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■錨をあげて―独立美術の新しい潮流 (5月12日まで、鹿追) 2013年4月28日(9)

2013年05月07日 01時23分45秒 | 展覧会の紹介-絵画、版画、イラスト
承前)

「美術館の開館以来、僕の独立詣では半ば恒例となった。本展・春季展・十果会・エボリュウション等、目に付くままに、案内いただくごとに会場に歩を運んだ」
とリーフレットにある。今回の展覧会を、美術評論家の中野中さんとともに企画した、神田日勝記念美術館長の菅訓章さんの文章の一節である。
 菅さんは、札幌だろうと東京だろうと、とにかく美術展の会場に熱心に足を運ばれることについては、おそらく道内の美術館関係者の中でも屈指だと思われる。独立展にも毎年訪れているというから、頭が下がる。まさか小さな町で毎年出張旅費が出るとも思われないから、自腹を切って帯広と羽田を往復しておられるのだろう。

 日本には数多くの団体公募展が存在するが、独立美術協会が主催する独立展は、絵画部門のみからなる公募展として、多くの画家を輩出してきた。
 とりわけ、創立会員に札幌出身の三岸好太郎がいたこともあって北海道との関係は深く、北海道は「独立王国」との異名をとるほどだ。神田日勝にっしょうも短い生涯ながら出品を続け、有名な「室内風景」(道立近代美術館所蔵。いまは神田日勝記念美術館で展示中)も、第38回独立展に遺作として出品されたのであった。

 菅さんは銀座の画廊を会場として3度にわたり開かれた「独立美術協会の画家たち」で新進画家の作品に触れることで、今回の展覧会の「独立美術の新しい潮流」というイメージがうかんだという。
「日勝もまた当時の新しい潮流の一端に位置づけられる画家の一人であろう」
と菅さんは記している。
 神田日勝を最初に評価した美術評論家のひとり中野中さんと菅さんが相談して決めたリストにあがった出品者は、道内から波田浩司さんと宮地明人さん、道外からは、浅見千鶴、市川光鶴、大久保宏美、須藤美保、田口貴大、松原潤、松村浩之、目黒礼子、森京子、吉田宏太郎、米田和秀の11氏。

 近年は写実的傾向の絵が増えていることを踏まえての人選だという意味のことを菅さんは会場でおっしゃっていた。
 確かに、抽象もあるが、人物などを写実的に描いた絵が目立つ。
 そして、全体として思うのは
「やっぱり、いまはマニエリスムの時代なのかなあ」
ということである。
 これは、良いとか悪いとかいう問題ではない。
 ただの人物像では、先輩とも同輩とも「違い」を出せないのだ。
 いきおい、細かな差異を求めて、あれこれと要素の多い、非オーソドックスな作品になっていく。
 それを「マニエリスム」と称していいのかどうか、わからないが、シンプルさからは、時代とともに遠ざかっていくのは、やむをえない現象なんだろうと思う。
 華やかな着物の女性たちが画面を占める須藤美保の絵を見ていると、日本的なものへの回帰というよりは、色彩の氾濫という感じがするし、松原潤や米田和秀の女性像には、これまでと異なる独自の世界を探してきた模索の跡を感じる。

 近年、独立展の会場に、若手を中心に半立体作品があふれたことがあった。
 今回は半立体の作品は少なく、森京子だけ。
 前衛ばりばりというよりは、鉄さびた色がどちらかというと郷愁を抱かせる色調だ。

 時代の尖端と切り結ぶというよりも、これまでの絵画の流れを微分していくような細かい差異を強調する方向が目立つなかで、かえって目立つのは、擬古典的ともいえる目黒礼子のような方向性かもしれない。「メメント・モリ」がテーマともいえそうな、骸骨が登場する理科実験室の絵画は、ガラスの質感の描写などもあわせて、不思議な個性を感じさせる。

 それにしても、おびただしい出品作をきちんと見て、ひとつの視点で構築した展覧会を見る体験は、幸福である。
 逆に言えば、そういう視点のない展覧会が少なくないということでもある…。


2013年4月24日(水)~5月12日(日)午前10時~午後5時
鹿追町民ホール(十勝管内鹿追町東町=神田日勝記念美術館のとなり。道道から向かって左側)



・帯広駅ターミナルから北海道拓殖バス「然別湖畔」行きに乗車、「神田日勝記念美術館」降車
・新得駅前から北海道拓殖バスで「神田日勝記念美術館」降車
※時刻表 http://www.takubus.com/pdf/times201303/No3.pdf




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