(承前)
後半は木彫がメーンとなる。
「ネエ ダンナサン」の2点がならんだ部屋。
ステンレスがあわせ鏡のように用いられていて、なんの気なしにのぞき込むと、永遠の奈落に落ち込みそうな錯覚に陥る。
天国と地獄。あるいは、生と永遠。
そのあいだに、わたし(=鑑賞者)がいる。
背後には、膨大な数のデッサンがならんでいる。
阿部典英さんは、おそらく、ちょっと時間があれば、手が動いてしまう人なんだろうと思う。北海道弁でいえば、絵が描かさるのだろうなあ。
魚介類が多いのがおもしろい。
つぎの展示室は、窓を開放していた。
壁には、「ネエ オヨメサン」シリーズがびっしりと並んで圧巻。
いかにも、どこかとぼけたユーモアをたたえたものが多い。
魚介や昆虫を聯想させ、見ていると楽しくなってくる。
ところが、その近くに置かれたインスタレーション「ネエ ダンナサン あるいは原風景」は、森閑とした北海道の原生林のようなたたずまいだ。
この作品は、1998年、スカイホール全室を使って開かれた個展の中心となった大作であり、筆者が初めて阿部作品と本格的に向き合った、個人的に懐かしいものでもある(当時書いたテキストは、こちらのページの下に引用してある)。
むりやり図式をつくることは差し控えた方がいいのかもしれないが、オヨメサンのユーモアと、ダンナサンの峻厳さは、とてもおなじ作家の手になるとは思えないほど、対照的なものに、筆者には感じられる。
さらに興味深いのは、オヨメサンが海に由来、ダンナサンが森に由来しているように思われることだ。
一般論を述べれば、森は、確かに原風景的な感興にわたしたちを誘うものを持っているが、その感興を純化することは、精神性や内面性へと潜行していくことであり、同時に、ドイツロマン派的なナショナリズムにつながるような危険性をどこかに秘めているように思う。
対して、海のもつおおらかさは、開放性、コスモポリタニズムの暗喩たりえている。
もし「父なる大地、母なる海」という言い方が可能であれば、阿部典英芸術は、その両方をうまくバランスを取って自らのうちに養っているとはいえないだろうか。
(先に言及した1998年当時のテキストは、わたしが、典英さんのユーモラスな面に触れる前に書いたものだったので、ドイツロマン派的な側面の強いものになっており、いま読み直すとかなり偏った感をまぬかれない)
こちらは、2002年に札幌・円山のCAIで開いた「阿部典英個展 [Propagation]」のインスタレーション。当時は、上述の作品と同じく「ネエ ダンナサン あるいは原風景」と呼ばれていたようだ。
最初見た当時は、濃厚なエロティシズムを感じたことを記憶しているが、今回見ると、より根源的な生命とか、精神的なものも秘めているように思う。
祭壇のような作品の両側に居並ぶのが、「ネエ ダンナサン あるいは否・非・悲」。アフガニスタン戦争に材を得た木彫で、たしかに、うつむいて悲しむ母親のように見えてくる。
ただ、すぐれた彫刻作品がみなそうであるように、これも、きっかけとなった時事的な事件を離れて見ても、人間の根源的なかなしみを訴えている作品たりえているのではないか。
2012年4月7日(土)~5月6日(日)午前9:30~午後5:00(入場~4:30)、月曜休み(ただし4月30日は開館し、翌5月1日休み)
道立近代美術館(札幌市中央区北1西17 地図D)
一般1000円(790円)、高大生600円(480円)、小中生300円(200円)
※かっこ内はリピーター割引、前売りなど
●関連行事、関連記事へのリンクは、(1)に書いてあります。
・中央バス、ジェイアール北海道バス「道立近代美術館」から約160メートル、徒歩2分
(手稲、小樽方面行きは、北大経由以外は、すべてのバスがとまります。本数も地下鉄より多く、とくに札幌駅方面からは、この方法がおすすめ)
・地下鉄東西線「西18丁目」から約380メートル、徒歩5分
・市電「西15丁目」から約700メートル、徒歩9分
ほかに、ジェイアール北海道バスが「ぶらりさっぽろ観光バス」を運行しています
