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■高橋弘子第12回個展『幻の椅子ーテレビとバナナとブーメランー』 (2017年9月25日~10月7日、札幌)

2017年10月09日 21時56分16秒 | 展覧会の紹介-絵画、版画、イラスト
 ものすごいペースで制作・発表を続ける札幌の高橋弘子さんの、半年ぶりとなる個展。
 アクリル画6点を出品していますが、今回はこれまで高橋さんのトレードマークともいうべきオオカミを描いた絵が1枚もないのがめずらしいです。


 その代わりに描かれているのは、個展の副題にあるとおり、椅子とテレビとブーメランです。
 冒頭の大作「月日、山、影像、幻の椅子」には、オオカミの絵の背景にも描かれていた険しく暗い岩山が登場している一方で、バナナは描かれていません。バナナは小品に描かれており、個展の会場にあった作者自身の手になる文章によると、「武器よりもバナナを差し出したほうがいいのだろうか」という自問から選ばれた題材のようです。

 作者の文章を勝手に要約しないほうがいいと思うのですが、全文を引くのは長すぎるので、あえて書くと、昔はテレビに向かってああだこうだ言っていた、しかしテレビを見なくなってしまった。また、テレビに限らず、ああだこうだ言ったことは、ブーメランのように自分にかえってくる。自分はああだこうだ言ってもいいのだと思えるのはなぜなのか、自分は大きな椅子にすわっている気分なのではないか。
 そんな感じでしょうか。


 筆者がおもしろいなあと思ったのは、「自分はああだこうだ言ってもいい」ことについて疑問を抱いていること。
 筆者は、ああだこうだ言うことが万人にひろくみとめられているのが民主主義社会だと素朴に信じているので、みんなどんどん言いたいことを、自分の責任において言えばいいんじゃないかと思いますが。

 そこで口ごもっちゃう人が多いのが、日本社会なんですかね。
 「民主主義は工場(あるいは会社)の門前で立ち止まる」なんて言い方もありますね。

 右の絵は、大作「月日、山、影像、幻の椅子」の部分拡大図。 
 裁定を下す人のような大きな椅子とテレビが向かい合い、テレビのほうからブーメランが戻ってきています。


 個人的に興味深かったもうひとつの点は、テレビのイメージです。
 長い脚がついたテレビや、背部が大きく出っ張ったブラウン管テレビは最近めっきり見なくなってしまいましたが、高橋さんにとってのテレビのイメージは、昭和時代のまま止まっているのかもしれません。
 いまのテレビとまったく違うのに、なんとなくテレビだということが了解できるとすれば、人間の認識というのはどういう仕組みになっているのでしょうか。
 新聞に載っている電話マークのことを思い出しながら、そんなことを考えていました。


2017年9月25日(月)~10月7日(土)午前10時~午後9時(土日祝~8時)
自由空間(札幌市中央区大通東1 中央バス札幌ターミナル地下)


http://hirokotakahashi.net/
□twitter @harutoki_k

高橋弘子第11回個展『たぶん世界に私しかいない』(2017年5月)
高橋弘子第8回個展『DAMAGED』 (2016)
高橋弘子第2回個展「Subjective observation」(2015)


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