今日も朝から雨だった・・・。だから・・昨日届いた本を読んだり・・書類の整理をやってみた・・。
本というのもだ・・。あまり気乗りがしないので読む気にもならなかった本なのだが、その後半というか、末尾に・・とでもいうか、おまけみたいについている部分の・・「咸臨丸のかたりべ」というのが気になって購入したもの・・。
作者は・・「植松三十里」さん・・。前に・・「桑港にて」という単行本を出したのだが、そのタイトルが読めない・・・とかで、それを「咸臨丸、サンフランシスコにて」という題名で書き直したものかな・・。私はまだ、読んでないのだけれど。
そこにくっついている・・後半部分の・・文倉平次郎・・という男が、咸臨丸という船に賭けた情熱・・・みたいなものを書いた小説が「咸臨丸のかたりべ」だ・・。
そのことを・・子孫の会の藤本幹事から漏れ聞いて・・・、それならば読んでおかねば・・と思ってAmazonで購入したもの・・。内容は・・ま、その通りだなぁと思ったくらいなものか。「サンフランシスコにて・・」というのは、」また、時間があれば読んでみたいけれど・・。
その文倉平次郎が書いた・・・生涯で一冊の本・・。それが・・この「幕末軍艦咸臨丸」という800ページにも及ぶ大作だったらしい・・。今はこうした文庫本で読める程度になったのだけれど・・。それでも、上・下巻を合わせると一千ページにもなる大作である。
作家の司馬遼太郎さんが、「ある情熱」という短編を書いている。
「文倉平次郎というう人物の名は、百科事典にも人名辞典にものっていない。生涯でただ一冊の本を書いたひとが、その立場を表現する肩書きとしては古河鉱業の社員というにすぎず、学者でも文筆家でもない。」という書き出しである。
この一文こそ・・「私にもできる」と、私を咸臨丸研究にのめり込ませている原典である。
つまりだ・・。サンフランシスコで雑用みたいなことをやっていた男がだ・・。ある日、偶然に、新聞記事の中から・・幕末軍艦咸臨丸に乗ってやってきた日本人のお墓が二つではなくて三つ・・あったことに気づく・・。そこで、もう一つある筈のお墓を探して探して・・・。やがてには墓地の管理人のボーイにまでなって・・三人目のお墓、「青木の源之助」のお墓を見つけて掘り出すことに成功した。
その後・・平次郎は・・日本にもどり・・一介のサラリマン「古河鉱業社員」となって、咸臨丸研究に没頭し、退職金をはたいて・・生涯で一冊きりの本を出して、この世を去った。平次郎は歴史学者でも文学者でもない。一般の人名辞典にも名前が出ないような男が、その生涯をかけて書いた咸臨丸研究の原典にもなった本。それが・・幕末軍艦咸臨丸だ。
植松三十里さんは、その情熱を書こうとしたらしいが、うーん・・。どうだったんだろうか・・。少なくなくとも・・・私は・・平次郎の情熱には遠く及ばなかったような気がした。
私もまた・・咸臨丸に乗り組んだ水夫のお墓を探し歩いて・・今もなお・・咸臨丸を追いかけている最中なんだけれども・・・平次郎の気持ちにははるかに遠いものかも知れないと思ったりする・。でも・・平次郎には負けないぞ・・という思いも強い・・。
それはさておき、今日は・・「友、遠方より来たる。また、たのしからずや・・」だった。タイランド・・。タイという国のチェンマイ・・というところから、はるばると・・我が家を訪問してくれた人がいる。彼に言わせれば・・「日本なんてすぐそこの国」らしい・・。そうはいうても・・私はタイがどこにあるかさえわかってはいない・・。
このおじさん・・「クニ・サン」というのだけれど、NTTをやめて、英語・ドイツ語・フランス語を勉強し、タイ語、ビルマ語・ヒンディ語・ヘブライ語・アルメニア語・・・なんぞを勉強して、今はタイのチェンマイにいるんだそうだ。そこで、ポン菓子を作ったり、折り紙を教えたりして・・シニアフリーターなんだそうだ。
で、どこからか、私の動きを知って・・「タイに来ないか・・」というてきたのだ。けいこばぁは乗り気で・・「行く行く・・行きますよ~」というのだが、私は・・どうもね。小乗仏教・上座部仏教というのは相容れないし、そういう道では、私は救われないし、私もまた人を救いようがない・・。「クニ・サン」は、「大丈夫よ・・」というけれど・・。根本が違うのだからね。けいこばぁが65歳になったらタイに行くというてるけれど・・。どうなるんじゃろうか。
とりあえずは・・「咸臨丸と塩飽諸島の本が二冊欲しい。それにあなたのサインも欲しい・・」という・・。おかしな客だが・・振り込め詐欺でもないらしいし・・けいこばぁも知り合いみたいだし・・。そりゃそうだ、昔の私の上司だったんだから・・・。
私には・・現地のお土産らしい名刺入れを、けいこばぁは・・織物やら・・民芸調の布やらをいただいてほくほく・・・。けっこう・・クニ・サンと気があっていた様子。
そんなこんなで、今日の・・うどんレポートはスペースがなくなった・・。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。
