(92はこちら)
ときどき旅に出ないと、鬱屈した気持ちがたまってくる。
新型コロナウイルス感染拡大の防止のため各地の美術館が臨時休業している中でも孤塁を守って開館を続けていた網走市立美術館に「半谷学展」を見に行くため、3月21日午前8時33分、遠軽駅発の普通列車「4659D」に乗った。
3連休の中日とあって、駅舎内に人はまばらだった。
キハ40のディーゼルカー2輛編成。
乗客は10人もいないのに、どうして2輛なんだろう。
遠軽―網走間は113.2キロ。
特急列車なら1時間45分ほどだが、普通列車だと2時間50分。
そもそも遠軽―網走間に直通の普通列車が1日計4本しかなく、これでも下りでは最も速い(上りでは2時間32分で着く列車がある)。
おなじオホーツク管内でこんなに時間がかかるのかと、ため息が出る。
網走でもこんなに遠いのだから、斜里や知床だと、もっと遠いのだ。
ちなみに自家用車でも、1時間40分ほどはかかると思う。
古い車輛なのだろう。
青いモケットのボックスシート。
「JNR」のロゴが入った扇風機。
ものを載せたら重みで沈む網棚。
まさに昭和が全開だ。
もっとも、昭和末期、まだキハ22形が現役で走っているころは、キハ40は相対的に新しく見えた(笑)。
キハ22のシートも外は同じ青色だったけれど、中身は木でできていて、キハ40でアルミ製の手すりがついている場所は、木のでっぱりになっていたことを思い出す。
沿線の畑や牧草地には、あちこちに融雪剤がまかれている。
冬の終わりの風物詩だ。
まいている作業中のところがあれば、写真を撮ろうと思うのだが、まだ今年は見たことがない。
生田原を過ぎると、列車の速度はがくんと落ちる。
時速30キロぐらいしか出ていないようだ。
金華峠を超えると、直線の、勾配のほとんどない区間に入り、ようやく速度が上がる。
西北見で2人が降り、2輛目の乗客がついに自分だけになる。
「これはあずましい」と思っていたら、次の北見駅で2輛目を切り離すとのこと。
春のダイヤ改正で北見駅での停車時間が26分も短くなっていた。
それでも22分間ある。
(この段落追記)
西女満別で、学生らしい若者男女が8人も降りた。
みな現金で支払っていたので、通学・通勤ではないようだが、こんな秘境駅にいったいなんの用だろう。
ネット地図などで検索すると、女満別空港の最寄り駅として西女満別駅がヒットすることがあるらしい。たしかに「いちばん近い駅」には違いないが、あまりすすめられない(遠いぞ)。
凍結した網走湖の上に、ワカサギ釣りの客が設営した色とりどりのテントが並んでいるのが見える。
もっとも、一部は湖面が見えているところがある。
1990年代、はじめて網走湖を見たときは、ゴールデンウイークでも凍っていておどろいたものだが、確実に温暖化は進んでいる。
11時23分、網走駅に到着。
歩いて網走市立美術館に向かう。
客は筆者ひとり。
第2展示室、第3展示室は以前と展示替えがされていなかったが、第3展示室は一部の絵が外されていた。
半谷学展については別項で書きます。
そこから徒歩で、アプトフォー(中心商店街)を過ぎ、桂台駅横の道道の坂を上っていく。
空は青く、海もどこまでも青い。
はるかかなたに流氷の白い帯が見える。
その向こうに、斜里岳や海別岳などの知床連山がくっきりと姿を見せている。
こんな美しい風景を持っている都市は、そうそうないだろう。
筆者は何度も網走を訪れているが、いつも晴れているように思う。
雨や悪天候の網走というのは記憶にない。
美幌の画家、横森政明さんは
「あの建物も、浜風に打ちひしがれた樹も、あの行き止まりの路地裏も、それは、私にとってなんと悲しみに満ちた思いに一杯であったろうか。 アバシリの海、水平線の上に広がる、灰色の空、絵画のモチーフと重なってくる。アバシリは私にとってつらい思いの街である。」
とエッセーにつづったけれど、筆者の印象とは正反対なのだ。
