(承前)
PARASOPHIAのメーン会場である京都市美術館に近づいていったら、正面向かって左のスピーカーから、聞き覚えのある歌声が流れてきた。
スーザン・フィリップスの「インターナショナル」だった。
聞き覚えがあるのは、もちろん、彼女のサウンドインスタレーションが、札幌芸術の森野外美術館に設置されていたからだ。
それにしても、誰かも書いていたけれど、日本国内で開かれる国際芸術祭で「インター」が聞けるとは思ってもみなかった。
若い人はご存じないだろうが「インターナショナル」というのは、国際共産主義運動の歌である。
かつては、共産党も、そうでない全共闘などの党派も、テーマソングのように歌っていた。
北京放送は、放送の終了時に流していたと記憶する。
だから、或る世代の、とくに大学に通っていたような人は、かなりの割合で歌えるのではないだろうかと思う。
1956年のスターリン批判から、ハンガリー蜂起の挫折、プラハの春の圧殺、そして88年のベルリンの壁崩壊、引き続いてのソヴィエト崩壊までの間、三十数年かけて「共産主義の夢」は崩れていった。
それは「理想社会をつくる夢」の挫折でもあった。
単に挫折しただけでなく、共産主義の旗のもとに、ソヴィエトでは「収容所群島」が現出し、カンボジアでは数百万人が虐殺され、北朝鮮では親の身分で本人の進路が決まる恐怖独裁体制が固定化した。
「うまくいかなかった」という生易しいものではなく、「理想の旗の下に逆ユートピアが出現した」とでもいうべき状態になったことは、いまさら筆者が指摘するまでもない。
そして、共産主義陣営に対抗するという意味合いをもって、社会福祉を手厚くし、労働者の権利に配慮してきた市場経済諸国(西側陣営)は、ソヴィエトの崩壊とともにそれらの節度を失い、むきだしの「新自由主義」が頭をもたげるようになった。
たったひとつのスピーカーから流れるアカペラが、20世紀の歴史を考えさせる。
しかも、現実に「かいなを組んでいた」男性の労働者の合唱ではなく、さらに疎外されていたであろうひとりの女の声で流れるというのが、パラドックスなのかもしれないと思う。
もうひとつの彼女の作で、新作「三つの歌」は、京都市美術館ではなく、出町柳駅に近い賀茂大橋のあたりで披露された。
図録によると、鴨川の河川敷(四条河原)で歌舞伎が発祥したという史実に彼女が興味を抱き、町民たちのために市井の日常をテーマにした劇やダンスを披露した出雲阿国について、「4つのスピーカーを用いた、観客を包み込むようなサウンドインスタレーションを通して、はみ出し者たちを起源とする伝統芸能へのオマージュとし、今ではその名が忘れ去られてしまった彼らに思いをはせたいと思う」としている
実際に足を運んでみると、河原には大勢の人が集まって、涼をとっていた。
この「川と市民の距離の近さ」は、札幌ではまず見られないものだ。
花火のとき以外に、これほど多くの人が豊平川などの岸辺にいることはほとんどない。
おまけに筆者が行ったときは、だれかが橋の下で、サクソホンの音程の練習をしていた。
ほかにも、車の音、人の歓声などで、スーザンの声はあまり聞こえない。
最初はちょっと腹が立ったし、PARASOPHIAが京都市民に浸透していない証左ではないかと思ったが、この「町の雑踏に埋もれかける音」というのも作家が狙ったものかもしれないと思い直した。
公共空間に音を流すことこそが、彼女の作品のキモなのだから。
スーザン・フィリップスは1965年、グラスゴー生まれ。ベルリン在住。
2010年にターナー賞を受賞し、ドクメンタ、マニフェスタ、札幌国際芸術祭などに出品。
□公式サイト http://susanphilipszyouarenotalone.com/
最後に、参考までにユーチューブの画像を貼っておきます。
【札幌国際芸術祭2014参加アーティストインタビュー】スーザン・フィリップス
The Internationale(Japanese Version)
