あちらこちらで、ここからの場所から破壊された我が家の様子を掲載しました。台風23号が通り過ぎた昨年の10月21日、私はここで呆然として眺め、大きく崩れ去った我が家をみて愕然としました。
しかし、ようやくに、そうした記憶が薄れ去っているのに気づきます。周囲の風景は変わることがないのに、その一角だけが真新しい。その真新しいことが異常に感じられるのです。ここに我が家があり、我が家の団欒があった。そのことが夢まぼろしのことのように思われるのです。
私たちは何を足場にして生きているのでしょうか。家庭とか、家族とか、それは確かなものでしょうか・・・。会社とか、服務とか、就業規則とか、それは確かなものでしょうか。私たちは何のために、私たちはどういう目的のために働いておるのでしょうか。人生における価値観・・・。
あのカトリーナに襲われた、ニューオーリンズの被災地を見るたびに、人は何のために生まれ、何のために死んで行くのかと気になってたまりません。人は何をするために、この地球にあらわれたのでしょうか・・・と。
しかし、ようやくに、そうした記憶が薄れ去っているのに気づきます。周囲の風景は変わることがないのに、その一角だけが真新しい。その真新しいことが異常に感じられるのです。ここに我が家があり、我が家の団欒があった。そのことが夢まぼろしのことのように思われるのです。
私たちは何を足場にして生きているのでしょうか。家庭とか、家族とか、それは確かなものでしょうか・・・。会社とか、服務とか、就業規則とか、それは確かなものでしょうか。私たちは何のために、私たちはどういう目的のために働いておるのでしょうか。人生における価値観・・・。
あのカトリーナに襲われた、ニューオーリンズの被災地を見るたびに、人は何のために生まれ、何のために死んで行くのかと気になってたまりません。人は何をするために、この地球にあらわれたのでしょうか・・・と。
