2019年11月4日の北海道新聞(全道版第2社会面)で大きく紹介されていたためか、ここ数日、このブログの「ギャラリー北のモンパルナスへのアクセス(道順)」へのアクセスが増えています。
1920年(昭和5年)鳥取県生まれ、十勝管内音更町在住の松本五郎さん、21年旭川生まれ・在住の菱谷良一さん。
この2人の絵がこれだけ並ぶのは初めてです。
案内状には松本さんの「無二の親友」をはじめ「音更川沿いスキーコース」「自画像」、菱谷さんの「パルミラの遺跡」「赤い帽子」が印刷されています。
企画したギャラリー北のモンパルナスのテキストを引用しておきます。
ルビは筆者がふりました。
さて、筆者がはじめてお二人の絵を見たのは、下のリンク先にあるとおり、2009年のことでした。
そのときすでに80代後半でしたが、その後もお元気で健筆をふるい、各地で証言をしていることに対し、深く敬意を表したいです。
上に引用したテキストで展覧会の趣旨はほぼ言い尽くされていますが、筆者の思うところを追加しておきます。
お二人は治安維持法違反でつかまりますが、共産主義とは無縁だったことは、あらためて述べておきたいです。
もちろん、政治犯の投獄を肯定しているのではありません。ただ、当時の法律では、共産主義者は投獄して良いことになっていました。
1930年代、共産党や社会主義への弾圧はすさまじく、組織は次々と崩壊させられ、関係ありそうな本はすべて発禁になっていました。
したがって、41年に学生だった二人は、かりに共産主義について知ろうとしても、その手段がすでに存在しなかったのです。
松本さんと菱谷さんの逮捕は、冤罪です。
ここで私たちが考えるべきなのは、特高警察が仕事を懸命にやったおかげで、彼らは30年代後半以降、仕事がなくなってしまったのです。そこで、何の関係もない学生を有罪に仕立て上げました。
「ロシア文学を読んでいるらしい。怪しい」
ぐらいの話だったのかもしれません。
ロシア文学は、日本で盛んに読まれていましたが、共産主義とは何の関係もありません。ドストエフスキーは、むしろ反共的です。
仕事のなくなった組織が、無関係な人をとらえるという構図は、横浜事件とよく似ています。
多少なりとも知的な人や、自由にものを考える人が、権力には滅ぼすべき「敵」に見えてしまう。「敵」は、共産主義者だけだったのに、どんどん範囲が拡大していってしまう…。
そんな、ひどい時代があったのです。
そして、そういう時代は、すぐそこまで来ているように、筆者には思えます。
いつまでも、穏やかな絵が描け、どこででも写生ができる、そんな時代が続きますように。
2019年11月5日(火)~12月21日(土)午前11時~午後6時、日月曜・祝日休み
ギャラリー北のモンパルナス(札幌市西区二十四軒4の3 アートヒル琴似)
関連記事へのリンク
ギャラリー北のモンパルナスへの道順(アクセス)
■第14回えべつ平和を語るつどい「戦争中こんな絵を描いて捕らわれた 生活図画事件犠牲者の証言」 (2009)
・地下鉄東西線「琴似駅」5番出口から約370メートル、徒歩5分
・JR琴似駅から約860メートル、徒歩11分
・ジェイ・アール北海道バス「山の手一条通」から約810メートル、徒歩11分
(都市間高速バスや快速は停車しません)
・ジェイ・アール北海道バス、中央バス「西区役所前」から約1.06キロ、徒歩14分
(都市間高速バスや快速を含む、手稲・小樽方面行きの全便が止まります。北大経由は除く)
・ジェイ・アール北海道バス「52 琴似工業高校前行き」で「八軒1条東3丁目」から約850メートル、徒歩11分
(札幌駅前=旧札幌西武前=から出ていますが、本数は1、2時間に1本しかありません)
1920年(昭和5年)鳥取県生まれ、十勝管内音更町在住の松本五郎さん、21年旭川生まれ・在住の菱谷良一さん。
この2人の絵がこれだけ並ぶのは初めてです。
案内状には松本さんの「無二の親友」をはじめ「音更川沿いスキーコース」「自画像」、菱谷さんの「パルミラの遺跡」「赤い帽子」が印刷されています。
企画したギャラリー北のモンパルナスのテキストを引用しておきます。
