北海道新聞1月28日おくやみ面の札幌市の項にある巳亦進治さんは、豊平硝子の会長を務めた巳亦さんと思われます。
25日に亡くなり葬儀は終了しています。95歳でした。
いまでこそ、小樽や札幌、網走など道内各地にガラス工房があり、作り手がいます。
しかし、昔は盛んだった漁網の浮き玉づくりがすたれて多くのガラス業者が廃業し。1980年当時、道内には3軒の工房しかなかったといわれています。その1軒が、札幌市豊平区の「豊平硝子」です。
巳亦進治さんは1954年に2代目社長となり、北海道のガラス産業の厳しい時代を乗り切りつつ、勝野好則さん(十勝管内音更町)や荒川尚也さん(京都府)ら多くの後進を育てました。92年に会長となり、巳亦敬一さんに後を引き継ぎました。
そういうわけで、筆者はお目にかかったことも作品を見たこともありません。
しかし、巳亦進治さんが踏ん張っていなければ、1990年代以降の道内でガラス産業が盛り上がってくることもなかったのではないかと思います。
ご冥福をお祈りします。
なお、いま筆者の手元に見当たらないのですが、巳亦進治さんについては、下記の「豊平硝子の100年」展の図録(江別市セラミックアートセンター)と、林昇太郎「アイヌ絵とその周辺」(北海道出版企画センター)の所収論文が参考になるのではないでしょうか。
過去の関連記事へのリンク
■豊平硝子の100年 (2007)
■豊平硝子同門展(2006)
25日に亡くなり葬儀は終了しています。95歳でした。
いまでこそ、小樽や札幌、網走など道内各地にガラス工房があり、作り手がいます。
しかし、昔は盛んだった漁網の浮き玉づくりがすたれて多くのガラス業者が廃業し。1980年当時、道内には3軒の工房しかなかったといわれています。その1軒が、札幌市豊平区の「豊平硝子」です。
巳亦進治さんは1954年に2代目社長となり、北海道のガラス産業の厳しい時代を乗り切りつつ、勝野好則さん(十勝管内音更町)や荒川尚也さん(京都府)ら多くの後進を育てました。92年に会長となり、巳亦敬一さんに後を引き継ぎました。
そういうわけで、筆者はお目にかかったことも作品を見たこともありません。
しかし、巳亦進治さんが踏ん張っていなければ、1990年代以降の道内でガラス産業が盛り上がってくることもなかったのではないかと思います。
ご冥福をお祈りします。
なお、いま筆者の手元に見当たらないのですが、巳亦進治さんについては、下記の「豊平硝子の100年」展の図録(江別市セラミックアートセンター)と、林昇太郎「アイヌ絵とその周辺」(北海道出版企画センター)の所収論文が参考になるのではないでしょうか。
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■豊平硝子の100年 (2007)
■豊平硝子同門展(2006)