ときどき旅に出ないと、鬱屈した気持ちがたまってくる。
新型コロナウイルス感染拡大の防止のため各地の美術館が臨時休業している中でも孤塁を守って開館を続けていた網走市立美術館に「半谷学展」を見に行くため、3月21日午前8時33分、遠軽駅発の普通列車「4659D」に乗った。
3連休の中日とあって、駅舎内に人はまばらだった。
キハ40のディーゼルカー2輛編成。
乗客は10人もいないのに、どうして2輛なんだろう。
遠軽―網走間は113.2キロ。
特急列車なら1時間45分ほどだが、普通列車だと2時間50分。
そもそも遠軽―網走間に直通の普通列車が1日計4本しかなく、これでも下りでは最も速い(上りでは2時間32分で着く列車がある)。
おなじオホーツク管内でこんなに時間がかかるのかと、ため息が出る。
網走でもこんなに遠いのだから、斜里や知床だと、もっと遠いのだ。
ちなみに自家用車でも、1時間40分ほどはかかると思う。
古い車輛なのだろう。
青いモケットのボックスシート。
「JNR」のロゴが入った扇風機。
ものを載せたら重みで沈む網棚。
まさに昭和が全開だ。
もっとも、昭和末期、まだキハ22形が現役で走っているころは、キハ40は相対的に新しく見えた(笑)。
キハ22のシートも外は同じ青色だったけれど、中身は木でできていて、キハ40でアルミ製の手すりがついている場所は、木のでっぱりになっていたことを思い出す。
沿線の畑や牧草地には、あちこちに融雪剤がまかれている。
冬の終わりの風物詩だ。
まいている作業中のところがあれば、写真を撮ろうと思うのだが、まだ今年は見たことがない。
生田原を過ぎると、列車の速度はがくんと落ちる。
時速30キロぐらいしか出ていないようだ。
金華峠を超えると、直線の、勾配のほとんどない区間に入り、ようやく速度が上がる。
西北見で2人が降り、2輛目の乗客がついに自分だけになる。
「これはあずましい」と思っていたら、次の北見駅で2輛目を切り離すとのこと。
春のダイヤ改正で北見駅での停車時間が26分も短くなっていた。
それでも22分間ある。
(この段落追記)
西女満別で、学生らしい若者男女が8人も降りた。
みな現金で支払っていたので、通学・通勤ではないようだが、こんな秘境駅にいったいなんの用だろう。
ネット地図などで検索すると、女満別空港の最寄り駅として西女満別駅がヒットすることがあるらしい。たしかに「いちばん近い駅」には違いないが、あまりすすめられない(遠いぞ)。
凍結した網走湖の上に、ワカサギ釣りの客が設営した色とりどりのテントが並んでいるのが見える。
もっとも、一部は湖面が見えているところがある。
1990年代、はじめて網走湖を見たときは、ゴールデンウイークでも凍っていておどろいたものだが、確実に温暖化は進んでいる。
11時23分、網走駅に到着。
歩いて網走市立美術館に向かう。
客は筆者ひとり。
第2展示室、第3展示室は以前と展示替えがされていなかったが、第3展示室は一部の絵が外されていた。
半谷学展については別項で書きます。
そこから徒歩で、アプトフォー(中心商店街)を過ぎ、桂台駅横の道道の坂を上っていく。
空は青く、海もどこまでも青い。
はるかかなたに流氷の白い帯が見える。
その向こうに、斜里岳や海別岳などの知床連山がくっきりと姿を見せている。
こんな美しい風景を持っている都市は、そうそうないだろう。
筆者は何度も網走を訪れているが、いつも晴れているように思う。
雨や悪天候の網走というのは記憶にない。
美幌の画家、横森政明さんは
「あの建物も、浜風に打ちひしがれた樹も、あの行き止まりの路地裏も、それは、私にとってなんと悲しみに満ちた思いに一杯であったろうか。 アバシリの海、水平線の上に広がる、灰色の空、絵画のモチーフと重なってくる。アバシリは私にとってつらい思いの街である。」
とエッセーにつづったけれど、筆者の印象とは正反対なのだ。
(この項続く)