まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

叔母ちゃんのお見舞いです・・・。

2007年01月17日 | 歴史
 朝の七時半に我が家を出て・・・、神戸のおじいちゃんを乗せて、一路、浜松を目指します。私のアトレーに三人が乗っての浜松行きです。

 心配した名神にも東名高速にも雪なんぞはありゃせんです。でも、大型トラックの後部につけて・・・80Kmの安全運転。それに1時間ごとのおじいちゃんのトイレ休憩なんぞで。大津で昼食。浜松の日赤病院に着いたのは16時ころ。さすがに・・・浜松は遠いです。

 おばちゃん・・・。ケイコおばのお父さんの妹です・・。なんだかんだの病気で入院して・・・、なんか、あの人の顔は知らないとか、あの人を見てもしらんぷりだとか聞いていて・・。私らが行っても、最初は全くのぽかーん状態。

 で、持って行ったホワイトボードに、「けいこです・・・」って、書いて見せると・・、「あ!けいこちゃん。あ、きむらさん。あ、にぃにぃ・・・」って、分かってくれて・・思わずに安心。突然にお見舞いに行ったものだから、一瞬、誰だろう・・・って、思ってしまったみたい。お約束では三月に行くって言ってあったものだから、連絡なしに行ったので戸惑ったみたい。

 単に耳が遠い・・・ってことだけで・・、意識とかははっきりとしているみたい。ただ・・・、全体的には弱っているのかなぁ・・。食べないってことが、いかんわなぁ・・。

 なんか、入れ歯をティッシュにくるんで置いてあったら、お掃除の人だか、看護士さんだかが捨ててしまったとかで、歯医者さんが入れ歯の調整とかに来てくれて、あんまりお話もできずに・・・暗くなったので・・・病院を後にしたものでした。

阪神・淡路大震災から12年・・・。

2007年01月17日 | 歴史
 阪神・淡路大震災は、平成7年1月17日(火)の午前5時46分52秒、淡路島北部を震源として発生した、大都市直下型の大地震による災害であった。

 この震災の直接の原因となった地震を、気象庁は「兵庫県南部地震」と命名した。淡路島、ならびに阪神間(神戸・芦屋・西宮・宝塚・尼崎・伊丹・豊中・池田など)を中心に大きな被害をもたらし、特に神戸市街地は壊滅状態に陷った。

 第二次世界大戦後の日本国内で最大の震災となって、近畿地方では1927年の「北丹後地震」以来68年ぶりとなる大地震となった。死者6,436名、行方不明者3名、負傷者43,792名。避難人数30万名以上、住家被害・全壊104,906棟、半壊144,274棟、全半壊合計約25万棟(約46万世帯)、一部損壊390,506棟。火災被害・住家全焼6,148棟、全焼損(非住家・住家共)合計7,483棟、罹災世帯9,017世帯。その他災害・道路10,069箇所、橋梁320箇所、河川430箇所、崖崩れ378箇所。被害総額10兆円規模というとてつもない大きな災害になった。

 大都市を直撃した都市型災害としては関東大震災以来であり、道路・鉄道・電気・水道・ガス・電話などライフラインは寸断されて、広範囲で全く機能しなくなった。これ以降都市型災害及び地震対策を語る上で「ライフライン」の早期の復旧、「活断層」などへの配慮、建築工法上の留意点、「仮設住宅」「罹災認定」等の行政の対策などが注目されるようになった。

 地震発生直後に長田区で数十件発生した火災は火災旋風により近隣住宅に次々と飛び火し、最終的に須磨区東部から兵庫区にかけての広範囲、6000棟が焼失した。西宮市においても、住宅街に面した山腹の斜面において大規模な地滑りが起こり、多くの人々が犠牲になった。

 一方、この震災で活躍し注目されたのがボランティアによる活動で、多くの若者が救助活動や支援活動に参加し、ボランティア活動の重要性が広く知られるようになった。ボランティア元年とも言われる所以であった。

 仏教的にいうならば、干支を一巡した12年目は、「十三回忌」ということになる。合掌・・・お念仏。全てのものに・・・南無阿弥陀仏・・・。



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