北海道美術ネット別館

アート、写真、書など展覧会の情報や紹介、批評、日記etc。毎日更新しています

’文化’資源としての<炭鉱>展 III-川俣正の作品 09Nov・東京(4)

2009年12月09日 01時42分03秒 | 道外で見た展覧会
承前。しつこいようですが、写真は館の許諾を得て撮影しています)

 さて、川俣正氏のインスタレーションだけは、目黒区美術館に隣接されている区民ギャラリーで展開されている。
 区美術館のチケットの半券をもって行けば、裏側に印を押してもらえるという仕組みである。

 川俣正は三笠出身であるが、日本全国と欧洲を飛び回ってインスタレーションを設営していることもあって、これまで北海道内ではほとんど活動らしい活動をしていない。
 ほとんど唯一の例外は、1983年、札幌の民家を木材で覆った「テトラハウスプロジェクト」だろう。
 このとき、札幌で受け入れ側だったのが、今回の図録にもテキストを寄せているtemporary spaceの中森敏夫氏であり、おなじく図録に長文の論考を執筆している、当時は若手学芸員だった佐藤友哉ともよし氏である。

 川俣正氏のインスタレーションは、素材的にチープなものが多いが、今回もその例に漏れない。
 広大なスペースの中に、大地とズリ山があり、段ボールでつくった炭住や団地が何百も並んでいる。(例によって数を勘定したのだが、どこにメモしたのか、見当たらない)
 タンクのような円筒形もあるが、いかにも炭坑っぽい建造物は、やぐらがひとつあるだけである。




 まあ、川俣氏は、炭坑町を描写したかったのではないだろう。あまり、具体的にいろいろなものを配置すると、特定の炭鉱町に似てくるおそれがある。それは、彼の狙いではないのだろうと思う。

 そして、このチープさは、どこかで実際の炭住街と共通しているのではないか。
 栄えた炭鉱町は、いまやすっかり跡形もないのだ。
 






 以上、書き足りなかったことを何点か追加する。

 まず、図録。
 毎日新聞に三田晴夫さんも書いていたけれど、今後、炭鉱についての美術を調べたりする際の出発点、基本となる労作である。
 2500円+送料300円なので、展覧会に行けない方も、目黒区美術館に早めに申し込んだほうがいいと思われる。
(ちょっと誤植が多いような気はするが、そういう瑕疵を上回る内容とボリュームなのは間違いない)

 その2。
 じぶんが北海道ということもあって、筑豊炭田のほうにはあまり触れられなかったが、やはり近代では、上野英信や谷川雁が雑誌刊行などに力を尽くした筑豊の文化的な豊かさが目を引く。
 ただし、それは、実は北海道の側が、単にネームバリューが低くて、史実の発掘が進んでいないだけかもしれない。
 道内の炭坑文化の発掘は今後の課題である。
(しかし、いまの若い人に上野英信とか谷川雁とかいっても、通じないんだろうな。上野は岩波新書「地の底の笑い話」の筆者。谷川は詩人・評論家で「原点が存在する」が有名。いずれも故人)

 その3。
 若い人が見ても分からないだろうなあと思われることがいくつか。
 その最大は、高度成長期、おおむね日本の有権者の3分の1が支持していた「社会党的なるもの」であろう。
 かつて、日本の知識層と労働組合員の多くは、ゆくゆくは日本に革命が起こり、労働者が主人公の国が生まれるだろうと信じていたのだ。
 そして同時に、憲法第9条を守り、軍備を廃止して、非武装中立であることが良いと考えられていた。
 三池闘争は「総資本対総労働の闘い」と言われた。とりわけ、炭鉱労働者の多い北海道と福岡県は社会党の牙城であった。

 こういった考えは、日米同盟と自衛隊が所与のものとされている現代では、まったくはやらないものになっている。
 時代の流れをつくづく感じる。


(10日追記)
 この展覧会では、毎週のように「夜の美術館大学」と題して講演などを行っているほか、中野の映画館とタイアップして炭鉱に関係する映画を連続上映している。
 このような試みも、美術館の展覧会としては非常にめずらしいし、評価すべきだと思う。


(目黒区美術館の項はおわり。東京の項はつづく


2009年11月4日(水)-12月27日(日)10:00-6:00(入場-5:30)、月曜休み(祝日は開館し翌火曜休み)
目黒区美術館区民ギャラリー(目黒区目黒2-4-36)http://www.mmat.jp/



□Tadashi kawamata http://www.tk-onthetable.com/

三笠出身の美術家 川俣さんが講座 (2008年7月)
川俣正テトラハウス326 アーカイブ展(2009年5月)
川俣正展(2001年)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。