(承前)
筆者が三笠に向かったのは、川俣正さんが中心となり進めていた「HOKKAIDO IN PROGRESS 三笠プロジェクト」のインスタレーションがこの日までに完成し、午後4時から披露が行われると聞いていたからだ。
このインスタレーションは一般公開される機会はあまりない。もちろん、非公開ということではなく、HOKKAIDO IN PROGRESSのサイトから申し込めば、かぎをあけてくれるのだろうが。筆者は、このプロジェクトをサポートする「三笠ふれんず」のメンバーでもないわけだし。
川俣さんは以前から、有志との協働を重視する傾向にあったが、最近は「開かれたアート」とか「アートでまちおこし」といった口当たりの良い言葉への違和感を表明している。その思いが、いちばんよく出ている文章が、たとえば昨年10月21日の北海道新聞朝刊文化面に寄稿した「エッセー 北の地から北の地へ “閉じたアートプロジェクト”の可能性」だろう。
彼は次のように書いている。
三笠のプロジェクトを「文化イベント主義へのアンチテーゼ」とする川俣さんは、この日のあいさつでも「アートがどうも『いい人』になってきてる気がする。僕はなんか違うなあと思う」と話していた。
その思いが、自治体などからの助成金には頼らず、1口1万円で会員になれる「三笠ふれんず」によるサポートという手法に行きついたのだろう。
「秘密結社みたいな動きが、うねりになっていけばいい。極めて個人的で内向きで、でもなんかやってるなあと言われるようになったらおもしろい。三笠ふれんずが、違う場所で、たとえば仙台とかで活動したらおもしろいんじゃない?」
おそらく川俣さんの関心は、作品それ自体の美的な完成度などではなく、人々とつくりあげていくプロセスそのものにあるのだろうと思う。だから、作品は、いつも「仮設」的なのだ。
とはいえ、3年間かけて、三笠ふれんずのメンバーたちとこつこつ、体育館の中に作り上げてきたインスタレーションには、度肝を抜かれた。
でかいのだ。
筆者は、目黒区美術館の個展の規模を想像していたが、その数倍はある。長屋などの建物の数は、1700ぐらいはあるだろうということだった。
ズリ山を中心に、斜面がうねるさまもダイナミックだ。
これは、特定のヤマを写実したものではないだろう。ただ、その規模は、標準的なひとつのヤマ(炭鉱とそれにともなって形成された市街地)を想定しているようだ。
かつて石炭で栄えた市町村はいずれも、はっきりした中心があるというよりは、複数のヤマの連合体のようにつくられていた。三笠も、幌内と幾春別では、独立した別のマチのように発展していた。
なお、上の写真で、前列中央の黒い半袖シャツの人が川俣さん。
その左側にいるのが、おなじ三笠市内で滞在制作に取り組んでいる岡部昌生さんである。フロッタージュの手を休めて会場に駆けつけた。
北海道が生んだ二大現代美術家がそろうのもすごい。
なお、体育館の2階両袖に上る木の階段は、前日までに急きょ取りつけたとのこと。
むき出しの木材の感じは、これも川俣さんっぽい。
舞台(演台)のほうから見る。
この反対側の壁には、ドローイング作品がびっしりと展示してあった。
演奏家集団「表現」の佐藤さんによる5絃ビオラによる即席のコンサートが実現。
ビオラを演奏しながら歌うという、なかなかユニークな音楽だった。
ところで、巨大なボタ山の中は、中央の通路から入れるようになっている。
内部は、ヤマの夜が再現されているのだ。
これは、息を呑まずにはおられない作品だ。あるいは、感嘆の声を上げずにはいられないというべきか。
作品解説に訪れた地元の人も驚いていた。
灯りの数は、人口6万を数えた三笠の最盛期を想定しているらしい。
まさに、この会場にふさわしい作品だと思う。
会場になった小学校は取り壊されるという話もあり、このインスタレーションも、恒久的なものにならない可能性がある。
写真ではスケール感が伝わってこないので、機会があったら現地に足を運んで見たほうが良い。たとえ、あなたがどこに住んでいようとも。
あらためて、おすすめしておきます。
インスタレーション制作はこれでひとまず終了。あと、豪華カタログの編集、刊行が残っている。年内を目標に作業している由だ。
さて。
筆者は会場に1時間ちょっとしかいられなかった。
長い時間を仲間との作品づくりや講座などで一緒に過ごしてきたメンバーたちと違い、自分は、ほんの通りすがりに過ぎない。なんだか、感動を共有している人たちとおなじ空間に長いこといるのも、申し訳ないような気がして、そそくさと会場を後にした。
時間がないので、バス停までの道を走っていたら、プロジェクトのカメラマンにして、札幌国際芸術祭にも出品する露口啓二さんが車の運転席から呼び止められた。
「間に合うかい?」
「う~ん、たぶん」
後部座席のドアが開いた。バス停までのせてもらうことにした。
ヴェネツィアビエンナーレ作家(岡部昌生さん)に車のドアを開け閉めさせてしまった筆者(笑)。
車から降りたら、すぐに帰りのバスが来たので、正直なところ、車に乗らなかったら危ないところだった。
□北海道インプログレス http://hokkaidoinprogress.jimdo.com/
□Tadashi kawamata http://www.tk-onthetable.com/
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■川俣正 北海道インプログレス 三笠プロジェクト2014 (7月10~13日)■ドローイング展(~7月9日、札幌)
芸術選奨文部科学大臣賞に川俣正さん
’文化’資源としての<炭鉱>展 III-川俣正の作品 09Nov・東京(4)
■三笠出身の美術家 川俣さんが講座 (2008年7月)
■川俣正テトラハウス326 アーカイブ展(2009年5月)
■川俣正展(2001年)