本というのもだ・・。あまり気乗りがしないので読む気にもならなかった本なのだが、その後半というか、末尾に・・とでもいうか、おまけみたいについている部分の・・「咸臨丸のかたりべ」というのが気になって購入したもの・・。
作者は・・「植松三十里」さん・・。前に・・「桑港にて」という単行本を出したのだが、そのタイトルが読めない・・・とかで、それを「咸臨丸、サンフランシスコにて」という題名で書き直したものかな・・。私はまだ、読んでないのだけれど。
そこにくっついている・・後半部分の・・文倉平次郎・・という男が、咸臨丸という船に賭けた情熱・・・みたいなものを書いた小説が「咸臨丸のかたりべ」だ・・。
そのことを・・子孫の会の藤本幹事から漏れ聞いて・・・、それならば読んでおかねば・・と思ってAmazonで購入したもの・・。内容は・・ま、その通りだなぁと思ったくらいなものか。「サンフランシスコにて・・」というのは、」また、時間があれば読んでみたいけれど・・。
その文倉平次郎が書いた・・・生涯で一冊の本・・。それが・・この「幕末軍艦咸臨丸」という800ページにも及ぶ大作だったらしい・・。今はこうした文庫本で読める程度になったのだけれど・・。それでも、上・下巻を合わせると一千ページにもなる大作である。
作家の司馬遼太郎さんが、「ある情熱」という短編を書いている。
「文倉平次郎というう人物の名は、百科事典にも人名辞典にものっていない。生涯でただ一冊の本を書いたひとが、その立場を表現する肩書きとしては古河鉱業の社員というにすぎず、学者でも文筆家でもない。」という書き出しである。
この一文こそ・・「私にもできる」と、私を咸臨丸研究にのめり込ませている原典である。
つまりだ・・。サンフランシスコで雑用みたいなことをやっていた男がだ・・。ある日、偶然に、新聞記事の中から・・幕末軍艦咸臨丸に乗ってやってきた日本人のお墓が二つではなくて三つ・・あったことに気づく・・。そこで、もう一つある筈のお墓を探して探して・・・。やがてには墓地の管理人のボーイにまでなって・・三人目のお墓、「青木の源之助」のお墓を見つけて掘り出すことに成功した。
その後・・平次郎は・・日本にもどり・・一介のサラリマン「古河鉱業社員」となって、咸臨丸研究に没頭し、退職金をはたいて・・生涯で一冊きりの本を出して、この世を去った。平次郎は歴史学者でも文学者でもない。一般の人名辞典にも名前が出ないような男が、その生涯をかけて書いた咸臨丸研究の原典にもなった本。それが・・幕末軍艦咸臨丸だ。
植松三十里さんは、その情熱を書こうとしたらしいが、うーん・・。どうだったんだろうか・・。少なくなくとも・・・私は・・平次郎の情熱には遠く及ばなかったような気がした。
私もまた・・咸臨丸に乗り組んだ水夫のお墓を探し歩いて・・今もなお・・咸臨丸を追いかけている最中なんだけれども・・・平次郎の気持ちにははるかに遠いものかも知れないと思ったりする・。でも・・平次郎には負けないぞ・・という思いも強い・・。
それはさておき、今日は・・「友、遠方より来たる。また、たのしからずや・・」だった。タイランド・・。タイという国のチェンマイ・・というところから、はるばると・・我が家を訪問してくれた人がいる。彼に言わせれば・・「日本なんてすぐそこの国」らしい・・。そうはいうても・・私はタイがどこにあるかさえわかってはいない・・。
このおじさん・・「クニ・サン」というのだけれど、NTTをやめて、英語・ドイツ語・フランス語を勉強し、タイ語、ビルマ語・ヒンディ語・ヘブライ語・アルメニア語・・・なんぞを勉強して、今はタイのチェンマイにいるんだそうだ。そこで、ポン菓子を作ったり、折り紙を教えたりして・・シニアフリーターなんだそうだ。
で、どこからか、私の動きを知って・・「タイに来ないか・・」というてきたのだ。けいこばぁは乗り気で・・「行く行く・・行きますよ~」というのだが、私は・・どうもね。小乗仏教・上座部仏教というのは相容れないし、そういう道では、私は救われないし、私もまた人を救いようがない・・。「クニ・サン」は、「大丈夫よ・・」というけれど・・。根本が違うのだからね。けいこばぁが65歳になったらタイに行くというてるけれど・・。どうなるんじゃろうか。
とりあえずは・・「咸臨丸と塩飽諸島の本が二冊欲しい。それにあなたのサインも欲しい・・」という・・。おかしな客だが・・振り込め詐欺でもないらしいし・・けいこばぁも知り合いみたいだし・・。そりゃそうだ、昔の私の上司だったんだから・・・。
私には・・現地のお土産らしい名刺入れを、けいこばぁは・・織物やら・・民芸調の布やらをいただいてほくほく・・・。けっこう・・クニ・サンと気があっていた様子。
そんなこんなで、今日の・・うどんレポートはスペースがなくなった・・。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。