まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

秋祭り 今日の鋏は よく切れる

2017年10月08日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 丸亀地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は18.5度から26.3度、湿度は94%から70%、風は1mから4mの気の風が少しばかり。明日の9日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 昨夜は地元、広島神社の宵宮だというので出掛けてみた。土曜の夜たって、何もない島の夜だから、何もすることもないし、行く場所もない。

 

 例年、足が悪いからとか、夜道はこわいとかで、お参りの数が減ってきた。昨夜はこんなもの。でも、楽器のリード作者夫婦と、東京からの美大生二人が江の浦に住み着いて絵を描いている。そういう人が集まって、0時近くまで呑んでいたらしい。私は早々に退席した。

 

 朝の間、残った裏側の草刈りをやっておくことにした。できることからこつこつと・・・。

 

 ここには、400平方mの土地があって、南半分が私の物で家のある部分。裏手は、登記手続きの手前、弟の宅地ということで許可をもらったもの。そこが草ボウボウなのだ。

 

 半分ほどは昨日に刈ったので、残り半分を刈ってみた。よく切れる刃に交換したので、どんどんとはかどった。

 

 一応、刈り払うだけは刈っておいた。来週にでも、乾燥した草を処分することにした。今は重くて重くて・・・。

 

 おじいさんの植えた柿も三分の一ほど収穫した。まだまだ、熟していない物が多い。それが終わったのが8時半。それから洗濯して干しておく。残飯の処理とか生ゴミの処理とかも・・。

 

 一応の片付けが終わったので、帰る支度もすませておいてから、広島神社に出掛けてみた。ご承知の通り、私は神社仏閣にはお参りはしない。ここはあくまでお手伝い。

 

 少し前までは、株内・・というものがあって、よそものには祭礼神事には触れさせなかった。戦後、ゆるやかにはなったそうだが、ひどく叱られてからは、お手伝いのみ。

 

 そういう株内のボスの方針で、数年、御輿も出したことがないのに、ここまで出して、「さぁ、行くで」というかけ声で「御幸(みゆき)」が始まった。男性6人で担ぐのだから大変だ。そういう場合には「あんたも!」という声が・・・。

 

 御旅所までは50mほど。それでも重い・・・。よろよろしながら、ようやくに安置。御輿台は女性が運んでくれた。

 

 この日のお参りは20人ほど。関係者とお手伝いの女性と最近やってきた若い人たち。この中央の夫婦は珍しいことばかりの連続に大喜び。何もかもが感激の嵐。

 

 30分ほどで後片付け。私は電線やら電球とかの電気工事。重い物は持たない。その後、「直来(なおらい)」である。神主さんはお箸に手も付けずに、午後の集落へと向かって行った。今日、この島の七集落の内の四集落で秋祭りなのだそうで、家族で分担してのお式だそうだ。

 

 私も手を付けずに早々に失礼した。私は13時40分の高速艇で島を後にする。我が家でゆっくりと頂くことにした。

 

 冷たいお茶を飲み干して、しわく広島を後にした。丸亀港に14時着。我が家に戻ったのは16時だった。今は稲刈りのシーズンらしく、大型コンバインや籾を積んだ軽トラなどが我が物顔に走るのだから仕方がない。

 

  今日の掲示板はこれ。「うれしい時も、悲しい時も、かけがえのない我が人生である。」というもの。世間一般的には人生が長いほうがより価値があるように言われたりするものだが、いのちというものが単に抽象的に長さだけで考えられてはならない。真に人間のいのちならば、長さのみならず幅もあれば深さもあるはずである。年齢を重ねれば、それだけ人生をよりよく見、経験するわけだから、それだけものわかりがいいはずなのに、反対に我が強くなり柔軟心に欠け、思い通りにならないと人生を嘆き、時には怒るなんてことが無きにしもあらず・・・・・やはり人は、いのちを空しく長さだけに生きるのではなく、いのちを深さにおいて生きることが大切なのではないだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、会えれば、いいね。


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