アップがすっかり遅れてしまい申し訳ありません。
茶室というめずらしい会場での個展にあたり作者が書いたテキストを、ブログから引用する。
今回の澁谷俊彦氏のインスタレーションは、茶室という環境にすっかりとけこんで家具や調度になってしまうのでもなければ、純日本的な空気と水と油のように離反してしまうのでもない、まさに「いいあんばい」で、和室の中に存在していたと思う。
廊下や玄関の赤い毛氈を意識した、赤を基調とした側面は黒い木の柱が、鑑賞者を出迎える。
床の間と掛軸、畳、障子、自在鉤のついた囲炉裏、屏風…。
すべてが、作品をうまく引き立て、作品とたくみに共存してひとつの空間を形作っている。
さらに、「借景」となった、廊下(縁側)の向こうに見える庭の緑。気象。
そういったものも、作品とひとつの音楽を奏でているかのようである。
玄関、廊下、和室二間のなかで、鑑賞者それぞれがお気に入りのポジションを見つけていたようだが、筆者が断然好みだったのは、この画像の位置。
室内にありながら、ガラス窓つきの障子戸を通じて、廊下(縁側)、さらには屋外へとつながっている。考えてみれば日本の家屋は、室内と室外を厳然と分け隔てることがない。そういうあいまいさが、妙に心地よくて、しばらく正座していた。
そういえば夏目漱石の随筆に「硝子戸の中」なんていうのがあったっけ…(ただし、漱石の時代には、硝子戸は舶来の新しいインテリアであったことには注意を要する)。
作者のインスタレーションの構成要素はここ何回かは変わっていない。
正方形の角柱は木でできており、側面は黒く塗り、天にあたる面が絵の具の飛沫などによる「絵画」になっている。高さはそれぞれ異なる。
もうひとつは石膏でできた半球形で、角柱とおなじく、天を向いた断面が絵画面である。こちらは、側面が白く、大小さまざまである。
この色彩配置と形状は、ごくシンプルであるがゆえに、多彩な組み合わせを可能にしている。和室に無理なく溶け込んでいる理由でもあろう。そして、見る人に解釈と鑑賞の「のりしろ」を大きくする役目も果たしているだろう。
こちらは、作者の想定したベストポジション。
玄関から入って右側の壁を背にして、廊下(縁側)のほうまで一望できる位置になっている。
室外の緑が効果的な要素になっている。
桜の季節と紅葉のころは、たいへん美しいらしいが、本来の用途である茶室としての利用が多いので、美術展は開くのがむつかしい季節らしい。
いうまでもなく、いすが存在せず床面(畳)に直接腰をおろすことが前提となっている和室では、洋間やギャラリーよりも鑑賞者の目線が低くなる。作者は、春のギャラリーエッセの個展よりも、正方形の白い板をやや低くしている。
そのままだと、ちゃぶ台のような家具になってしまうし、あまり低すぎるとこんどは畳と同化してしまう。作者のさじ加減の微妙絶妙なところだ。
(28日、語句を手直し)
高さだけでなく、さまざまな「部品」の配置について試行を繰り返したことは、作者のブログに詳しい。
鉄瓶などを置く小さな棚に、白い半球が、以前からそこにあったかのように、おあつらえ向きに置かれていた。
今回も、断面に展開されている絵は、決して大きなサイズではないのに、宇宙や森を想起させる無限の広がりを有しているように感じられる。じっと見ていると、こちらがすいこまれてしまいそうだ。
(この項続く)
2009年7月18日(土)-20日(月)10:00-17:00(初日のみ12:00-)
紅桜公園内茶室 寿光庵(南区澄川4の13)
□http://toshihikoshibuya.com/
■澁谷俊彦個展-青い雫09-
■澁谷俊彦展 森の雫(2008年3月) ■つづき
■渋谷俊彦個展(07年11月)
■絵画の場合展(07年1月)
■渋谷俊彦展-瞑想の森-(06年9-10月)
■絵画の場合2005
■絵画の場合2004
■渋谷俊彦展-大地の記憶(04年)
■渋谷俊彦展-森の鼓動(03年)
■渋谷俊彦展(02年)
■二人展「交差する座標軸」(02年、画像なし)
茶室というめずらしい会場での個展にあたり作者が書いたテキストを、ブログから引用する。
アートは既存の美術館やギャラリーで鑑賞するだけののものではありません。現在認識される美術の概念は、明治以降の西洋化がもたらしたものであり、古来日本には存在せず、生活の中に様々なかたちで潜んでおりました。襖絵、掛け軸、茶の湯、いけばな、書、建築、庭園などあらゆる場所に存在し、暮らしと一体のものとして育まれてきました。そんな日本の伝統と現代アートはそろそろ融合する時代なのではないでしょうか。
今回の澁谷俊彦氏のインスタレーションは、茶室という環境にすっかりとけこんで家具や調度になってしまうのでもなければ、純日本的な空気と水と油のように離反してしまうのでもない、まさに「いいあんばい」で、和室の中に存在していたと思う。
