映画『この空の花 長岡花火物語』予告編
「この空の花」を見て驚いた話は先にも記した。
この映画は、いままで見たどの映画にも似ていない。
現実と虚構、過去と現在、現実とコンピュータグラフィックスが自在に入り交じり、見ているほうは、一時も目が離せない。
これほどまでに、さまざまな要素を詰め込んだ映画といえば、筆者はこれまでに500本程度映画館で見た程度の映画体験しかないが、「ゴダールの映画史」ぐらいしか思いつかない。
以下、なんの脈絡もなしに、思いついたことを述べる(ネタバレあり、注意)。
この映画は、一般的な劇映画の文法をあちこちで、故意に逸脱している。
松雪泰子演じるヒロインは九州の天草・牛深に、高嶋は新潟県長岡の山古志に、それぞれ住んでいるのだが、手紙の往還の途中で、いきなり客席のほうを向いて説明を始める。
ウディ・アレンやフェリーニの映画なら、あるいは「あり」かもしれないが、ふつうは、複数の登場人物が向かい合っているときに交互にクローズアップの画面が出てくるときなどをのぞいては、ありえないショットである。
時系列は自由である。
最初、花火職人の家に話を聴きに行くときは、過去の回想はそれとわかるように挿入される。
しかし、後段に至り、彼が山下清を追い払ったエピソードが想起されると、実際に山下清が川原に現れるし、シベリア抑留が回想されると、抑留時に防寒着姿で作業をしていた人物がそのままその場に出てくる。
「なんだこれは」
と驚く間もなく、映画はどんどん進んでいく。
さらに、職員室で花火の説明を始める先生は、三味線を弾きながら話すし、生徒たちは校舎の廊下で一輪車に乗っている。
何度か回想される松雪と高嶋の別れの場面では
「戦争だ」
「この雨、痛いな」
というせりふがある。
要するに、わかりやすいテレビドラマなどにくらべると、なんだか理解しづらいことが多いのだが、そんなことはおかまいなしに映画は進むのである。
字幕も多用される。よくある「京都」とか「10年後」などではない。
昨今のテレビのバラエティー番組並みに出てくる。
もっとも、いまの若い人にとって「甲種合格」など、なじみの薄いことばが頻発するので、ある程度はやむをえないかもしれない。
とはいえ、この長尺の映画で、テレビそのものが登場する場面は一度もない(ただし、興行としての映画にとってテレビは長らく敵役であるので、登場しないほうが一般的である)。
そのかわり、新聞(新潟日報の紙面)、紙芝居、演劇、写真(遺影)、本(ニュージーランド・クック山の百合が載っている)など、いろいろなメディアが次から次へと登場し、映画をポリフォニック(多声的)なものにしている。
重要な役割を果たしている新潟日報の連載「戦争にはまだ間に合いますか」は、これは想像だが、他の題で連載された切り抜きの、題の部分を細工して、画面に登場させたものではないか。
「戦争にはまだ間に合いますか」というのは、初めて聞くと奇妙な日本語だが、映画を見ると、説得力を感じる。
松雪泰子が長岡へ旅立つきっかけは、高嶋から聞いた高校生の手になる脚本と、その新潟日報の連載記事の題が一致しているからであった。ただ、松雪が、どういう理由でわざわざ新潟日報の記事を読んでいたのかは、映画では説明されない。
西日本新聞や、東京紙(朝日や読売など)を読むのは自然なことだと思うが、ふつうは新潟の新聞をわざわざ取り寄せないと思う。
説明不足といえば、職員室の三味線の場面で、管理職らしい教師がいぶかしそうな目つきでにらむショットが何度も挿入されるのだが、これは何の伏線にもなっていないと思う。詰め込めるだけ詰め込んで、長尺であることを感じさせない映画であるとはいえ、まだちょん切れるショットもあるような気がする。
模擬原爆の話は興味深かった。というか、知らなかった。
それが落ちた穴の跡は、近年の河川改修まで残っていたというのが、この映画でも重要なエピソードの一つになっている。
残しておけばよかったのに。
この映画は、京都に空襲がなかったのは文化財があったからだという定説にも疑問を呈している。
大戦末期、徴用されたのだと思うが、暗号を傍受する係だった小樽在住の版画家一原有徳さん(ただし、美術に取り組むのは戦後であって、当時はまだ郵便局員・登山家である)は、小樽に原爆が落ちるという米軍の通信をキャッチしたと生前語っていた。
あるいは、本物ではなく、この模擬原爆のことだったのかもしれない。
松雪泰子はこの映画では長崎原爆の被爆二世だという設定である。
現実の彼女は、長崎県のとなりの佐賀県、鳥栖市の出身である。