PARASOPHIAのメーン会場である京都市美術館に近づいていったら、正面向かって左のスピーカーから、聞き覚えのある歌声が流れてきた。
スーザン・フィリップスの「インターナショナル」だった。
聞き覚えがあるのは、もちろん、彼女のサウンドインスタレーションが、札幌芸術の森野外美術館に設置されていたからだ。
それにしても、誰かも書いていたけれど、日本国内で開かれる国際芸術祭で「インター」が聞けるとは思ってもみなかった。
若い人はご存じないだろうが「インターナショナル」というのは、国際共産主義運動の歌である。
かつては、共産党も、そうでない全共闘などの党派も、テーマソングのように歌っていた。
北京放送は、放送の終了時に流していたと記憶する。
だから、或る世代の、とくに大学に通っていたような人は、かなりの割合で歌えるのではないだろうかと思う。
1956年のスターリン批判から、ハンガリー蜂起の挫折、プラハの春の圧殺、そして88年のベルリンの壁崩壊、引き続いてのソヴィエト崩壊までの間、三十数年かけて「共産主義の夢」は崩れていった。
それは「理想社会をつくる夢」の挫折でもあった。
単に挫折しただけでなく、共産主義の旗のもとに、ソヴィエトでは「収容所群島」が現出し、カンボジアでは数百万人が虐殺され、北朝鮮では親の身分で本人の進路が決まる恐怖独裁体制が固定化した。
「うまくいかなかった」という生易しいものではなく、「理想の旗の下に逆ユートピアが出現した」とでもいうべき状態になったことは、いまさら筆者が指摘するまでもない。
そして、共産主義陣営に対抗するという意味合いをもって、社会福祉を手厚くし、労働者の権利に配慮してきた市場経済諸国(西側陣営)は、ソヴィエトの崩壊とともにそれらの節度を失い、むきだしの「新自由主義」が頭をもたげるようになった。
たったひとつのスピーカーから流れるアカペラが、20世紀の歴史を考えさせる。
しかも、現実に「かいなを組んでいた」男性の労働者の合唱ではなく、さらに疎外されていたであろうひとりの女の声で流れるというのが、パラドックスなのかもしれないと思う。
もうひとつの彼女の作で、新作「三つの歌」は、京都市美術館ではなく、出町柳駅に近い賀茂大橋のあたりで披露された。
図録によると、鴨川の河川敷(四条河原)で歌舞伎が発祥したという史実に彼女が興味を抱き、町民たちのために市井の日常をテーマにした劇やダンスを披露した出雲阿国について、「4つのスピーカーを用いた、観客を包み込むようなサウンドインスタレーションを通して、はみ出し者たちを起源とする伝統芸能へのオマージュとし、今ではその名が忘れ去られてしまった彼らに思いをはせたいと思う」としている
実際に足を運んでみると、河原には大勢の人が集まって、涼をとっていた。
この「川と市民の距離の近さ」は、札幌ではまず見られないものだ。
花火のとき以外に、これほど多くの人が豊平川などの岸辺にいることはほとんどない。
おまけに筆者が行ったときは、だれかが橋の下で、サクソホンの音程の練習をしていた。
ほかにも、車の音、人の歓声などで、スーザンの声はあまり聞こえない。
最初はちょっと腹が立ったし、PARASOPHIAが京都市民に浸透していない証左ではないかと思ったが、この「町の雑踏に埋もれかける音」というのも作家が狙ったものかもしれないと思い直した。
公共空間に音を流すことこそが、彼女の作品のキモなのだから。
スーザン・フィリップスは1965年、グラスゴー生まれ。ベルリン在住。
2010年にターナー賞を受賞し、ドクメンタ、マニフェスタ、札幌国際芸術祭などに出品。
□公式サイト http://susanphilipszyouarenotalone.com/
最後に、参考までにユーチューブの画像を貼っておきます。
【札幌国際芸術祭2014参加アーティストインタビュー】スーザン・フィリップス
The Internationale(Japanese Version)