まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

お役目を ひとつこなして 秋の雨

2017年10月07日 | 自然ありのままに

 丸亀地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、雨の降っている所があった。気温は17,4度から24,5度、湿度は92%から73%、風は1mから3mの北西の風が少しばかり。明日の8日は、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 8時から広島神社の「出事(でごと)」だということだったが、その頃に雨が降り出したので、13時からになった。え~、晴れているのに・・と思いながら、江の浦集落を歩いてみた。我が家の近くの沼。昔は水田だった場所。

 

 旧の広島中学校は廃校になって久しく、今度は広島コミュニティセンターや丸亀消防局の広島屯所ほかに建て替え中。平成16年の台風18号だかでは、高波の被害を受けたことがあるので、津波対策もあるのかしらん。

 

 この集落も過疎化が進み、次々と民家が竹やぶに飲み込まれていく。

 

 1時間ほどの散歩が終われば、昨日の続きの草刈りをやったが、30分ほどでギブアップ。蒸し暑くて呼吸困難になるのだ。無理はやめて休憩。

 

 休みながら、庭木の剪定という切り詰め。ぴんぴんと伸びた枝を切り落として散髪する。もう、そのあたりの草も庭木も伸び放題。それじゃぁダメジャン、春風亭柱昇。

 

 お昼からは、広島神社の「出事」。秋祭りの準備である。女性が10名ほど、男性が6名ほど。めっきりとメンバーが減った。私がこの島に来た頃は、30人ずつの班が3班あって、3年交代で頭屋(当番)になったものだった。20年もすれば、こんなにもなるんだ。

 

 男性陣は力仕事。こうした灯篭を吊ったり電気の配線をしたり、拝殿や幣殿に畳を敷いたりする。女性は神棚とかの清掃作業とか、境内の草引きとかお掃除。

 

 この黄色いツナギのお兄ちゃんはご夫婦で最近、島に住み始めた人。おまつりデビューになった。竹を栽培して楽器のリードを作っている。なかなかの研究家らしい。で、インターネット販売をしているという。

 

 こうした電気工事が私のお役目。元は電話工事屋さんだったのだけれど。島の電気屋さんが亡くなって、私のお仕事になった。

 

 一応の準備ができたので、私らは解散。こうしたお飾りなどは「宮総代」さんらのお仕事。

 

 一応、庭木の三分の一くらいの剪定が終わり、草刈りもあと少しを残すのみ。まぁ、草刈りはやろうと思えばこれの二倍くらいはあるのだが。

 

 一気にはできないので、二週間後くらいに弟と一緒に帰ってきて、乾いたこの草や枝を燃やしながら片付けたいもの。あ、二週間後といえば投票日か。来週の週末は予約なしか・・。その時期でもいいかな。弟の相談次第だ。 

 

 今夜の六時から宵宮だ。早めに夕食を済ませたいもの。

 

 今日の掲示板はこれ。「おほいなる ものの力にひかれゆく 吾が足あとのおぼつかなしや」というもので、九条武子さまのお歌である。武子さまは西本願寺第21代法主大谷光尊さまの次女で仏教婦人会の創設に参加したという。だからこの「大いなるもの」は仏に近い存在であるのは間違いない。そのほか、武子さまについてつぎのような記述がある。

 「侯爵家出身の銀行員、九条良致氏に嫁ぎ、夫とともにロンドンに随行したが、1年半で武子さまは帰国、夫はそのまま英国に残り、別居状態が十数年続いた。これには美貌・教養・家柄(大谷家は伯爵家)の誉れ高い武子さまに、良致氏がなじめなかったからではないかなど、夫婦不和の憶測もあったが、武子さまは離婚どころか浮いた言動一つとらず、良致氏の帰国をひたすら待ちつづけた。1920年末に良致氏が帰国し、夫婦同居が実現した。武子さまは関東大震災の復興に奔走し、築地本願寺の再建、負傷者・孤児の救援活動などさまざまな事業を推進した。その無理がたたり42歳の若さでお念仏のうちに往生した。2人の間に子供はなかったが、よき夫婦関係であったと伝えられている」好奇心をそそられる人間像が浮かぶ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


ツイッター

<script type="text/javascript" src="//platform.twitter.com/widgets.js"></script>