今日も公衆電話ボックスの撤去確認とか敷地復旧確認とかで、あちらこちらを飛び回っておったのですが、午前中は暖かくていい気分であったのに、午後からは寒くなったです。
ここは・・・丸亀港・・それも新掘堪甫(しんぼりたんぼ)とかいう・・・昔の船着場跡です。江戸時代には、ここに金毘羅船という帆船が大坂などからやってきて、ここの港に入り、船宿で休み、そこから徒歩で金毘羅さんへお参りしたんでしょうね。
その参詣用の灯りとして、江戸の講中がお金を出し合って、こういう灯篭を各所に建てたようです。でも、先の大戦で、戦争のための弾丸や大砲を作るからと・・・多くの金属や灯篭、お寺の梵鐘が供出されてしまい・・・。
この港に残る「太助灯篭」と呼ばれる灯篭一基になってしまいました。これは江戸の「塩原太助」という人が金比羅講のためにお金を集めて寄進して建てたものなので、「太助灯篭」と呼ばれていますが、近くによってみれば、実にさまざまな人々の寄進というか浄財によって造られたものであることがわかります。
昔の人々の崇高な信仰心がうかがえる貴重な歴史遺産であると思います。
ここは・・・丸亀港・・それも新掘堪甫(しんぼりたんぼ)とかいう・・・昔の船着場跡です。江戸時代には、ここに金毘羅船という帆船が大坂などからやってきて、ここの港に入り、船宿で休み、そこから徒歩で金毘羅さんへお参りしたんでしょうね。
その参詣用の灯りとして、江戸の講中がお金を出し合って、こういう灯篭を各所に建てたようです。でも、先の大戦で、戦争のための弾丸や大砲を作るからと・・・多くの金属や灯篭、お寺の梵鐘が供出されてしまい・・・。
この港に残る「太助灯篭」と呼ばれる灯篭一基になってしまいました。これは江戸の「塩原太助」という人が金比羅講のためにお金を集めて寄進して建てたものなので、「太助灯篭」と呼ばれていますが、近くによってみれば、実にさまざまな人々の寄進というか浄財によって造られたものであることがわかります。
昔の人々の崇高な信仰心がうかがえる貴重な歴史遺産であると思います。