僕が一番恐れてるのは惰性ということなんです。やはりこれを描けば大丈夫だというような惰性がいやなんです。だから何とか新しい絵を生み出したい。…芸術の根幹をなす創造性とは挑戦しようとする行き方の中で生まれるのではないでしょうか。
会場入り口の「トドワラ」(1969年作)という絵のそばに、上記のような画家の言葉がパネルにして展示してあった。2001年9月、小樽美術館館報23号に載った「水彩画との出会い」の一節らしい。
白江正夫さん(1923~2014)は、礼文島の船泊村(現礼文町船泊)生まれ。
師範学校(現在の道教育大)を卒業し、小樽で水彩画家として活躍した。
「小樽に住む水彩画家で道内の風景をよく描いた」
といわれれば、にじみを生かした繊細で美しい画面を想像するむきもおられようが、白江さんの絵はまったく違った。
小樽運河や教会といったモティーフも描いたが、メリハリのきいた色彩と力強い線が、作品を、一般的な水彩画がともすれば有しかねない弱さと無縁なものにしていた。小樽でも、名もない街角、高層住宅やビルなどをよく取り上げていた。
安直に黒い輪郭線を引けば、画面は引き締まるけれどもどこか稚拙な感じになる。白江さんは、ビルなどの角に太い線を引くことで、画面に力強さと速度の感覚をもたらすことに成功したと思う。
稚拙といえば、幼児はよく太陽を描くが、大人の画家はあまり画面に入れたがらない。しかし白江さんは好んで太陽を描いた。今回の個展にも、多くの絵で太陽が描写されている。
ただしそれらは、青空に光る輝かしい太陽ではない。多くは、曇り空に鈍くオレンジや黄色の光を発し、周囲に集中線などをともなわない。
北海道の冬空の陰鬱で厳しいさまを、むしろよく表しているのではないだろうか。
(北の季節)と仮に題された90年代の絵。
港をバックに、手前に漁師3人がうつむき気味に立っているようすは、代表作「さいはて」と共通するものを感じる。
また、1994年の「雪光る」は、縦構図で、画面上部に、さびたトタン屋根の古い木造家屋を、下部にはすっかり崩壊した木造の家をそれぞれ配した。「さいはて」と同様、北海道の風土の厳しさをきっちりと絵で語っており、間然とするところがない。
2009年の「原風景」、10年「歳月」も複数のモティーフを縦構図画面に配した。「歳月」も、古い民家と丈夫な灯台を対比させて、人生や年月というものに、見る者への思いを誘う。
「岬の集落」は、自然の要素のほうが多い、白江さんとしては珍しい風景画。全面に黒い線が走り回っている。この絵は、2007年の小樽美術協会展で見たと記憶する。なつかしい。
それにしても、剛毅な精神性を感じさせる白江さんの絵が、画家の物故のためにこれから見る機会が減っていくのであれば、さびしい話だ。またどこかで見たいと思う。
他の出品作は、次の通り。
(運河) 1970年代
あじさいの丘 83年
(雲) 不明
出抜小路 90年代
冬陽 90年
生動 2003年
祈り 2000年
小樽 松ケ枝町 80年代
運河線一艇 96年
晴映 91年
窓外眺望 2000年代
釧路旅情 01年
(茜色の運河) 2000年
2016年10月11日(火)~16日(日)午前10時~午後6時(最終日~午後5時)
スカイホール (札幌市中央区南1西3 大丸藤井セントラル7階)
□札幌一番街商店街 ギャラリー情報
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