ある分野に精通していろいろ語れる評論家の「言葉の質」よりも、どんだけ話題に上ったのかという「言葉の量」が重視されるようになってきている。評論家自体、今後必要なのかどうかという危機にあるんじゃないか。
ところで今敏さんをしのぶ書き込みがSNS、ツイッター、ブログ等で非常に多いのですが、気になるのはやたらと「偽善の白髪老害じじいなんかよりはるかに面白いアニメを作ってきた方がなくなられた」という記述が大マジで何十人も見受けられたこと。だれかほかの人を無理やりライバルにあげつらって貶めるやり方が死を悼むマナーに適しているのか全然わかってない無礼者のなんと多いことよ。そして、やたらめったらランク付けしたがる俗物の多さも、また。
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Unknown (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2010-08-26 22:11:42
奥村泉さん、びーんずさん、わたじゅんさん

コメントありがとうございます。

小生もかなり長く生きてきていますが、とてもこれまで生きてきた重みみたいのは感じられないです。
逆に、時間のたつのが早くなってきたこともあって
「オレのいままでの人生って、なに?」
という感じです。

自分なりの価値観が意外に? あるのが、小生です。
むしろ、それが柔軟な考えのじゃまをしてるんじゃないかと思ったりして。

白髪じいさんって、宮崎駿のことかな?
まあ、彼も手塚治虫が死んだとき、かなりdisってたからね。因果は巡るってやつでしょうか。

しかし、だれかもtwitterで言ってたけど、こんなに評価が高い人だったのなら、みんな映画館に行ってあげればよかったのにね。


あと、わたじゅんさん。
いまのところ、ネットでの言説の多さというのは、アカデミスム的価値観にはそれほど影響してないのではないかと。

だって、言説の95%は、別にどうでもいい内容じゃん。
(と、超上から目線ww)
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