天草の牛深の斜面を自転車で下っていく場面を見ると、この街はもしかしたら尾道(大林宣彦の故郷にして、彼の作品における特権的な土地)と似ているのかもしれないと思う。
この映画でも言及されているが、長崎に2発目の原爆が投下されたのは、8月9日に小倉(北九州)が曇りだったからという偶然の理由が大きい。
山下清の役を、石川浩次が演じているのは、はまり役すぎて笑ってしまう。
ここまでキャラクターと役柄が合っているのは、「めぞん一刻」の四谷さん役を伊武雅人がやったときくらいしか思いつかない。
その山下清が、クライマックスの場面で、パーカッションを演奏し始めると、斜面に腰掛けていた人たちがひとり、またひとりと立ち上がって、音楽を奏で始める。
パスカルズのメンバーなのだが、すでにこのむちゃくちゃな登場の仕方も違和感がなくなっている。
坂田明は、戦災で片腕を失った役なので、片手でサクソフォンを演奏しているが、それでもなお、ぶっ飛んだ演奏であるのは、さすがとしか言いようがない。
しかも、この前後には、戦争経験を証言する場面で役者が演じていたモデルの本人が登場して、記者の質問に答えてしまう。
ここでは、現実と虚構の境目はあっさり取り払われている。
長岡には上越新幹線が通っているはずであるが、映画には1度しか登場しない。
松雪泰子と原田夏希が出会う直後、川のほとりを歩く場面で、背後を走っているのはおそらく寝台列車である。
米百俵の逸話は、小泉純一郎元首相が引いたことで一躍有名になった。
何度か、これを題材にした野外彫刻の大作が登場するが、作者は誰だろう。
松雪泰子が最後にタクシー運転手に言った
「仲良くしなさい」
は、半ば冗談なんだろうけど、深刻なアポリアをはらんでいる。
戦争は絶対にいけない。それはわかるが、では、平和を「強制」できるか。平和と強制それ自体が矛盾するのではないか。
焼夷弾の威力のすさまじさを、この映画では詳しく解説している。
こんなものが日本中の都市に何万発も落下して、町中を焼き払ったのだ。
よく日本は戦後、復興したものだといつも思う。
焼け野原の写真を見るたびに、泣きそうになる。
この映画のすごいところは、米軍の非人道性をあげつらうのではなく、真珠湾攻撃にも語りおよび(長岡は山本五十六の出身地なのだ)、戦争が相互に被害をあたえることと、和解の重要性を説くところだ。
「この空の花」を見て驚いた話は先にも記した。
この映画は、いままで見たどの映画にも似ていない。
現実と虚構、過去と現在、現実とコンピュータグラフィックスが自在に入り交じり、見ているほうは、一時も目が離せない。
これほどまでに、さまざまな要素を詰め込んだ映画といえば、筆者はこれまでに500本程度映画館で見た程度の映画体験しかないが、「ゴダールの映画史」ぐらいしか思いつかない。
以下、なんの脈絡もなしに、思いついたことを述べる(ネタバレあり、注意)。
この映画は、一般的な劇映画の文法をあちこちで、故意に逸脱している。
松雪泰子演じるヒロインは九州の天草・牛深に、高嶋は新潟県長岡の山古志に、それぞれ住んでいるのだが、手紙の往還の途中で、いきなり客席のほうを向いて説明を始める。
ウディ・アレンやフェリーニの映画なら、あるいは「あり」かもしれないが、ふつうは、複数の登場人物が向かい合っているときに交互にクローズアップの画面が出てくるときなどをのぞいては、ありえないショットである。
時系列は自由である。
最初、花火職人の家に話を聴きに行くときは、過去の回想はそれとわかるように挿入される。
しかし、後段に至り、彼が山下清を追い払ったエピソードが想起されると、実際に山下清が川原に現れるし、シベリア抑留が回想されると、抑留時に防寒着姿で作業をしていた人物がそのままその場に出てくる。
「なんだこれは」
と驚く間もなく、映画はどんどん進んでいく。
さらに、職員室で花火の説明を始める先生は、三味線を弾きながら話すし、生徒たちは校舎の廊下で一輪車に乗っている。
何度か回想される松雪と高嶋の別れの場面では
「戦争だ」
「この雨、痛いな」
というせりふがある。
要するに、わかりやすいテレビドラマなどにくらべると、なんだか理解しづらいことが多いのだが、そんなことはおかまいなしに映画は進むのである。
字幕も多用される。よくある「京都」とか「10年後」などではない。
昨今のテレビのバラエティー番組並みに出てくる。
もっとも、いまの若い人にとって「甲種合格」など、なじみの薄いことばが頻発するので、ある程度はやむをえないかもしれない。
とはいえ、この長尺の映画で、テレビそのものが登場する場面は一度もない(ただし、興行としての映画にとってテレビは長らく敵役であるので、登場しないほうが一般的である)。
