(承前)
以下述べることは、まったくの思いつき発言なので、あまり信用しないでほしい。
現代の美術作品は、大きく2種類に分けられる。
「見た目派」
と
「コンセプト重視派」
である。
「見た目派」
は、マルセル・デュシャンの言い方に倣って
「網膜派」
と言い換えてもよい。
もともと、美術作品には
「見た目派」
しかなかった。
デュシャン以降の現代アートは「コンセプト重視派」が隆盛をむかえる。
もちろん、美術というのは、視覚で勝負するものだから、コンセプトだけで、見た目をまったく気にしない作品(作家)は、めったにない(ぜんぜんないわけではない。たとえば松沢宥)。
しかし、見た目よりも発想や概念を重視するコンセプチュアルアートが発達したからこそ、現代アートの世界は大きく拡張したといえると思う。
その一方で、現代アートが難解になったといわれるのも、そのためだろう。
ところが、その難解さに対して、ときおり反動が起きるのである。
反動その1は、抽象表現主義に対するポップアート。
その2は、ミニマルおよびコンセプチュアルアートに対するニューエキスプレッショニズム(ニューペインティングと同義)。
そしてその3に該当する作品群が、この「高橋コレクション」に集まっている日本の現代アートではないだろうか。(なんに対する反動か、わからんけど)
ポップアートは、じつはけっこうコンセプチュアルなんだけど。
反動の発信源は
「オレは小難しいことはわからん! でも、現代アートに理解あるってところはみせたいもんね」
という金持ちではないかと、筆者はニラんでいる。
アートの世界のうち、批評やキュレーションといった部分を担うのは、とうぜん理論家肌の人が多いだろうから、コンセプト重視に傾くだろうし、お金やコレクションの部分を担うのは、理論よりも感覚重視なのではないだろうか。
そして、おもしろいことに、ポップアート全盛の1960年代、ニューエキスプレッショニズムの80年代、ネオトニー・ジャパンの21世紀初頭は、アート市場の活況期となんとなく重なっているのだ。
こういうふうに見てくると、現代のアートシーンが、バーゼルやマイアミのマーケットで流通している傾向と、ドクメンタや各ビエンナーレなどの国際展にみられる傾向に分裂しているようにみえるわけも、なんとなくわかってくる。
また、長引きそうな不況の到来で、マーケットを形成する「見た目重視派」が退潮しそうだという予測も成り立つ。
難しい理屈と、現代思想の引用を得意とする「コンセプト重視派」が復権しそうだ。
となると、今回、札幌芸術の森美術館に展示された作品のうち、どれぐらいが10年、20年後も、時代の風雪に耐えて残っているかどうかはわからない。
もちろん、評価が固まってしまってからでは、おいそれと買える価格ではなくなっているだろうけど。
(2月6日、一部修正しました)
以下述べることは、まったくの思いつき発言なので、あまり信用しないでほしい。
現代の美術作品は、大きく2種類に分けられる。
「見た目派」
と
「コンセプト重視派」
である。
「見た目派」
は、マルセル・デュシャンの言い方に倣って
「網膜派」
と言い換えてもよい。
もともと、美術作品には
「見た目派」
しかなかった。
デュシャン以降の現代アートは「コンセプト重視派」が隆盛をむかえる。
もちろん、美術というのは、視覚で勝負するものだから、コンセプトだけで、見た目をまったく気にしない作品(作家)は、めったにない(ぜんぜんないわけではない。たとえば松沢宥)。
しかし、見た目よりも発想や概念を重視するコンセプチュアルアートが発達したからこそ、現代アートの世界は大きく拡張したといえると思う。
その一方で、現代アートが難解になったといわれるのも、そのためだろう。
ところが、その難解さに対して、ときおり反動が起きるのである。
反動その1は、抽象表現主義に対するポップアート。
その2は、ミニマルおよびコンセプチュアルアートに対するニューエキスプレッショニズム(ニューペインティングと同義)。
そしてその3に該当する作品群が、この「高橋コレクション」に集まっている日本の現代アートではないだろうか。(なんに対する反動か、わからんけど)
ポップアートは、じつはけっこうコンセプチュアルなんだけど。
反動の発信源は
「オレは小難しいことはわからん! でも、現代アートに理解あるってところはみせたいもんね」
という金持ちではないかと、筆者はニラんでいる。
アートの世界のうち、批評やキュレーションといった部分を担うのは、とうぜん理論家肌の人が多いだろうから、コンセプト重視に傾くだろうし、お金やコレクションの部分を担うのは、理論よりも感覚重視なのではないだろうか。
そして、おもしろいことに、ポップアート全盛の1960年代、ニューエキスプレッショニズムの80年代、ネオトニー・ジャパンの21世紀初頭は、アート市場の活況期となんとなく重なっているのだ。
こういうふうに見てくると、現代のアートシーンが、バーゼルやマイアミのマーケットで流通している傾向と、ドクメンタや各ビエンナーレなどの国際展にみられる傾向に分裂しているようにみえるわけも、なんとなくわかってくる。
また、長引きそうな不況の到来で、マーケットを形成する「見た目重視派」が退潮しそうだという予測も成り立つ。
難しい理屈と、現代思想の引用を得意とする「コンセプト重視派」が復権しそうだ。
となると、今回、札幌芸術の森美術館に展示された作品のうち、どれぐらいが10年、20年後も、時代の風雪に耐えて残っているかどうかはわからない。
もちろん、評価が固まってしまってからでは、おいそれと買える価格ではなくなっているだろうけど。
(2月6日、一部修正しました)