まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

復興のあと。

2005年09月03日 | 歴史
 あちらこちらで、ここからの場所から破壊された我が家の様子を掲載しました。台風23号が通り過ぎた昨年の10月21日、私はここで呆然として眺め、大きく崩れ去った我が家をみて愕然としました。

 しかし、ようやくに、そうした記憶が薄れ去っているのに気づきます。周囲の風景は変わることがないのに、その一角だけが真新しい。その真新しいことが異常に感じられるのです。ここに我が家があり、我が家の団欒があった。そのことが夢まぼろしのことのように思われるのです。

 私たちは何を足場にして生きているのでしょうか。家庭とか、家族とか、それは確かなものでしょうか・・・。会社とか、服務とか、就業規則とか、それは確かなものでしょうか。私たちは何のために、私たちはどういう目的のために働いておるのでしょうか。人生における価値観・・・。
 あのカトリーナに襲われた、ニューオーリンズの被災地を見るたびに、人は何のために生まれ、何のために死んで行くのかと気になってたまりません。人は何をするために、この地球にあらわれたのでしょうか・・・と。


久々に朝日町を歩きました。

2005年09月03日 | 歴史
 朝の間、お米を弟のヨシオさん宅にいただきに行きました。お米をもらうってことが、感覚的に理解できません。

 昨年までは自分ちで作るもの。作って売るものと思っていたのに、田んぼがなくなり、機械類がなくなり、収穫がなくなった今年です。こちらは買うというのですが、弟にしてみれば、田植えを手伝ったお礼の意味かも知れません。宅地や田畑や農機具一切をなくした兄貴を支えようとしておるのかもしれません。

 が・・・・・、兄貴は元気です。前の住宅以上の家を建てようと頑張っています。

 それはそれとして、今日は朝日町の「平家物語歴史館」に行ってきました。目新しいものはないのですが、復習的な意味合いでしょうか。NHKの「義経」をちらちらと見るにつけて、権力とはなんぞや、戦いとはなんぞや、家、一門とはなんぞや・・・と思ってしまうのです。

 祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色

 勢者必衰の理をあらわす おごれる人も久しからず

 ただ 春の夜の 夢のごとし たけき者も遂にはほろびぬ

 偏に風の前の塵におなじ・・・

 人は裸で生まれ、裸で死んで行かねばなりません。お金や地位や権力なんぞ、あの世ではなんら意味を持たないのです。でも、死ぬまでのわずかな夢を見ているのかも知れません。

 

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