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2019年2月21日、地震再び

2019年02月22日 07時54分18秒 | つれづれ日録
 2月20日(水)は出勤前に、ギャラリー創へ。
 原井憲二さんに、13年ぶりにお目にかかった。
 原井さんの個展は、視線を移動させながら見ないと作品のおもしろさがわからないので、ぜひ会場に足を運んでもらいたいと思った。24日まで。

 市電で西4丁目まで行き、出社。



 21日(木)はHOKUSEN GALLERY ivory に寄ってから出社。

 筆者はその日、地域面の降版時間である午後9時を過ぎても、苫小牧報道部と電話で紙面についてのやりとりをしていた。
 それが終わって、同日最後の書類を走り書きしていたら、いきなり揺れを感じて、思わず
「地震?」
と声に出した。その直後、職場のあちこちのスマートフォンやテレビから速報が鳴りだした。

 けっこう大きい。

 9時22分、マグニチュード5.8。
 震源は胆振の中東部で、胆振管内厚真町で震度6弱だった。
 気象庁の発表では、札幌市中央区では震度3ということだったが、体感的には震度3の程度ではなく、4はあったように思った。
 取り急ぎ、家人に電話して無事を確認し、翌日は朝早い勤務なので帰宅することにした。

 会社のエレベーターは止まっていた。
 階段を降りていくと、続々と会社に集まってくる報道センターの記者たちとすれ違った。

 NHKテレビは地下鉄の動きを報じていないので、Yahoo! リアルタイムで確認すると、どうやら動いていないようである。
 自宅近くに直行するバスはすでに最終便が出た後だったので、バスとバスを乗り継ぐことに決め、山内壮夫「希望」像のそばにある「北1条」バス停に向かう。福住行きの便が目の前を通り過ぎた。バスは走っているようだ。

 数分後にやって来た柏葉台団地(北広島市)行きは超満員だったが、なんとか乗り込んだ。
 ステップに立つわけにもゆかず、乗り口のカードリーダーの横にある幅10センチぐらいの細い床面に足を載せていた。
 次の「南1条」では、乗車できない人が出た。
 ただし、直後にやって来た千歳駅前行き急行バスは比較的空いているようだった。

 国道36号に左折すると、南4条停留所の行列は、角の焼き鳥屋の前まで伸びていた。いつも数人しか待っていない停留所なので、こんな光景を見たのは初めてだ。
 当然、ほとんどが乗れず、一部の人は、後続の千歳駅前行き急行に殺到していた。
 国道を歩く人もいつになく多かった。

 そんな状態なので、筆者が立っているそばのドアから乗ってくる人は、途中で2人だけ。ほかの客はみな、前側のドアから乗車していた。後ろ側のドアは、混雑しすぎで前まで到達できない客が降りるためにもっぱら使用されていた。
 首都圏の通勤列車ではともかく、札幌のバスでこんなに混雑しているのを見たことがない。近未来SF映画「トゥモロー・ワールド」で難民が詰め込まれるバスの方がまだ快適のように見えた。
 ほうほうのていで、月寒中央駅前で降車。
 乗り降りに時間がかかる上、道路が混んでいたこともあり(おそらく、地下鉄ストップを受けて、自家用車で家族が都心部の職場まで迎えに来ているのだろう)、23分遅れだった。

 月寒中央駅からは、ふだん利用している路線に乗って帰宅した。


 自宅では、一部のCDや本、資料類が山崩れを起こしていたが、書棚は無事で、何かが割れたなどの被害もなかった。
 なにより、停電していないのが心理的に大きい。


 家でテレビニュースを見ていたら、地下鉄が運休したため、タクシーを待つ人が長蛇の列をつくっている光景が流れていた。
 しかし、平日なら午後10時前であれば、札幌市内はほとんどJRかバスで帰れるはずなのだ。
 ふだん地下鉄ばかり利用している人は、それ以外の交通手段を思いつかないのだろうか。
 冬の夜に1時間も2時間も立って待つというのは、筆者には耐えられない。難民バスのほうがマシだ。

 札幌で、地下鉄が止まるとほんとにヤバイのは、澄川や自衛隊前のあたりだ。
 あのへんは都心から直通のバス路線がない。
 都心から歩いて帰ろうにも、遠すぎる。 

(この項続く) 


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