三里川というのは、札幌市清田区から厚別区にかけて流れる小さな川で、平岡公園をへて北上し、厚別公園のわきを過ぎて、JR函館線と千歳線の分岐するあたりで厚別川に注ぐ。
筆者は川に沿って散歩するのが好きなので、この三里川のほとりも歩いたことがある。
1996年ごろのことだ。
平岡公園のなかで、原始的な細い無名の支流をいくつも合わせるので、川べりを制覇するのには、かなりの時間がかかり、何度も足を運んだことをおぼえている。
この三里川は現在、源流域では二つの流れが確認できる(冒頭の地図を参照、なお、goo地図では病院の名前が微妙に間違っている)。
左(西側。札幌の都心に近いほう)が「三里川」。
右が「三里東排水」という。
名前だけでみると、三里川のほうが本流のような感じがするが、札幌の流域地図で見ると、三里東排水のほうが奥から流れているように書かれている。
地図でみるとわかるように、2本の流れは地上に出ると直ちに合流する。
このあたり、都心側の河岸段丘は、川の幅から想像されるよりもかなり高低差がある。
(参考までに、google マップの画像をキャプチャして貼り付けてみた。画像、中央手前から奥へと続く緑が、三里川左岸の河岸段丘)
このふたつの流れは、国道36号の旧道からも見える。
ところが、反対側の歩道からは、二つともまったく見えない。
暗渠になっているのだ。
川が地下にもぐっているのはよくあることだが、三里川に関しては、くぼんですらいない。
三里東排水のほうは暗渠の上に「里塚団地」が立ち並んでいて、これは周囲よりやや低い土地にあることが、国道36号(旧道よりも数百メートル、上流側を並行して走っている)からもよくわかる。
だが、三里川は、国道36号と旧道の間も、かつての流れを確認することがかなりむつかしい。
先に貼り付けた画像でもわかる河岸段丘の高低差から推測して、少なくない土砂を足して平らな土地を造成したのではないか。そういう推測が可能である。
いままで書いてきた三里川源流域とは、9月6日に発生した胆振東部地震で大規模な液状化が起きた札幌市清田区里塚の一部のことである。
書き添えるなら、里塚とひとくちに言っても広い地区であり、大半は火山灰地の丘の住宅地であって、報道されているような液状化現象が里塚全体で起きているわけではない。
札幌都心から三里(1里は約3.9キロ)あるところから、三里塚が置かれたといい、付近には三里塚小学校や三里塚神社などがある。
ただし、地名としては「三」を省いて「里塚」としている。
液状化現象については「札幌時空逍遥」というブログが詳しい( http://keystonesapporo.blog.fc2.com/blog-entry-1514.html )。
「河」という文字がふたに刻まれたマンホールを見つけているあたり、さすがである。
このブログ記事を書くにあたり、筆者は現地をあらためて訪れることはしていない。また、造成当時の文献にあたることもしておらず、これまでつづってきたことはあくまで推測にすぎない。
この里塚地区が液状化した原因として、かつて水田だった低地を宅地化したため―といわれている(テレビで池上彰氏もそう解説していた)。それは正しいとしても、ほかにもそんな場所は札幌市内にいくらでもあるじゃん―と思ったのが、このブログ記事を書くにいたった動機である。三里川源流域は、他の小さな流れにくらべ、谷を平らにしすぎたのではないだろうか。
なお、9月8日に時事通信が配信した記事には、次のようにある。
札幌市は8日、北海道胆振東部地震の際、同市清田区の住宅街で多発した道路の陥没や沈下について、区を流れる三里川を地下化した部分が地震で崩れ、土砂が流出したのが原因の可能性があると明らかにした。今後、土木設計に詳しいコンサルタントと連携し、究明を急ぐ。
市建設局によると、被害が集中した清田区の里塚地区は農地だったが、1978~80年に三里川を暗きょにし、土を盛った上に宅地を造成した。吉岡亨副市長によると、道路の陥没は川の流れに沿うように起きた傾向が見られるという。