1941年9月20日、旭川師範学校の美術部員だった松本五郎さんと菱谷良一さんは、治安維持法違反の罪に問われ検挙されました。これに先立ち、同年1月10日には同校の美術教師・熊田満佐吾さんが検挙されています。
生活図画事件です。それは1940年の北海道綴方教育連盟事件に連なる警察権力による道内教育関係者への弾圧でした。
読書し語らい、レコードコンサートを楽しむ学生達…二人が描いたのは日常生活を真摯に見つめ、より良いものにしていこうと励む若者の姿でした。時の権力はそれらの絵を「民衆に共産主義を啓蒙し国家への反逆心を煽るもの」であると決めつけ、二人は特高警察による過酷な取り調べと調書捏造の末に、1年3ケ月もの間旭川刑務所に投獄されてしまったのです。
出獄し、徴兵され軍隊に入り、戦後を迎えて今日に至るまで、松本さんと菱谷さんは一貫して絵筆を握り日々の暮らしをキャンバスに描き続けました。
生活図画事件から78年が経った今、二人の絵は、私達に多くの事を示唆してきます。そこには過去からの証言と現在・未来への希望が存在するのです。
ルビは筆者がふりました。
さて、筆者がはじめてお二人の絵を見たのは、下のリンク先にあるとおり、2009年のことでした。
そのときすでに80代後半でしたが、その後もお元気で健筆をふるい、各地で証言をしていることに対し、深く敬意を表したいです。
上に引用したテキストで展覧会の趣旨はほぼ言い尽くされていますが、筆者の思うところを追加しておきます。
お二人は治安維持法違反でつかまりますが、共産主義とは無縁だったことは、あらためて述べておきたいです。
もちろん、政治犯の投獄を肯定しているのではありません。ただ、当時の法律では、共産主義者は投獄して良いことになっていました。
1930年代、共産党や社会主義への弾圧はすさまじく、組織は次々と崩壊させられ、関係ありそうな本はすべて発禁になっていました。
したがって、41年に学生だった二人は、かりに共産主義について知ろうとしても、その手段がすでに存在しなかったのです。
松本さんと菱谷さんの逮捕は、冤罪です。
ここで私たちが考えるべきなのは、特高警察が仕事を懸命にやったおかげで、彼らは30年代後半以降、仕事がなくなってしまったのです。そこで、何の関係もない学生を有罪に仕立て上げました。
「ロシア文学を読んでいるらしい。怪しい」
ぐらいの話だったのかもしれません。
ロシア文学は、日本で盛んに読まれていましたが、共産主義とは何の関係もありません。ドストエフスキーは、むしろ反共的です。
仕事のなくなった組織が、無関係な人をとらえるという構図は、横浜事件とよく似ています。
多少なりとも知的な人や、自由にものを考える人が、権力には滅ぼすべき「敵」に見えてしまう。「敵」は、共産主義者だけだったのに、どんどん範囲が拡大していってしまう…。
そんな、ひどい時代があったのです。
そして、そういう時代は、すぐそこまで来ているように、筆者には思えます。
いつまでも、穏やかな絵が描け、どこででも写生ができる、そんな時代が続きますように。
2019年11月5日(火)~12月21日(土)午前11時~午後6時、日月曜・祝日休み
ギャラリー北のモンパルナス(札幌市西区二十四軒4の3 アートヒル琴似)
関連記事へのリンク
ギャラリー北のモンパルナスへの道順(アクセス)
■第14回えべつ平和を語るつどい「戦争中こんな絵を描いて捕らわれた 生活図画事件犠牲者の証言」 (2009)
・地下鉄東西線「琴似駅」5番出口から約370メートル、徒歩5分
・JR琴似駅から約860メートル、徒歩11分
・ジェイ・アール北海道バス「山の手一条通」から約810メートル、徒歩11分
(都市間高速バスや快速は停車しません)
・ジェイ・アール北海道バス、中央バス「西区役所前」から約1.06キロ、徒歩14分
(都市間高速バスや快速を含む、手稲・小樽方面行きの全便が止まります。北大経由は除く)
・ジェイ・アール北海道バス「52 琴似工業高校前行き」で「八軒1条東3丁目」から約850メートル、徒歩11分
(札幌駅前=旧札幌西武前=から出ていますが、本数は1、2時間に1本しかありません)