Twitter をめぐっては、このブログには、2012年秋に記事を書いて以来、ほとんど独立したエントリをたてていないが、ここでわざわざ説明するまでもなく、それ以降もずーっと続けています。
説明するまでもなく、というのは、ツイッターでのつぶやきを、ブログに自動的にまとめられるように設定しており、このブログにも毎日「●月◆日のつぶやき」という記事が何本も生成されているからです。
短い情報を発信するのにこれほど便利なツール(道具)は、ほかにないというのが、今なお自分が抱いている印象です。
じつは筆者はほかにもいろいろ SNS をやっているのですが、結局ツイッターがいちばん長続きしているし、やっている時間も圧倒的に長いです。ほとんど依存症かもしれません。
さて、2017年3月初旬、フォロワーが4000の大台に乗りました。
2012年9月に2500ですから、1500増えるのに、54カ月もかかった計算になります。
ちなみに、3900に達したのが昨年11月ですから、100を上積みするのに4カ月もかかっています。
この数年、フォローされても、フォローを返さないことも多いし、ツイッター全体の勢いが鈍っているので、こういうことになるんでしょうね。
あと、最近は政治関係のリツイート(引用)やツイート(つぶやき)も多いです。
これは筆者が、そういう方面がすきなのだということではなく、ここ数年の政治の状況が、それ以前に比べてひどすぎるという事情が大きいためです。
美術の情報発信と、アカウントを分けたほうがいいのではないかと考えたこともなくはないのですが、そもそも、政治や社会と無関係なところにアートが成立すると思うこと自体が馬鹿げていますからね。
(※3月13日追記。もちろん、無関係なところに成立するアートもあっていいと思いますが、無関係でなければならないとか、原則は無関係だと思うのは、意味のないことです)
たぶん、政治的な内容を忌避して、フォローをはずす人もかなりいるものと推察していますが、そうやって政治的なものを避け続けたあげくに自分の暮らしがどんどんひどくなっていくのをいつまで放置するつもりなのかなあ、とは思います。
その直後、3月12日に、発言(ツイート)数が10万を超えました。
自分が、知らない人からフォローされると、だいたい、その人のプロフィルをチェックして
「わ、この人、10万超えてる。つぶやきすぎじゃね?」
とドン引きするくらいなので、ちょっと多すぎるかもしれません。
説明するまでもなく、というのは、ツイッターでのつぶやきを、ブログに自動的にまとめられるように設定しており、このブログにも毎日「●月◆日のつぶやき」という記事が何本も生成されているからです。
短い情報を発信するのにこれほど便利なツール(道具)は、ほかにないというのが、今なお自分が抱いている印象です。
じつは筆者はほかにもいろいろ SNS をやっているのですが、結局ツイッターがいちばん長続きしているし、やっている時間も圧倒的に長いです。ほとんど依存症かもしれません。
さて、2017年3月初旬、フォロワーが4000の大台に乗りました。
2012年9月に2500ですから、1500増えるのに、54カ月もかかった計算になります。
ちなみに、3900に達したのが昨年11月ですから、100を上積みするのに4カ月もかかっています。
この数年、フォローされても、フォローを返さないことも多いし、ツイッター全体の勢いが鈍っているので、こういうことになるんでしょうね。
あと、最近は政治関係のリツイート(引用)やツイート(つぶやき)も多いです。
これは筆者が、そういう方面がすきなのだということではなく、ここ数年の政治の状況が、それ以前に比べてひどすぎるという事情が大きいためです。
美術の情報発信と、アカウントを分けたほうがいいのではないかと考えたこともなくはないのですが、そもそも、政治や社会と無関係なところにアートが成立すると思うこと自体が馬鹿げていますからね。
(※3月13日追記。もちろん、無関係なところに成立するアートもあっていいと思いますが、無関係でなければならないとか、原則は無関係だと思うのは、意味のないことです)
たぶん、政治的な内容を忌避して、フォローをはずす人もかなりいるものと推察していますが、そうやって政治的なものを避け続けたあげくに自分の暮らしがどんどんひどくなっていくのをいつまで放置するつもりなのかなあ、とは思います。
その直後、3月12日に、発言(ツイート)数が10万を超えました。
自分が、知らない人からフォローされると、だいたい、その人のプロフィルをチェックして
「わ、この人、10万超えてる。つぶやきすぎじゃね?」
とドン引きするくらいなので、ちょっと多すぎるかもしれません。