後半は木彫がメーンとなる。
「ネエ ダンナサン」の2点がならんだ部屋。
ステンレスがあわせ鏡のように用いられていて、なんの気なしにのぞき込むと、永遠の奈落に落ち込みそうな錯覚に陥る。
天国と地獄。あるいは、生と永遠。
そのあいだに、わたし(=鑑賞者)がいる。
背後には、膨大な数のデッサンがならんでいる。
阿部典英さんは、おそらく、ちょっと時間があれば、手が動いてしまう人なんだろうと思う。北海道弁でいえば、絵が描かさるのだろうなあ。
魚介類が多いのがおもしろい。
つぎの展示室は、窓を開放していた。
壁には、「ネエ オヨメサン」シリーズがびっしりと並んで圧巻。
いかにも、どこかとぼけたユーモアをたたえたものが多い。
魚介や昆虫を聯想させ、見ていると楽しくなってくる。
ところが、その近くに置かれたインスタレーション「ネエ ダンナサン あるいは原風景」は、森閑とした北海道の原生林のようなたたずまいだ。
この作品は、1998年、スカイホール全室を使って開かれた個展の中心となった大作であり、筆者が初めて阿部作品と本格的に向き合った、個人的に懐かしいものでもある(当時書いたテキストは、こちらのページの下に引用してある)。
むりやり図式をつくることは差し控えた方がいいのかもしれないが、オヨメサンのユーモアと、ダンナサンの峻厳さは、とてもおなじ作家の手になるとは思えないほど、対照的なものに、筆者には感じられる。
さらに興味深いのは、オヨメサンが海に由来、ダンナサンが森に由来しているように思われることだ。
一般論を述べれば、森は、確かに原風景的な感興にわたしたちを誘うものを持っているが、その感興を純化することは、精神性や内面性へと潜行していくことであり、同時に、ドイツロマン派的なナショナリズムにつながるような危険性をどこかに秘めているように思う。
対して、海のもつおおらかさは、開放性、コスモポリタニズムの暗喩たりえている。
もし「父なる大地、母なる海」という言い方が可能であれば、阿部典英芸術は、その両方をうまくバランスを取って自らのうちに養っているとはいえないだろうか。
(先に言及した1998年当時のテキストは、わたしが、典英さんのユーモラスな面に触れる前に書いたものだったので、ドイツロマン派的な側面の強いものになっており、いま読み直すとかなり偏った感をまぬかれない)
こちらは、2002年に札幌・円山のCAIで開いた「阿部典英個展 [Propagation]」のインスタレーション。当時は、上述の作品と同じく「ネエ ダンナサン あるいは原風景」と呼ばれていたようだ。
最初見た当時は、濃厚なエロティシズムを感じたことを記憶しているが、今回見ると、より根源的な生命とか、精神的なものも秘めているように思う。
祭壇のような作品の両側に居並ぶのが、「ネエ ダンナサン あるいは否・非・悲」。アフガニスタン戦争に材を得た木彫で、たしかに、うつむいて悲しむ母親のように見えてくる。
ただ、すぐれた彫刻作品がみなそうであるように、これも、きっかけとなった時事的な事件を離れて見ても、人間の根源的なかなしみを訴えている作品たりえているのではないか。
2012年4月7日(土)~5月6日(日)午前9:30~午後5:00(入場~4:30)、月曜休み(ただし4月30日は開館し、翌5月1日休み)
道立近代美術館(札幌市中央区北1西17 地図D)
一般1000円(790円)、高大生600円(480円)、小中生300円(200円)
※かっこ内はリピーター割引、前売りなど
●関連行事、関連記事へのリンクは、(1)に書いてあります。
・中央バス、ジェイアール北海道バス「道立近代美術館」から約160メートル、徒歩2分
(手稲、小樽方面行きは、北大経由以外は、すべてのバスがとまります。本数も地下鉄より多く、とくに札幌駅方面からは、この方法がおすすめ)
・地下鉄東西線「西18丁目」から約380メートル、徒歩5分
・市電「西15丁目」から約700メートル、徒歩9分
ほかに、ジェイアール北海道バスが「ぶらりさっぽろ観光バス」を運行しています