そのかわり、新聞(新潟日報の紙面)、紙芝居、演劇、写真(遺影)、本(ニュージーランド・クック山の百合が載っている)など、いろいろなメディアが次から次へと登場し、映画をポリフォニック(多声的)なものにしている。
重要な役割を果たしている新潟日報の連載「戦争にはまだ間に合いますか」は、これは想像だが、他の題で連載された切り抜きの、題の部分を細工して、画面に登場させたものではないか。
「戦争にはまだ間に合いますか」というのは、初めて聞くと奇妙な日本語だが、映画を見ると、説得力を感じる。
松雪泰子が長岡へ旅立つきっかけは、高嶋から聞いた高校生の手になる脚本と、その新潟日報の連載記事の題が一致しているからであった。ただ、松雪が、どういう理由でわざわざ新潟日報の記事を読んでいたのかは、映画では説明されない。
西日本新聞や、東京紙(朝日や読売など)を読むのは自然なことだと思うが、ふつうは新潟の新聞をわざわざ取り寄せないと思う。
説明不足といえば、職員室の三味線の場面で、管理職らしい教師がいぶかしそうな目つきでにらむショットが何度も挿入されるのだが、これは何の伏線にもなっていないと思う。詰め込めるだけ詰め込んで、長尺であることを感じさせない映画であるとはいえ、まだちょん切れるショットもあるような気がする。
模擬原爆の話は興味深かった。というか、知らなかった。
それが落ちた穴の跡は、近年の河川改修まで残っていたというのが、この映画でも重要なエピソードの一つになっている。
残しておけばよかったのに。
この映画は、京都に空襲がなかったのは文化財があったからだという定説にも疑問を呈している。
大戦末期、徴用されたのだと思うが、暗号を傍受する係だった小樽在住の版画家一原有徳さん(ただし、美術に取り組むのは戦後であって、当時はまだ郵便局員・登山家である)は、小樽に原爆が落ちるという米軍の通信をキャッチしたと生前語っていた。
あるいは、本物ではなく、この模擬原爆のことだったのかもしれない。
松雪泰子はこの映画では長崎原爆の被爆二世だという設定である。
現実の彼女は、長崎県のとなりの佐賀県、鳥栖市の出身である。
天草の牛深の斜面を自転車で下っていく場面を見ると、この街はもしかしたら尾道(大林宣彦の故郷にして、彼の作品における特権的な土地)と似ているのかもしれないと思う。
この映画でも言及されているが、長崎に2発目の原爆が投下されたのは、8月9日に小倉(北九州)が曇りだったからという偶然の理由が大きい。
山下清の役を、石川浩次が演じているのは、はまり役すぎて笑ってしまう。
ここまでキャラクターと役柄が合っているのは、「めぞん一刻」の四谷さん役を伊武雅人がやったときくらいしか思いつかない。
その山下清が、クライマックスの場面で、パーカッションを演奏し始めると、斜面に腰掛けていた人たちがひとり、またひとりと立ち上がって、音楽を奏で始める。
パスカルズのメンバーなのだが、すでにこのむちゃくちゃな登場の仕方も違和感がなくなっている。
坂田明は、戦災で片腕を失った役なので、片手でサクソフォンを演奏しているが、それでもなお、ぶっ飛んだ演奏であるのは、さすがとしか言いようがない。
しかも、この前後には、戦争経験を証言する場面で役者が演じていたモデルの本人が登場して、記者の質問に答えてしまう。
ここでは、現実と虚構の境目はあっさり取り払われている。
長岡には上越新幹線が通っているはずであるが、映画には1度しか登場しない。
松雪泰子と原田夏希が出会う直後、川のほとりを歩く場面で、背後を走っているのはおそらく寝台列車である。
米百俵の逸話は、小泉純一郎元首相が引いたことで一躍有名になった。
何度か、これを題材にした野外彫刻の大作が登場するが、作者は誰だろう。
松雪泰子が最後にタクシー運転手に言った
「仲良くしなさい」
は、半ば冗談なんだろうけど、深刻なアポリアをはらんでいる。
戦争は絶対にいけない。それはわかるが、では、平和を「強制」できるか。平和と強制それ自体が矛盾するのではないか。
焼夷弾の威力のすさまじさを、この映画では詳しく解説している。
こんなものが日本中の都市に何万発も落下して、町中を焼き払ったのだ。
よく日本は戦後、復興したものだといつも思う。
焼け野原の写真を見るたびに、泣きそうになる。
この映画のすごいところは、米軍の非人道性をあげつらうのではなく、真珠湾攻撃にも語りおよび(長岡は山本五十六の出身地なのだ)、戦争が相互に被害をあたえることと、和解の重要性を説くところだ。