筆者が三笠に向かったのは、川俣正さんが中心となり進めていた「HOKKAIDO IN PROGRESS 三笠プロジェクト」のインスタレーションがこの日までに完成し、午後4時から披露が行われると聞いていたからだ。
このインスタレーションは一般公開される機会はあまりない。もちろん、非公開ということではなく、HOKKAIDO IN PROGRESSのサイトから申し込めば、かぎをあけてくれるのだろうが。筆者は、このプロジェクトをサポートする「三笠ふれんず」のメンバーでもないわけだし。
川俣さんは以前から、有志との協働を重視する傾向にあったが、最近は「開かれたアート」とか「アートでまちおこし」といった口当たりの良い言葉への違和感を表明している。その思いが、いちばんよく出ている文章が、たとえば昨年10月21日の北海道新聞朝刊文化面に寄稿した「エッセー 北の地から北の地へ “閉じたアートプロジェクト”の可能性」だろう。
彼は次のように書いている。
しかしこうした軽薄なイベント主義による「地方」と呼ばれているところの観光地化を、アートで肩代わりさせようという意識のもとでは、集客能力を持ったものとして魅力的に見える文化的イベントも、実際は宣伝効果による短期間の集客以上には決してならない。なぜなら、それらの町がそれほど本腰を入れて取り組む姿勢を、作品の設営やそこで制作された作品の中から見ることが出来ないからである。
三笠のプロジェクトを「文化イベント主義へのアンチテーゼ」とする川俣さんは、この日のあいさつでも「アートがどうも『いい人』になってきてる気がする。僕はなんか違うなあと思う」と話していた。
その思いが、自治体などからの助成金には頼らず、1口1万円で会員になれる「三笠ふれんず」によるサポートという手法に行きついたのだろう。
「秘密結社みたいな動きが、うねりになっていけばいい。極めて個人的で内向きで、でもなんかやってるなあと言われるようになったらおもしろい。三笠ふれんずが、違う場所で、たとえば仙台とかで活動したらおもしろいんじゃない?」
おそらく川俣さんの関心は、作品それ自体の美的な完成度などではなく、人々とつくりあげていくプロセスそのものにあるのだろうと思う。だから、作品は、いつも「仮設」的なのだ。
とはいえ、3年間かけて、三笠ふれんずのメンバーたちとこつこつ、体育館の中に作り上げてきたインスタレーションには、度肝を抜かれた。
でかいのだ。
筆者は、目黒区美術館の個展の規模を想像していたが、その数倍はある。長屋などの建物の数は、1700ぐらいはあるだろうということだった。
ズリ山を中心に、斜面がうねるさまもダイナミックだ。
これは、特定のヤマを写実したものではないだろう。ただ、その規模は、標準的なひとつのヤマ(炭鉱とそれにともなって形成された市街地)を想定しているようだ。
かつて石炭で栄えた市町村はいずれも、はっきりした中心があるというよりは、複数のヤマの連合体のようにつくられていた。三笠も、幌内と幾春別では、独立した別のマチのように発展していた。
なお、上の写真で、前列中央の黒い半袖シャツの人が川俣さん。
その左側にいるのが、おなじ三笠市内で滞在制作に取り組んでいる岡部昌生さんである。フロッタージュの手を休めて会場に駆けつけた。
北海道が生んだ二大現代美術家がそろうのもすごい。
なお、体育館の2階両袖に上る木の階段は、前日までに急きょ取りつけたとのこと。
むき出しの木材の感じは、これも川俣さんっぽい。
舞台(演台)のほうから見る。
この反対側の壁には、ドローイング作品がびっしりと展示してあった。
演奏家集団「表現」の佐藤さんによる5絃ビオラによる即席のコンサートが実現。
ビオラを演奏しながら歌うという、なかなかユニークな音楽だった。
ところで、巨大なボタ山の中は、中央の通路から入れるようになっている。
内部は、ヤマの夜が再現されているのだ。
これは、息を呑まずにはおられない作品だ。あるいは、感嘆の声を上げずにはいられないというべきか。
作品解説に訪れた地元の人も驚いていた。
灯りの数は、人口6万を数えた三笠の最盛期を想定しているらしい。
まさに、この会場にふさわしい作品だと思う。
会場になった小学校は取り壊されるという話もあり、このインスタレーションも、恒久的なものにならない可能性がある。
写真ではスケール感が伝わってこないので、機会があったら現地に足を運んで見たほうが良い。たとえ、あなたがどこに住んでいようとも。
あらためて、おすすめしておきます。
インスタレーション制作はこれでひとまず終了。あと、豪華カタログの編集、刊行が残っている。年内を目標に作業している由だ。
さて。
筆者は会場に1時間ちょっとしかいられなかった。
長い時間を仲間との作品づくりや講座などで一緒に過ごしてきたメンバーたちと違い、自分は、ほんの通りすがりに過ぎない。なんだか、感動を共有している人たちとおなじ空間に長いこといるのも、申し訳ないような気がして、そそくさと会場を後にした。
時間がないので、バス停までの道を走っていたら、プロジェクトのカメラマンにして、札幌国際芸術祭にも出品する露口啓二さんが車の運転席から呼び止められた。
「間に合うかい?」
「う~ん、たぶん」
後部座席のドアが開いた。バス停までのせてもらうことにした。
ヴェネツィアビエンナーレ作家(岡部昌生さん)に車のドアを開け閉めさせてしまった筆者(笑)。
車から降りたら、すぐに帰りのバスが来たので、正直なところ、車に乗らなかったら危ないところだった。
□北海道インプログレス http://hokkaidoinprogress.jimdo.com/
□Tadashi kawamata http://www.tk-onthetable.com/
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