廊下や玄関の赤い毛氈を意識した、赤を基調とした側面は黒い木の柱が、鑑賞者を出迎える。
床の間と掛軸、畳、障子、自在鉤のついた囲炉裏、屏風…。
すべてが、作品をうまく引き立て、作品とたくみに共存してひとつの空間を形作っている。
さらに、「借景」となった、廊下(縁側)の向こうに見える庭の緑。気象。
そういったものも、作品とひとつの音楽を奏でているかのようである。
玄関、廊下、和室二間のなかで、鑑賞者それぞれがお気に入りのポジションを見つけていたようだが、筆者が断然好みだったのは、この画像の位置。
室内にありながら、ガラス窓つきの障子戸を通じて、廊下(縁側)、さらには屋外へとつながっている。考えてみれば日本の家屋は、室内と室外を厳然と分け隔てることがない。そういうあいまいさが、妙に心地よくて、しばらく正座していた。
そういえば夏目漱石の随筆に「硝子戸の中」なんていうのがあったっけ…(ただし、漱石の時代には、硝子戸は舶来の新しいインテリアであったことには注意を要する)。
作者のインスタレーションの構成要素はここ何回かは変わっていない。
正方形の角柱は木でできており、側面は黒く塗り、天にあたる面が絵の具の飛沫などによる「絵画」になっている。高さはそれぞれ異なる。
もうひとつは石膏でできた半球形で、角柱とおなじく、天を向いた断面が絵画面である。こちらは、側面が白く、大小さまざまである。
この色彩配置と形状は、ごくシンプルであるがゆえに、多彩な組み合わせを可能にしている。和室に無理なく溶け込んでいる理由でもあろう。そして、見る人に解釈と鑑賞の「のりしろ」を大きくする役目も果たしているだろう。
こちらは、作者の想定したベストポジション。
玄関から入って右側の壁を背にして、廊下(縁側)のほうまで一望できる位置になっている。
室外の緑が効果的な要素になっている。
桜の季節と紅葉のころは、たいへん美しいらしいが、本来の用途である茶室としての利用が多いので、美術展は開くのがむつかしい季節らしい。
いうまでもなく、いすが存在せず床面(畳)に直接腰をおろすことが前提となっている和室では、洋間やギャラリーよりも鑑賞者の目線が低くなる。作者は、春のギャラリーエッセの個展よりも、正方形の白い板をやや低くしている。
そのままだと、ちゃぶ台のような家具になってしまうし、あまり低すぎるとこんどは畳と同化してしまう。作者のさじ加減の
(28日、語句を手直し)
高さだけでなく、さまざまな「部品」の配置について試行を繰り返したことは、作者のブログに詳しい。
鉄瓶などを置く小さな棚に、白い半球が、以前からそこにあったかのように、おあつらえ向きに置かれていた。
今回も、断面に展開されている絵は、決して大きなサイズではないのに、宇宙や森を想起させる無限の広がりを有しているように感じられる。じっと見ていると、こちらがすいこまれてしまいそうだ。
(この項続く)
2009年7月18日(土)-20日(月)10:00-17:00(初日のみ12:00-)
紅桜公園内茶室 寿光庵(南区澄川4の13)
□http://toshihikoshibuya.com/
■澁谷俊彦個展-青い雫09-
■澁谷俊彦展 森の雫(2008年3月) ■つづき
■渋谷俊彦個展(07年11月)
■絵画の場合展(07年1月)
■渋谷俊彦展-瞑想の森-(06年9-10月)
■絵画の場合2005
■絵画の場合2004
■渋谷俊彦展-大地の記憶(04年)
■渋谷俊彦展-森の鼓動(03年)
■渋谷俊彦展(02年)
■二人展「交差する座標軸」(02年、画像なし)
いま手元にないので確かなことはいえないですが、まさに有島の「カインの末裔」は、「北海道文学」の出発点にある作品であるといえます。
(もちろん「北海道文学」というくくりが「擬制」であるというのも、その通りなんですけど)
いわゆる日本とは違う精神的風土(くりま)が初めて自覚的に打ち出された作品ですよね、たぶん。
長年生きてきて、北海道で生まれ、その根底に日本人だということを強く思うのです。
特に意識したのが、有島武郎著「カインの末裔」冒頭のページからです。
場面の描写や人間の姿が(開拓の厳しさは有りますが)私の感覚とどこか違う、大げさにいえば宗教的な捉え方の発見だと思います。
ミサに与りながら座禅をしている、大きなものにゆだねる、そんな違和感のないところ、日本人なんだとつくづく思っています(勿論、そこまでの道のりはありましたが)。
日々、起こる喜びや痛みも享受し、自分が選んだ生活スタイルを引き受けながら、日本人が大切に培ってきたものを見失わないようにゴールができたらいいなと、アート作品を見ての感想です。